四章 僕は死体になりましょう? 1—3


 ほかには、これといった話題もなかった。僕らは昼ごはんをごちそうになって、いとまごいした。


 さて、自宅に帰ると……暑いなあ。昨日から閉めきってた家屋は蒸し風呂のよう。


 蘭さんは逃げるように言った。


「じゃあ、僕、今日からマンションに、こもりますね。十日か、もうちょっと、かかるかな。祇園祭までには絶対、終わらせます」


 蘭さんは、僕らの町家の近くにマンションを持ってる。そこのリビングを僕らの探偵事務所に貸してくれてる。

 ふだんは、昼間、そっちで三人ですごし、夜になると町家に帰ってくる——というのが、僕らの生活パターン。

 で、蘭さんが締め切り前になると、そっちの書斎にこもるんで、僕らがマンションに泊まったり、蘭さんを残して帰ったり。そこは蘭さんの気分しだい。


「僕ら、どうしようか?」

「今回は短期決戦で仕上げたいんで、一人がいいかな」


「なら、日に一度、夕食と夜食を作りに行くよ。朝食は、どうしようか?」

「トーストでいいですよ」


「わかった。じゃあ、パンとコーヒーは切らさないようにしとく。ほかに、なんかある?」

「着物はもう着ないから、クリーニングに出しておいてください」


 着物のクリーニングって高いんだよね。


 僕が一瞬、だまったんで、蘭さんは僕の独白を読んだ。蘭さんがテレパシストなわけじゃない。僕の顔を見れば、誰でもカンタンに読めるらしい。


「クリーニング代、渡しておかなくちゃね。でも、今、あんまり持ちあわせが……」


 じゃあ、と言って、蘭さんは僕に一枚のクレジットカードを渡した。かんたんに暗証番号、教えてくれるけど、いいのか? そんなに僕を信用しちゃって。だって、蘭さんの貯金は億単位。


「蘭さん、僕が着服するかもとか、考えてないでしょ?」

「それは僕が高校のとき、親の仕送りを受けとるために使ってたカードだから。たしか、もう二、三百万しか残ってないと思うんだ。僕に何かあったら、そのお金、自由に使ってください」


 二、三百万しか……か。

 金持ちって……。


 蘭さんは僕に大金の入ったカードを残し、マンションへと去っていった。もちろん、道中は猛に守られて。


 僕は銀行がしまる前に、お金をおろしてくることにした。

 三村くんは、まだ、うちに泊まる気らしい。テレビの前で寝ころんでいる。ちょうどいいので、僕は三村くんに、るすばんをたのんだ。


「おお、行ってきいや。晩飯、スタミナつくもんがええな。昨日から上品なもんばっかで、ちょいクドイもんが食いたい」


 なんて、あつかましい居候だ。

 しかし、どうせ、今夜は猛の好きなレバニラ炒めだ。蘭さんが嫌いなレバニラは、こんな日にしか食べられない。きっと猛は楽しみにしてるはず。


「わかった。行ってくる」


 僕は自転車にまたがって家をでた。

 梅雨が明けないせいで、空はくもっていた。

 このとき、僕は自分にせまる危機に、まったく気づいてなかった。

 僕には念写能力、ないからね。


 自転車を東にむけて、烏丸通に出る。銀行やテナントビルがならぶオフィス街だ。繁華街の四条通とまじわる、かどっこの銀行に、僕は入った。キャッシュコーナーは、すいていた。クリーニング代として、ひとまず五万おろした。


 残高を見て、ギョッとする。

 なにが、二、三百万しか、だよ。五百万以上、入ってる。いったい月々、いくら仕送りしてもらってたんだろう。

 これだけのお金が八年前に、うちにあれば、猛を大学に行かせてやれたのに。

 まあ、いたしかたなし。貧乏でも、うちは家族三人(僕、猛、じいちゃん)で、楽しい毎日だった。

 そのころ、蘭さんは、ひとりぼっちで顔をかくしながら、ストーカーから逃げまわって生きてたんだもんね。

 人生ってのは、いろんなとこでバランスとれてるもんだ。


 そんなことを考えながら、僕は思いなやむ。


 おとついの大島紬に、昨日の京友禅、はかま、浴衣。帯もあるし、五万で足りるかなあ。あの友禅、五百万くらいするやつらしいし、保険とかで高くなるかも。いちおう、もう五万、おろしとこう。

 こんなふうに銀行のなかで、グズグズしてたのがいけなかったんだろうな。きっと、金持ってるうえに、とろいやつと思われたんだ。


 ようやく、僕は銀行をあとにした。

 四条通は自転車押して歩かなきゃいけない。交差点まで歩いていく。

 きらいなんだよねえ。この通り。いつも買い物客や観光客で、ごったがえしてるから。よく人ごみで足ふまれたり、肩ぶつかったりする。あまつさえ、女の子に間違われてナンパされる。化粧品のキャッチセールスに、つかまったこともある。


「ファンデーションは何をお使いですか?」って、使ってるわけないでしょ。男だよ。


 そういうときは、いつも猛が助けてくれるよね。


「うちの弟、女装の趣味ないんで」って。


 そんで、まわりの人に、くすくす笑われるんだ……。


 ため息つきながら、僕はトボトボ、交差点をわたっていく。

 あ、まずい。歩行者の青信号が点滅してる。

 なのに、四条通から烏丸通に右折するタクシーが、歩行者のあいまをぬって、つっこんでくる。

 やっぱり苦手だなあ。この通り。早く、ぬけないと。


 僕は横断歩道の途中で、自転車のペダルに足をかけた。

 と、そのときだ。誰かが後ろから、自転車の後輪に、思いきり、ぶつかってきた。

 僕は片足をサドルの後ろから、まわして、またがろうとしてたんで、バランスをくずす。押された勢いで、スルーっと変な方向にすべっていくじゃないですか。

 その行く手には、強引にまがろうとする、あのタクシーが——


 あ、ダメだ。ぶつかる。僕の人生、終わった。これが東堂家の呪いってやつですか?


 周囲で悲鳴がまきおこり、僕の意識は、まっしろになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る