四章 僕は死体になりましょう? 3—2


「かーくん。蘭はまだマンションだろ。一人で夜道、歩けないじゃないか。怖がってるものは、おまえと違うけど」

「ほっとけよぉ。僕だって、こんな時間なら、怖くないよ。オバケくらい」


「ほんとに? 夏だぞ。怪談本番だろ? 兄ちゃんが知ってる、とっときの話、してやろうか?」

「やめてェ」


「ふりかえると誰もいないのに、ついてくる足音とか。無人の部屋で、よこぎる影とか。真夜中に、ふと目がさめると聞こえてくる……」

「怒るよ。兄ちゃん」


 猛は笑って、蘭さんを迎えに出ていった。

 ところが、僕をからかった本人が、まるで夜道で亡霊に抱きつかれたみたいな顔して帰ってくる。


「蘭は?」

「僕に聞かれたって。猛が迎えに行ったんだろ」

「いなかった」


「えッ?」

「マンションに、いなかった」


「書斎も? あそこは内カギあるし、完全防音でしょ?」

「カギはかかってなかった。のぞいてみたけど、どの部屋にもいなかった」

「ええッ……」


 まさか、あのストーカー吸引機の蘭さんが、一人で夜道を歩いたのか? 危険だ。危険すぎる。蘭さんの吸引力はダイソンの掃除機より強力なのに。


 僕らは手分けして、蘭さんをさがした。電話もならした。メールも送ってみた。

 けど、蘭さんからは、なんの返事もない。どこにもいない。


「どうしよう。僕がヨダレ見ちゃったから、家出したのかなぁ。蘭さん」


「あいつに行く場所なんて、ほかにないよ」と言って、猛がポラロイドカメラをとりだしたのが、十時すぎ。


「念写するの?」

「それしかないだろ」


 ああ、どうか、蘭さんが無事ですように。

 ちょっと遠めのコンビニで立ち読みしてるとか。お父さんを呼びだして、デート中とか。


 猛の手のなかで、カメラのフラッシュが光った。

 今日の一枚め。

 だから、くっきり鮮明に写って——ない? なんでだ?


 出てきた写真は、妙に黒い。


「ええと……暗いなあ」


 暗闇をフラッシュ不足で撮った感じ。でも、室内だということはわかる。


「あ、ねえ、これ。蛭間さんちじゃないの?」


 画面手間、大きく写ってるのは、見おぼえのある、かざり棚。前面のガラスが光って、なかが見づらい。そこに目をこらして、僕は思わず叫んだ。


「ら、蘭さんッ?」

「ああ。だな」


 なんて倒錯的な写真なんだ。

 ガラスのひつぎに眠る比類なき美青年。白雪姫ならぬ白雪蘭さん。

 蘭さんは、蛭間さんちの戸だなのなかに、とじこめられていた。

 目をとじて、眠っているようだ。寝てるだけ……だよね? 立川さんの遺体と、まったく同じ状況だけど。まさか、もう……。


 猛が言った。


「薫。タクシーだ。おれは、蛭間さんちに電話かけてみる」

「うん」


 そうだ。ぼうっとしてる場合じゃない。

 言われたとおり、僕はタクシー会社に電話をかけた。もちろん、ケータイで。


 そのあいだに、猛は固定電話から蛭間さんちにかけた。


「どうなの?」

「ダメだ。出ない」

「早く行こうよ。蘭さん、助けなきゃ」

「ああ」


 このとき、三村くんは、いなかった。手分けして蘭さんをさがしに行ったきり、帰っていない。


 しかたなく、僕と猛の二人でタクシーに乗りこんだ。

 運転手さんをせかして、できるかぎり、とばしてもらう。しかし、京都市内は祇園祭まっさいちゅうだ。四条かいわいに交通規制あるから、それをさけた車なんかが、やたら多い。渋滞や赤信号にひっかかるたび、イライラさせられた。


 ようやく、蛭間さんの家に到着。


 なんとなく異様な感じがした。

 そうだ。家じゅうの電気が消えてるんだ。

 前庭に蛭間さんの車はある。

 なのに照明が一つもついてない。すでに寝てるんだろうか? まだ十時半なのに?


「愛波さんが、今井さんと藤江さんを送って帰ったよね。じゃあ、今、家のなか、蛭間さん一人か」

「蘭がいるだろ」


 そうだけど。とだなのなかって、家のなかって感じじゃないような……。


 タクシードライバーに待っててもらうように頼んで、僕と猛は車をおりる。猛然とピンポンラッシュしたが、なかから出てくる人はいなかった。


「蛭間さん! いるんでしょ? あけてください」


 猛がドアをたたきながら、ドアノブに手をかける。すると、カチャリと音がして、ドアがひらいた。


「あ……あれ。カギ、かかってないんだね。猛」

「ああ」


 猛は僕の前に立って、玄関を入っていった。猛の背中で、前が見えない。


 そのとき、暗闇で声が聞こえた。人間の、うめき声だ。「ああ」とか「うう」とか、亡霊っぽい声が暗闇にただよう、ものすごさ。


 僕は、まよわず猛に、しがみついた。


 猛は冷静に電気のスイッチを手さぐりで探す。パチっと音がした。とつぜん、視界が明るくなった。


 僕は悲鳴をあげた。

 だって、しょうがないよ。目の前に血みどろの人が、ころがってたんだから。


「蛭間さん!」


 猛が、かけよる。


 ふと、僕は、ろうかの奥に人の気配を感じた。顔をあげて、それを見た。


 僕は幻でも見てるんだろうか?

 なんで、そこに三村くんが立ってるんだろう。


 三村くんは僕を見て、出窓から外へ、とびだしていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る