五章 人形は魂を吸いとるでしょう? 3—3
*
リビングルームに猛が帰ってきた。
蘭と蛭間のあいだの変な空気を、すぐさま察したらしい。蘭を安心させるように、ポンポンと頭に手をのせてくる。
薫が兄離れできないわけが、わかる気がする。この安心感は、ただごとじゃない。
「じゃあ、そろそろ帰るか。蘭」
コーヒーを飲んだあと、愛波に地下鉄北大路駅まで送られた。
「五条なら、わたしも帰る方向なのに。家まで送りますよ?」
愛波は言うが、一刻も早く、猛と二人きりになりたい。強引に降ろしてもらった。
「どうしたんだよ? 蛭間さんと何かあったのか?」
地下へと階段をおりていく。
駅構内でも、蘭の姿は、それほど浮いていない。今日は普通にTシャツ、ジーンズ、キャップをかぶり、サングラスだ。
電車が来るのを待つあいだ、蘭は蛭間邸でのことを話した。
人目をさけるように、ホームのかたすみで頭をよせあって話す蘭たちは、まわりには、どんなふうに見えているのだろう。
「へえ。谷口を阿久津がね。まあ、そうじゃないかとは思ってた。今さら調べようがないから、例の写真しか手はないかと考えてたんだ。助かるよ」
「蛭間さん。あの人、絶対、おかしいですよ。谷口、阿久津だって、あの人が殺したも同然だ。やっぱり、自分の人形を完全体にするために、自分で次々、モデルを殺してるんじゃないかな。立川、細野事件は、ちょっと種類が違うけど。モデル殺しの件の弱みをにぎられてたとしたら、動機はある」
「蘭は、あの人のこと嫌いだからな」と言って、猛は笑う。
「まあ、できるか、できないかで言えば、立川さん、細野さんを殺すこと、蛭間さんにも可能だよ。立川事件、蛭間さんは一人で何度か席を立っていた。細野さんのときも一人で自宅にいた。アリバイはない」
「でしょ?」
「でも、あの人が刺されて死にかけたのは事実だ。おまえがさらわれた時間のアリバイもある」
「それはストーカーが起こした事件だから、別物なんじゃないですか?」
猛はあの事件が関係者によるものだという論拠を述べる。以前、薫には話していたらしい。
「なるほどね。たしかに、それだと関係者ってことになる。でも、関係者全員、アリバイがあるんですよね?」
「ああ」
蘭は思案した。
「もしかしたら、あのことが関連してるんじゃないかな。じつは僕、ずっと気になってることがあるんですよ」
話しているところに電車が到着する。蘭は猛と最後尾から乗りこんだ。
十時前の車内は、まばらだ。にもかかわらず、猛はドア前のコーナーに蘭を立たせ、自分の体でガードする。乗客がチロチロ、こっちを見る。やはり、ゲイの恋人どうしに見られているからだろう。猛にはマイナスにしかならないのに、全力で蘭を守ってくれる。うれしくなって、蘭は猛と腕をくんだ。
「なんだよ?」
「さっきの続き」
蘭は背伸びして、猛に耳打ちする。
「血の匂いがしたんです」
「血?」
「そう。かざりだなに入れられて、最初に意識が戻ったとき、かすかに感じた」
「だとしたら、あの夜、おまえが入れられてたのは、一階リビングじゃなく……」
「二階のアトリエですよね? 立川さんの遺体の入ってた、あのとだな。血の匂いは立川さんの流した血だ」
「そうなると、ぜんぜん話が違ってくるな」
「僕は、こう仮説してみたんですよ」
すると、蘭が語る前に、
「ああ。こういうことだろ?」
今度は猛が耳打ちしてきた。
内容は蘭の仮説と、まったく同じだ。
「気があいますね」
「これまでは、おまえが戸棚に入れられたのは、パーティが終わって蛭間邸が無人になってからとしか考えられなかった。時間にして九時半以降。でも、おまえの言うとおりなら、少なくとも三人はアリバイがなくなる」
「ですね」
カタカタと、ゆれる車内。
スピードがゆるやかになり、地下鉄は五条駅についた。
猛と腕をくんだまま、薄暗い構内を歩く。地上へあがるまで、ずっと、蘭たちをつけてくる男がいた。
「ねえ、猛さん。あれ」
「ああ」
階段をあがったところで立ち止まる。時計を見るふりをしながら、うかがうと、男も立ち止まった。
服装におぼえがある。北大路駅で、いっしょに乗りこんだ男だ。ただし、今日、初めて会ったのは、まちがいない。
蘭に気づいたとき、はでに二度見して、ぼうっと見とれていた。あれは初めて蘭を見た人間の反応だ。本日たまたま蘭を見かけて、ひょっこりストーカーになったのである。このていどのつきまといは、日常茶飯事だ。
蘭たちが歩きだすと、男も歩きだす。
猛がふりかえって、男に近づいた。
「なんか用?」
男は口のなかでモゴモゴ言って、立ち去った。
「蘭。ほんと、おまえは強烈なストーカー製造機だなあ」
「早く、次のコスプレ考案しないとダメですね。なんか、いいスタイルないかな。みんながギョッとして、さけて通るようなやつ」
「あんまり変なカッコするなよ。いっしょに歩ける範囲にしてくれ」
「どうせ着物なら、白装束にしとけばよかったのかな。頭に三角の額紙つけて。ちょうど夏だし、ぴったり」
「かーくんが泣いて逃げだすなあ」
笑いながら、東堂家に帰った。
待っていたのは、かーくんドール紛失事件。
それを見て、猛は叫んだ。
「そうか! そういうことだったのか。蘭がストーカーに狙われることが普通すぎて、勘違いしてたんだ」
猛は真相をつかんだらしい。
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