三章 死体は温泉に入りましょう 3—2


 するとだ。今度は本職の畑中さんが否定してくれた。


「それがね。それだけじゃ説明つかんのです。たしかに被害者は湯に入るために来て、自分で服ぬいどるんですわ。手首にロッカーのカギ、つけとりました」


 脱衣所のロッカーのやつね。グルグルコードみたいのついて、腕に通せる。温泉や銭湯で、よく見るやつだ。


「じゃあ、目的が入浴であることは明白なんですね。なのに、男湯なのか」と、猛。


「だから、のれんだよ」

「それが、ちゃうんですわ」


 なんか畑中さん、僕らの会話に、しぜんに入ってくるなあ。聴取って感じがしない。


「ガイシャの手についとったカギ、どこのやったと思います?」

「え? ロッカーのカギでしょ?」


 そのへんのロッカーを僕は示す。

 畑中さんは首をふった。


「これが、女湯のやったんです。カギのあうロッカーんなかから、ガイシャの服が一式、出てきました」

「つまり、女湯で脱いで……」

「そのあと男湯に入ってきたってわけですか」


 僕の言いきるのが、もどかしいように、後半を蘭さんにセリフとられた。


「まあ、そういう状況ですなあ」


 細野さんが自分で全裸のまま男湯に入ったとは思えない。そんなこと、絶対にありえない。


 ということは、何か?

 誰かが細野さんを、むりやり男湯につれこんだんだ。


「聞きづらいんですけど……」


 僕が言いかけると、またもや蘭さん、セリフを奪取。


「暴行は受けてないんですか?」


 歯に衣着せない人だ。蘭さん。


「ないんです」


 蘭さんは続ける。

「まあ、そうですよね。暴行するだけなら、わざわざ男湯まで、つれこまなくてもいいんだ。女湯に入りこめたってことは、細野さん以外に人はいなかったってことだから」


 蘭さん。少しは衣きせたほうが……。


 しかし、それなら、同じことは殺人についても言える気がする。

 だって、全裸のとこをおそわれたら、ふつう女の人って、ものすごい抵抗するでしょ。細野さんは『怖くて声も出ませんでした』ってタイプの人じゃない。どっちかっていうと気は強そう。あばれる細野さんを男湯までつれてくって、そうとうな重労働だったはず。


「女湯から男湯。しかも、露天までって言ったら、けっこうな距離だよね。たしかに細野さん、やせてたし、体重は軽かったはず。犯人が男なら、つれてくことはできなくはないと思う。けど、あの距離、運ばれてたら、さわぐし、パンチの二、三発はお見舞いしてるよね。細野さんなら」


 蘭さんが応える。


「運んでるあいだには、もう意識がなかったかもしれませんよ。もし犯人が女なら、女湯で殺しておいて、男湯に運んだのかも。全身に、すり傷があったのは、そのせいじゃないかな。男湯に入れておけば、暴行目的の男の犯行に見える」


 さすがは蘭さん。ミステリー作家。

 細野さんの体重なら、女の人にも運べたかも。

 が、僕が感心したのも、つかのま。

 畑中さんは、さらにミステリーを複雑にする。


「ところが、女湯のほうには、朝八時から八時半すぎまで、泊まり客が入っとったんです。女湯で殺して……ちゅうのは、ムリですな」


 もしかして、畑中さん。解けないナゾを楽しんでるんだろうか。なぞなぞを出す小学生みたいに、うれしそうだ。


「こっちも句会のかたですがね。年寄りは朝が早いんですな。風呂のあく八時ちょうどに来て入ったそうです。四人でね。そのあいだ、女湯に入ってきた人はおれへんと証言してくれました」


 蘭さん、悔しそうに、だまりこんだ。

 そうか。畑中さん、美形で自信満々の蘭さんをやりこめられるのが、うれしいのか。あんがい、イケズだ。やっぱり、京都人なんだな。


「ま、少し円通寺ちゃうかと思わんでもないんですが。向こうはんは、絶対と断言してはりますな」


 畑中さんが言うなら、まちがいないだろう。


「いくら耳遠くても、殺されそうなら、ものすごい声あげるよね。お年寄りでも気づくはずだよ」


「いっそ、かーくんの、のれん入れかえ説を取り入れましょう。だまして男湯に誘いこんで、犯人は細野さんを殺した。そのあと、服だけ、こっそり女湯に持っていったんです」


 くすっと、猛が笑う。


「細野さんが、かならず朝風呂に来るってわかってたんなら、それでもいいけどな」


 あっ、そうか。細野さん一人を男湯に誘いこむためには、すぐ近くで、ずっと待ちぶせとかなきゃいけないんだ。


 細野さんが来るのを見たら、急いで、のれんをつけかえる。しかも、まんまと男湯に入らせたとしても、誰かがやってくる前に、またすぐ戻しとかないといけない。それで殺して、服、運んで……ちょっと、きわどすぎる犯行だなあ。

 そもそも、細野さんが一人で来てくれる保証はない。誰かと、つれだって来るかもしれないし、朝風呂なんて来ない可能性もあるんだ。


「うーん、たしかに行きあたりばったりすぎるか。確実性に欠けるなあ」


 蘭さん、自分の推理の間違いを認めるのが悔しいのか、まだ、ねばる。


「犯人は女の人なら誰でもよかったんじゃ?」

「それなら、八時にやってきた句会の女の人でも、よかったろ?」


 猛もイジワルなんだから。


「犯人の好みからは高齢すぎたんですよ」

「そうだな。細野さんは美人だし、畑中さんくらいの年齢の人から見れば、じゅうぶん、若い」

「そうでしょ?」


 蘭さん、満足そう。

 猛は納得してない顔だけど。

 なので、そのまま、畑中さんに、たずねる。


「いちおう聞きますけど、畑中さん。大浴場は男湯も女湯も、毎日、掃除されるんですよね?」


 畑中さんは僕らをろうかへつれだした。女将さんから、ちょくせつ話を聞かせてくれた。


「へえ。十時半にお客さまの入浴時間が終わりましたら、従業員が手のあいたもんから使うんどす。掃除は十一時半くらいからどすなあ。毎日、男湯も女湯も、お湯ぬいて洗うてます」

「十一時半?」

「へえ。遅いときには十二時すぎることもおまっせ」


 そんなバカな。昨日は十時すぎには清掃中のふだが……。


 猛は、にぎりこぶし。

 蘭さんも指さきで、くちびるをなぞる考え中のポーズ。


 はッ。僕も考えねば。

 そうだ。きっと従業員の人がズルして、早めに札かけたんだ。いわゆるサボタージュですね。

 それにしても、僕には考え中のポーズがない。みんな、いいなあ。僕も、なんか、そんなクセ、作ろうかなあ。


 なんて、つまんないことで悩んでると、猛が口をひらいた。


「清掃中には、もちろん、遺体はなかったんですよね?」

「そんなんあったら、えらいさわぎになっとります。なんぼなんでも、気づけへんわけがおまへん」

「それはそうだ。人間の体は暗くて見えなかったってサイズじゃない」


 猛は沈思黙考してしまった。


 だから、その後の警察の聴取に、おもに協力したのは僕だ。

 聞くだけ聞いといて、答えないってのは、兄ちゃん。人非人のやることだよ。そのくせ、急に聴取と無関係のこと質問したりして。


「畑中さん。細野さんは露天風呂のどのへんに倒れてたんですか?」


 僕らは洗い場までしか行かせてもらえなかった。

 昨日、蘭さんが平泳ぎしてた浴槽の向こうに、ガラスごしに露天風呂が見える。その露天風呂のまんなかを、畑中さんは指さした。


「あそこだよ」


 うっ。やだなあ。湯が赤いよ。夢に見そう。

 けど、思ってたほど血の海じゃなかった。滝の湯で薄まったのかな。

 それで、僕は滝を見た。


「あれ、滝、とまってる」

「毎朝、自動で流れだすらしいんですけどな。捜査のジャマなんで、止めてもろたんです」


 とうぜんか。鑑識さん、ずぶぬれになっちゃうもんね。

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