三章 死体は温泉に入りましょう 3—1

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 翌朝、僕らが目をさましたのは、九時前。


 なんとなく、周囲が、さわがしいような気がした。それに反応して猛が起きだす。僕は、その気配で。僕の気配で三村くんが、という連鎖反応。


 目をあけたら、まんまえに、ドアップで、スリーピングビューティーがいたんで、僕はとびおきた。

 なにしろ、浴衣のすそ、はだけて、指しゃぶってる。


「ひゃああッ」とかなんとか、おかしな声を発してしまった。

「かーくん。朝から、何さわいで——」


 とがめようとした猛も、途中で、だまりこむ。三村くんも、かたまってる。


「この人、やっぱ、ヤバイよ」

「ああ。ヤバイな」

「指しゃぶり、やめェや。エロいで」


 なっとくしたように、猛が言う。


「つまり、あれだな。女に見える瞬間がヤバイんだ。とにかく起こそう。指しゃぶり、やめさせよう」


 たしかに。


「蘭さん。起きて。朝だよ」


 そっと、ゆりおこす。

 すると、赤い口をむぐむぐ動かしてた眠り姫が目をあけた。あわいブラウンの瞳が、僕を見つめる。

 その瞬間、蘭さんは、とびおきた。しゃぶっていた親指を、さッと背中にかくす。


「見た? 見ましたね?」


 蘭さんは自分の子どもっぽいクセを恥じているようだ。が、僕らは別の意味で恥ずかしかった。

 あやうく、朝から、昨夜あたためあった友情を粉みじんにしてしまうところだ。あわてて、話をそらす。


「え? 見るって、なにを?」

「ほら、着替えて朝飯にしよう」

「今日は鞍馬寺から貴船神社まわる言うてたよな。今井さんらも行くんかな」

「………」


 僕らを観察した蘭さんは感づいた。勘、いいからなあ。


「やっぱり見たんだ! 恥ずかしいっ」

「もしかして、そのクセあるから、修学旅行、やめたの?」

「聞かないでっ」


 たしかに、あのクセあったら、男子校生なんか、イチコロだ。


 蘭さんは肩をおとして着替えだした。和風コスプレやめたんで、ふつうにTシャツとデニム。


「それにしても、なんか、さわがしいね。なんだろう」

「風呂場のほうだな」


 僕らはフスマをあけて、ろうかをのぞいた。

 ちょうど、そこへ、愛波さんたちが、やってくる。女の人の浴衣姿、ほっとするなあ。

 うれしくなって、声をかけた。


「おはようございます。今から、お風呂ですか?」

「そうです。朝食まえに」

「いいですねえ。僕らも、そうしよっかな」


 愛波さん、今井さん、藤江さん。

 あれ? 一人、たりないぞ。


「細野さんは?」

「さっき見たら、姿が見えなくて。起きたあとだったみたいです」

「さきに一人で朝ぶろかもね」

「そうだと思います。昨日は、ずいぶん早く、寝てしまったみたいだから。わたしが相部屋、たのもうとしたときには、もう寝息が聞こえてました」

「じゃあ、結局、今井さんや藤江さんと同じ部屋で寝たんだ」

「そうです」


 あの部屋で泥酔した今井さんたちとか。つらそうだな。

 で、その今井さんはというと、


「頭がガンガンするよォ。二日酔いの薬、持ってきとくんだった」


 一夜の快楽に対する天罰を受けていた。


「うち、持っとるえ。ひなちゃん、どうせ、用意してへんと思うて」

「ありがと。持つべきは友だ。お風呂入って、薬飲んで、早くサッパリしよ」


 そう言って歩いていったのに、しばらくして、今井さんたちは帰ってきた。ついていった愛波さんが、けげんそうな顔で言う。


「お風呂、なんか変でしたよ。立ち入り禁止になってました」

「え? ほんとに?」

「なかのほうに警察の人がいたような」


 それを聞いて、僕らは落ちつかなくなった。


「行ってみるか」と、猛が出ていくので、追っていく。

 毎度のごとく、僕は猛のストーカー。なんたって、かーくんの『か』は『カルガモ』の『カ』だし。


 蘭さん、三村くんも、ついてくる。

 四人で大浴場まで行くと、着物姿の女将さんや宿の人たちが集まっていた。僕らを見て、仲居さんが女将さんに耳打ちする。女将さんが僕らのほうに、やってきた。


「昨日、女の人、探してはった人らどすなあ」


 細野さんのことか? いやな予感だ。


「警察のかたが来てほしいそうどす。来とくれやっしゃ」


 警察——やっぱり、そうなのか。


 案内されたのは男湯だ。

 ガラリと女将さんが引戸をあけると、なかには見なれた鑑識の人々。入口近くで、なにやら話していた刑事が、こっちを見て、渋面をつくった。


「また、君たちか……」


 はいはい。また僕たちですよぉ。栗林さん。


 いやな顔されても、猛は、めげない。

「細野さんに何かあったらしいですね」


 畑中さんも、どっかから現れる。

「おう。君らか。ええなあ。豪勢な旅館で、うまいもん食って。こっちは、このとおり、遊んどるヒマありませんわ」

「細野さんが、どうかしたんですか?」


 畑中さんは僕らを男湯のなかに招き入れた。


「君ら、顔、確認してくれるか?」

「いいですよ」


 ——って、猛。かってに安請け合いするなよ。僕は、ヤダ。


 しかし、それは来た。

 ちょうど死体袋に入れられて、運ばれてくるところだった。

 畑中さんが袋のジッパーをあける瞬間、僕と三村くんは目をそらした。蘭さんは笑った。ニヤっとね。猛は冷静。


「間違いありません。細野さんです」

「君ら、被害者と泊まりに来てたんやって?」

「部屋は別ですが」

「なんや、被害者、昨日も姿消したんやってな。くわしく聞かせてもらえまっか?」


 猛が要領よく宴会のもようを語る。兄ちゃん、ほんと、なんでもよく覚えてるなあ。


 話しおえると、今度は猛が質問した。

「ところで、ここ、男湯ですよね。細野さん、ここで亡くなってたんですか?」


 そう。それ。それは僕も気になってた。


 畑中さんは太い腕を組み、うなり声をあげた。


「そこなんですわ。いやあ、まったく、わけわからん」

「どういうことですか?」


 猛にほだされて、畑中さんが教えてくれた内容は、こう。


 本日、朝八時半すぎ。

 団体で来ている句会のメンバー(あの老人たちか)が朝風呂に入ろうと、男湯にやってきた。すると、露天風呂にプカプカ人が浮いている。しかも、よく見れば、それは女性。裸体。全身に、こすったようなあとと、数カ所の骨折。後頭部に裂傷。首にはヒモ状のもので、しめられたあともある。


「裸ってことは、お風呂に入ってたのかなあ」

 と、つぶやく僕に、蘭さんが応じる。


「男湯ですよ?」

「間違ったとか」

「入口にデカデカと男湯って書いてありますけどね」


 正確には、のれん。


「あ! 誰かがイタズラで、のれんを入れかえたんだ。それで、細野さんが入ったあと、もとに戻した」


 清掃中のふだをうばってきた昨夜の蘭さんのご乱行を思いだして、僕は、ひらめいた。しかし、僕の考えは猛に否定された。


「初めて大浴場に入る客なら間違えるかもだけどな。細野さんは昨日、入ってる。のれんだけ交換しても、変だと思うだろ」

「日によって男湯と女湯が入れかわる温泉だと思ったんじゃ?」

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