三章 死体は温泉に入りましょう 3—3
それに、遺体の腐敗状態とかにも影響しそう。考えたくないけど。
猛が言った。
「湯につかってたんなら、体温が下がりにくい。死亡推定時刻、わりだしにくくなるでしょうね」
うん。兄弟シンクロ。猛も同じこと考えたんだ。
ひとりごとのように、猛はつぶやく。
「でも、胃の内容物から、おおよその時間はわかるか」
「いやいや、夏場に湯でっせ。くせもんですわ。せやし、目撃証言が重要になってきます。君らが最後に被害者見たん、いつごろですか?」
「おれたちは駐車場で別れたのが最後ですね。電話のあと、ちょくせつ自分の部屋に帰ると言ってたので」
あ、でも、さっき、愛波さん、言ってたっけ。
「兄ちゃん。愛波さんが、あのあと、声かけたって言ってたよね。相部屋にしてもらおうと思ってたけど、そのときには寝息が聞こえたって。あれが、何時ごろなんだろう」
「蛭間愛波さんですな。ちょうどいい。あの人たちにも話、聞かんと。行きますか」
そう言う畑中さんのあとに、僕らはついていった。
ぞろぞろ菊の間に行ったが、そこには愛波さんはおろか、今井さんも藤江さんもいない。
「あれ? まさか、さきに発った?」
「いや、かーくん。荷物はある。まだ宿のなかだ」
ほんとだ。荷物残して、どこに行くっていうんだ?
「あ、そうか。僕らの部屋か」
そういえば、僕らの部屋の前で会ったんだもんな。ずっと待っててくれたのか。
僕は、ちょっと、うれしくなった。愛波さん、今、行きます。
ところがだ。猛が足止めしやがるんだよな。
「畑中さん。この向かいが、細野さんの泊まっていた梅の間です。しらべましたか?」
「ああ。そっちは現場やないしね。いちおう、鑑識がしらべたけど、もう終わったよ」
「じゃあ、なか、見てもかまいませんね?」
「かまわんよ」
猛ぅ。現場じゃないんなら、いいじゃん。
しかし、ここで兄弟の心はシンクロしなかった。猛は梅の間のフスマをあけて、すたすた入っていく。
なかは菊の間と同じ六畳。そこに、ケヤキの座卓とか、衣桁とかあるわけで、三人には、せまい。一人には広い。
細野さんは今朝、お風呂から上がってきたあとで、部屋を片づけるつもりだったようだ。ふとんが敷かれたままになっている。細野さんが、はねあげた形のままの掛けぶとんが、生々しい。
ほんとに、ちょっと留守にするつもりだったんだな。まさか、自分が死ぬなんて、夢にも思わないで。
僕は怖がりなんで、死体はまともに見れない。むしろ、こういうのを見ると、悲しくなるよね。
そういう感慨を猛は感じないのか。刑事みたいな目で、部屋のあちこちをしらべている。
ふとんのよこに寝そべったときには、何してんだ、この兄は——と思ったけど。
猛のようすが変わったのは、ガラスまどをあけたときだ。ガラスと言っても、木組みのわくで、古い日本家屋にピッタリ。その窓から、身をのりだして、ずいぶん熱心に見てる。
僕も気になって、近づいていった。
「猛、なに見てるの?」
「女湯」
「えッ?」
僕の兄は女湯をのぞき見するような男だったのか?
「わあッ、バカ。バカ。猛のバカ!」
僕は兄の胸にとびついて、こぶしを連打した。
えい。えい。カルガモアターック!
猛は窓わくをつかんで、僕の攻撃をかるく受けとめる。そんでもって、ガマンしきれなくなったみたいに、ふきだした。白い歯みせて、なんで、そんなに、さわやかに笑えるんだか。
「かーくん。かーくん。兄ちゃんをつきおとす気でないなら、あれ、見てみろ」
僕にまで、のぞきをすすめるとは、なんて兄だ。みそこなったぞ。猛。
「兄ちゃん。のぞきは、りっぱな犯罪だよ」
「いいから。いいから」
猛が指さすので、しょうがなく、僕は窓の外を見た。
「なんだ。女湯なんて見えないじゃん」
「なんや。見えへんのかいな」
「見えるわけないじゃないですか。そんな温泉宿、女性客、来ないですよ」
いっ、いつのまに? 両側に三村くんと蘭さんが立っていた。
もしかして、女湯、見たかったんだろうか。三村くんはわかるとしても、蘭さんまで? やっぱり、蘭さんも男か……。
すると、猛に注意されてしまった。
「かーくん。ちゃんと見てるか?」
「見てるよ。女湯の生垣が見えるだけ」
梅の間の真下は中庭になっていた。
ひさしにかくれて見えないが、たぶん、僕らの部屋みたいな露天風呂つきの個室が、そのへんにコの字にならんでるんだろう。
なるほど。ほんと、よくできてる。ちゃんと、どこからも風呂は見えなくなってるんだ。
中庭の向こうにあるのが、女湯の露天風呂だとわかる。一階の屋根の端ギリギリに、男湯との境の岩が見えてるから。
男湯は、ここからだと、完全に側面にまわっていて、見えない。
「見たんなら、いいよ」
猛はあきたのか、ふらりと立ちあがった。部屋から出ていく。
ほんとにもう、自由人なんだから。
ところがだ、一階の僕らの鶴の間まで帰ると、もっと自由人がいた。
フスマがあかないんで、なにごとかと思えば、なかから、つっかい棒がしてあった。でも、つっかい棒って、押さえてるがわは動かないけど、反対がわのフスマは動くんだよね。
僕らが動くほうのフスマをガラリとあけると——
「ああッ、あけたらダメェッ」
「しめてぇ。目ェつぶってぇ」
さッとフスマをしめたのは猛。
僕はビックリしすぎて、ろうかに尻もちついてしまった。
蘭さんは冷静。
「見ました? 藤江さんって、けっこう胸、大きいですね。Fは確定?」
「今井さんも、ええケツやったで。パンツのCMみたいな」
「二人とも、なに言ってるんだよ」
「だって、僕らの部屋で、かってにお風呂使ってたのは彼女たちだから。まあ、自己責任かなと」
うーむ。自由すぎる。
僕ら、知りあって、まだ三日めだよね? それで、許可なくお風呂に入れるもん?
「いやあ。若いっていいですなあ」
畑中さん、むちゃくちゃ、うれしそう。絶対、合コンかなんかと勘違いされたよね。
しばらくして、フスマは中から、ひらかれた。
「いややぁ。イケメンに裸、見られてしもた」
「自分の彼女とくらべないでよね。彼女だって、十年たったら、こうなるんだからね」
「ひなちゃんは、ええやん。体重、変われへんのやろ? うち、四キロも太ってしもたもん」
「体重は同じでも、おなかはたるんだ。二の腕とか」
「ふとももとか? ああん、恥ずかしいわあ。恥ずかしいけど、ドキドキしたあ」
「イケメン効果だね」
恥ずかしいと言いつつ、お姉さんたちは、けっこう、うれしそう。
まともなのは愛波さんだけか。いや、べつに、愛波さんの裸を見られなくて残念がってるわけじゃない。いや、ほんと……。
ようやく、事情聴取だ。
畑中さんから三人に、細野さんが殺されたことを説明された。
「それで、みなさんが細野さんを最後に見たのは、いつでしたか?」
畑中さん、相手が妙齢の女性だからって、変に丁寧だ。
しかし、ここでも、まともなのは愛波さんだけ。今井さんたちときたら、こうだ。
「あの人、途中で消えたからなあ」
「あれは、見つかったやん。ひなちゃん、『人さわがせなオバちゃん』って言うてたよ」
「そうだっけ? おぼえてない。いつ自分の部屋に帰ったかも、おぼえてないもん」
酔ってたからねえ。送るの大変だったよ。
愛波さんは、さっき僕に言ったことをくりかえした。
「わたしが最後に見たのは、相部屋をたのもうとしたときです。フスマを少しあけて、声をかけたんです。だけど、寝息が聞こえたので、あきらめました」
「それは何時ごろでしたか?」
「時計、見たわけじゃないし、はっきりとは言えません。十時半をちょっとすぎてたと思います」
「なんで、十時半とわかるんですか?」
「だって、大浴場が終わるの、十時半でしょ? わたし、急いであがって、その帰りに声をかけましたから」
「えッ?」
僕ら四人は思わず声をそろえた。愛波さんを見つめる。
四人の男(うち二人は、まぎれもない美青年)に注視されて、愛波さんは、うろたえた。
「な……なんですか?」
「女湯、入ったの?」
「いけませんか?」
「いや、そうじゃなくってさ。だって、その時間——」
言いかける僕の口は、ニッコリ笑う蘭さんの手で、ふさがれた。
酔ってるあいだの奇行の数々を、しらふに戻ってから、ばくろされるのは、誰しも、つらい。とくに刑事さんの前では。
さりげなく、猛が話をそらす。
「その時間、おれたちも男湯に入ってたんですよ。ぐうぜんだな。そのとき、女湯に入ってたのは、蛭間さん一人だったんですか?」
「そうなんです。あんまりガラガラで、薄気味悪かったです。でも、露天風呂に行ったら、みなさんの話し声が聞こえたので、ほっとしました」
そうか。あのとき、女湯には愛波さんが……あ、いや、ドキドキしてる場合じゃないぞ。
これって、プチミステリーだ。
だって、その時間、女湯は清掃中だったはずなんだから……。
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