四章 僕は死体になりましょう? 2—1

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 蘭をマンションに送りとどけた猛は、調査を開始した。

 蛭間の高校時代の交際相手の実家へ向かう。市バスに乗って、七本松で下車した。

 住所をたよりに歩いていくと、西寺趾に出た。西寺は平安京の昔、東寺とともに栄えた寺だ。じょじょにすたれ、今は公園に史跡の碑だけが残っている。


 ぶらりと公園に入った。見晴らしがいい。

 ベンチにすわって、ハトとたわむれる老人でもいないかと期待した。が、残念ながら、真夏の公園は老人のヒマつぶしには過酷な場所だ。昔話をしてくれそうな人は見あたらない。


(いきなり八木さんの家をたずねても、通り魔に殺された娘の話をしてくれるわけないしな)


 ここは藤江優羽の友人として、手土産の一つも持っていくべきか。


 とりあえず、今もその住所に八木一家が住んでいるのか、確認しに行った。ひとめ見て、ムダ足だと、さとる。そこはマンションになっていた。それも、ベランダの仕切りなどから見て、ワンルームの賃貸マンションだ。おそらく、自宅をつぶしてマンションにし、愛娘の思い出の残る悲しい土地を離れていったのだ。


 まあいい。そんな可能性も考えてなかったわけではない。


 猛が次に向かったのは、蛭間の実家が以前あった場所だ。

 じつは、ほんとに行ってみたかったのは、こっちのほうである。鞍馬寺での愛波の態度に疑問をもったからだ。愛波は実家が引っ越した理由を優羽が話そうとすると、さまたげた。引っ越しの原因を知られたくなかったのかもしれない。


 どうも、あの依頼人は信用しきれない。愛波自身が言うように、兄の身が心配だからという依頼理由をうのみにするのは危険な気がする。

 だから、愛波がかくそうとする事実を知っておきたい。


 町名を見ながら歩くと、すぐに、その場所は見つかった。が、こっちもマンションだ。豪華な造りから、こっちは分譲マンションらしい。


 こうなると、昔話を知っている老人をさがして、近所の呼び鈴をかたっぱしから押すしかない。

 さて、どの家から当たろうかと考えたとき、りっぱな門構えの店舗を近くに見つけた。市の重要文化財の指定を受けているに違いない古い町家だ。


 歩いていくと、人形店だった。軒下の巨大な木の看板には、著名な書家の写しらしき文字。読めるのは、かろうじて『京』の字だけ。


(京の字に人形。京塚人形店か?)


 看板を見あげて、つっ立っている猛が目についたのだろう。店の引き戸がガラガラあいた。なかから、京塚が出てくる。


「こんにちは。東堂さんでしたな。こないなとこで、どないしはりました?」

「おぼえていただいていたんですね」

「あないなことがありましたさかいにな。うちをたずねてきはりましたんか?」

「いえ。ぐうぜん、通りかかりまして。看板を見て、もしやと思ったんです」

「さよでっか。まあ、あがって一服しとくれやす」


 猛はえんりょなく店のなかに入った。京都人的な心理戦のかけひきは無視だ。ここで貴重な情報源をのがすと、予定どおり近所にピンポンラッシュしなければならなくなる。あるいは、フリーライターのふりでもして、蛭間の通った小学校に取材に行くか。


 京塚人形店のなかは入口の土間を広くとり、商品をならべている。ひな人形や武者人形。季節物の祇園祭の山鉾が、精巧なミニチュアで行列を作っている。


「これが月鉾ですね。蘭が稚児をしたっていう。おれは、こっちのカマキリが好きなんですよ。蟷螂山(とうろうやま)ですよね」

「九重さんのお稚児さんは、わても見ました。あれ以上の稚児は後にも先にも一人もありまへんなあ。語り草でっせ」

「まあ、あの見目ですからね」


 店内には五十代の男がいた。猛が頭をさげると、男も会釈をかえす。

 奥の座敷に通されると、今度は四十代の女性が緑茶を運んできた。


「息子さん夫婦ですか?」

「一人娘の婿さんですわ。孫も、もうじき帰ってきますやろ」

「いいですね。ご家族、にぎやかで。うちはもう兄弟二人ですよ」

「ご両親がいてはりまへんのか?」

「ええ。事故でね」

「ほな、苦労しはったんどすな」

「いえ。祖父が育ててくれたんです。楽しい人でした。弟もいるし、今は蘭もいる……。なんで、こんな話になったのかな。気をつかわせてしまって、すみません。じつは、蛭間さんの実家をたずねてきたんですが、どうも引っ越したあとみたいですね」


 京塚は眉根をよせる。

「蛭間はんも、ご両親が亡くならはって、久しいですからな。お父さんのほうは、かれこれ三十年前ですやろ。蛭間はんが小学の三年か四年のころやったと覚えとります」


 小学三年——それでは計算があわない。


「でも、妹の愛波さんが今年、二十四さいですよね。蛭間さんとは十一、離れている。蛭間さんが小三なら、九つのときに、お父さんは亡くなっている。愛波さんは生まれてないことになるのでは?」


 京塚は上品に笑った。

「愛波さんは、お父さんが違いますよって。蛭間はんのお母さんが再婚しはった相手とのお子さんどす」


 ぴんときた。

 愛波がかくしたがっていたのは、その事実だ。


「蛭間さんと愛波さんは異父兄妹なんですね。でも、名字は同じだ」

「なんや、蛭間はんのお母さんが、婿さんとる形で再婚しはったんと違いましたか」

「なるほど」


 だんだん見えてきた。

 これは愛波が、かくしたがるはずだ。愛波の父が蛭間姓に入ったのなら、愛波にも蛭間の財産を継ぐ権利が生まれる。


「ちなみに、蛭間さんは大変な資産家ですが、お父さんから継いだ遺産だそうですね。もちろん、亡くなった実のお父さんのことですね?」


「そうどす。お父さんが亡うならはったとき、蛭間はんのお母さんは遺産相続放棄しはったんどす。それで、蛭間はんが全財産、継いだんですわ。そのほうが手続きが、らくやったんでっしゃろな」


 やはり、そうだ。

 京塚の言うとおりなら、兄は大金持ちだが、妹は庶民。資産に雲泥の差がある。


(これは、強力な動機になる)


 愛波は蛭間の財産をねらっているのだろうか? そうだとしたら、兄が結婚して遺産相続権を失うのは、決して喜ばしいことではない。谷口美里、阿久津響子は愛波にとって、兄の財産を横取りしていくジャマな存在として映ったはずだ。

 これは、愛波の身辺をしらべでみたほうがいい。


「ありがとうございました。ひじょうに助かりました」


 猛は礼を言って立ちあがった。


「もう行かはりますのんか? ほんなら、小篠はんからもろた年賀状、持っていかはりまっか? 住所が書いてありますえ」


「小篠さんですか?」

「蛭間はんの今のお父さんですがな。蛭間はん言うたら、蛭間はんとごっちゃになりますさかい。わてらは旧姓で呼んどりますのんや」


 そうだ。大事なことを見落としていた。

 父母が死んだとは聞いたが、蛭間兄妹には、もう一人、父が残っている。蛭間の二人めの父。愛波の実の父が。


(婿養子なら、この男も相続人だ)


 容疑者が、また一人ふえた。

 猛は京塚から小篠の年賀状を受けとった。そして、今度こそ立ち去ろうとした。が、そのときだ。


 とつぜん、背筋に悪寒が走った。

 ざわざわと異様に毛穴が波打つような、いやな感覚。

 その感覚には、おぼえがある。

 両親が亡くなったときに感じた。以前、蘭がさらわれ、窮地に立っていたときにも。


 誰かに悪いことが起こった。猛に、とても近いところにいる誰かに。


「すみません! 電話をかしてください」


 猛の形相に京塚は、めんくらった。だまって、固定電話のところまで案内してくれた。

 電話に、とびつく。ふるえる指で自宅へかける。応対に出たのは、三村だ。


「猛かッ? 大変や。たったいま、警察から電話があってん。落ちついて聞けや。かーくんが車にひかれた。救急車で四条病院につれてかれたって」


 薫が……薫が、どうしたって?

 ことばの意味が、なかなか頭に入ってこない。


(車にひかれ……救急搬送……)


 いつか、この日が来ることは、わかっていた。

 今日が、その日だというのか?

 東堂家の呪いが、兄弟のどちらかを、つれさってしまう日は……。

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