五章 人形は魂を吸いとるでしょう? 2—1
2
三村くんは帰ってこない。
せっかく蘭さんが頑張って原稿しあげたのに。ちょっぴり残念な祇園祭になってしまった。
そのあいだ、蛭間さんは病院で生死のさかいをさまよっていた。
出血の量からも深手だということはわかっていた。どっかと、どっかをつなぐ動脈の一部が切れてたんだそうで……。
僕はおみまいに行って、愛波さんから聞いただけで気持ちが悪くなってしまった。怖いのも苦手だが、痛いのも苦手。
でも、手術と輸血で、どうにか、もちなおした。その後の回復は早い。感染症などもなく、経過は良好だと聞く。
で、事件はというと、一つだけ進展があった。
細野さんの経営していたアンティークショップの経理の男が逮捕された。罪状は不法進入。立川さんのマンションに侵入したのは、この男だった。猛の読みどおり。というか、猛が畑中さんに助言して、しらべてもらったら、こいつだった。
つかまったとたん、男は白状した。細野さんが変死したんで、恐れをなしてたらしい。
それで、だ。
男の口から、細野さんが、ゆすられてた理由がわかった。横領だ。
つまり、細野さんは蛭間さんとの最初の契約で、人形の売値の三割を仲介料として受けとることになっていた。百万で売れれば三十万だ。それだって、マージンにしちゃ、ちょっと、ぼりすぎると思うんだけど。
なにしろ、相手は金にむとんちゃくな蛭間さんだ。自分の人形が、いくらで売れてるのか知らないとすら言ってたもんなあ。
細野さんが振りこんでくる金額を通帳で確認したこと、一度もないんだそうだ。それをいいことに、細野さんは蛭間さんの名声が高まり、人形の価値が上がっても、本人には、そのことを教えなかった。以前と同額ていどしか振り込まなかったわけだ。値上がりしたぶんは、まるごと、自分のふところへ。一体につき数十万から、ときには数百万、ネコババされてたらしい。年間にすれば二千万。それが十年だから、総額二億円だ。
愛波さんが憤慨して、訴訟を起こすと言っていた。
立川さんは細野さんの羽振りのよさを見て疑いをもった。で、独自にしらべた。
蛭間さんの人形をもつ博物館やコレクターに電話をかけた。じっさいの売値を聞き、蛭間さんの通帳と、てらしあわせた。電話の応対は録音されていた。通帳は、こっそりコピー。それをネタに、細野さんをゆすった。
それらの証拠は、立川さんの東京のマンションにあった。
でも、通帳はコピーだ。このさい、金目当ての泥棒に盗まれたていで、蛭間さんの通帳そのものを処分しよう——
細野さんたちは、そういう相談をした。それで、東京のマンションには経理の男が。蛭間さん邸には細野さんが侵入した。
だが、このときだ。
蛭間邸で、なんらかのトラブルが起こった。通帳は手に入らなかった。
僕らが駐車場で細野さんを見つけたとき、彼女がかけてた電話相手こそ、共犯者の男だ。ただ、この男は、トラブルの内容までは聞いてない。
「それにしても、ひどいなあ。立川さん。友人が食いものにされてるの知ってたんでしょ。蛭間さんに打ちあければいいのに」
八月に入って六日。
今日は蛭間さんのおみまいに来てる。
蛭間さんの個部屋には、愛波さんが来ていた。蛭間さんの顔色は、すこぶるよくなってた。そろそろ退院かな。僕の話を聞いて、その顔をしかめたけど。
「立川が私をうらむのは当然なんだ。きっと復讐したい気があったんだろう」
谷口美里さんのことね。
そりゃまあねえ。やっぱり、うらんでたんだろうなあ。
それで脅迫者になって、殺されて……不幸な人生だ。立川さん。
「もう、やめましょうよ。そんな話。ね、兄さん」
愛波さんが言うので、僕らは事件の話をおしまいにした。
かわりに、僕は聞いてみた。
「蛭間さん。退院の日は決まりましたか?」
「明日だよ。とうぶん、急な運動はさけるよう言われてるが」
「明日ですか。それは、よかった」
「ついては蘭さんを夕食に招待したいな。ささやかな退院祝いに」
蘭さん、ご指名か。
蘭さんが、しぶい顔するのには、わけがある。
明日といえば、八月七日。八日が猛の二十七さいの誕生日なんで、僕と蘭さんはサプライズパーティを企画している。すでに猛の好きな焼肉パーティ用のお高い京都肉(京都産のA5ランク和牛肉)を十キロ予約ずみ。蘭さんのマンションを前日のうちに、こっそり、かざりつけようと話していたのだ。
ほんとは三村くんも予定に入ってたんだけど。いなくなっちゃって、こまるなあ。人手不足で。
しかし、これはチャンスでもある。
蘭さんが、おでかけなら、猛は必ず、ついていく。そのあいだに僕一人で準備をすすめておこう。
というわけで、蘭さんは蛭間さんの申し出を承諾した。
僕らは病院を去った。
自宅に帰った直後だ。
畑中さんから電話がかかってきた。
僕が受けた電話は、すぐに猛とかわったけど、よくない知らせだということは兄の顔を見れば、わかった。
「鮭児が見つかったそうだ。重要参考人として、警察に任意同行された」
とうとう捕まったか。三村くん。
僕は蛭間さんが襲われた日、三村くんを見たこと、警察には話してない。けど、出窓から三村くんの指紋が出た。蛭間さんは自分を襲ったのは、若い男のようだったと言った。さらに、蘭さんがさらわれたときの中村さんの証言がある。
三村くんの立場は、ひじょうに悪い。
「容疑は否認してるそうだ。行方をくらましてたのは、一人旅がしたくなったからだと言ってる」と、猛は畑中さんから聞いた電話の内容を教えてくれる。
「ちがうよね。あの夜、たおれた蛭間さんの近くに立ってたんだから。姿を消したのは、あのことが関係してるよね」
「事件の日のことは黙秘権を通してる」
僕らの仲間から、ついに逮捕者が出るのか?
この前、猛は、三村くんが犯人という可能性については教えてくれなかった。
ほんとのとこは、どうなんだろ。
「でも、三村くんは、そんなことする人じゃないよ。むしろ、義理がたくて、人情に厚くて、昔かたぎ」
「そうさ。だから、口をわらないんだろ」
あッと思った。なるほど。そういうことか。
「三村くん。だれかをかばってるのか!」
「たぶんな。それで、いつのまにか自分が追いこまれて、身動きとれなくなったんだろ」
うーむ。それは、いかにも三村くんらしい。
「そういえば、三村くん。細野さんが殺されたあとから、急に無口になったよね。なんか悩んでるみたいだった」
「あいつ、細野さんが横領してたこと、気づいてたんじゃないのか?」
ふたたび、あッと思った。
なんてことだ。
当初、それで、だいぶ考えこんだりしてたのに。いったい、どうして忘れてしまってたんだろう。
「最初に蛭間さんちに行ったときだった。三村くん、細野さんと言いあらそってたんだよ。たしかねえ。『そんなこと誰にも言いませんよ』みたいなこと、言ってた」
猛は僕の目を見て、ポンポンと頭をたたいた。また、あきれたのかなあ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます