一章 人形は、かくれんぼしましょう 3—4


「また来てくださるんですか?」

「ええ。オジャマでなければ」

「ジャマだなんて。毎日でも来てもらいたいくらいだ」


「ほな、蘭。おれが責任持って、送り迎えしたるわ」


 三村くん、こうやって、ズルズル弟子入りする気だな。


 五時になった。

 しまった。タクシー、待たせっぱなしだ。いくらチップ一万だからって、もう帰っちゃったんじゃないのか?


「兄ちゃん。五時だよ。タクシーが……」

「そうだな。そろそろ帰るか」


 京塚さんと細野さんも言った。


「わてらも帰りますわ」

「じゃあ、わたしも失礼します。新作が見れなかったのは残念だけど」


 細野さんは自家用車がある。外の真っ赤なやつだ。

 なので、蛭間さんは京塚さんたちを送ることになった。


「あたしたち、ここ、片づけとくよ。六時半だからね。ケンさん。なんなら、直で来て」

「わかった」


 友人どうし、貴船神社近くの料亭で、川床を予約してあるのだ。


 蛭間さんが青い車に京塚さんたちを乗せて出ていく。そのあとを真っ赤なポルシェが追って出る。


 立川さん、今井さん、藤江さんは、愛波さんが川床まで送っていく。うらやましい。


 僕は帰りじたくをしながら、ふと気づいた。


「あれ? 立川さんは?」


 いつから、いなかったんだろう?

 記憶にない。


「ほんまやねえ。どこ行ったんやろ」

「タバコじゃなーい? そのうち帰ってくるよ」


 藤江さん、今井さんは、のんびりしたもの。


 だが、猛は眉間にしわをよせた。


「いや。タバコにしては遅すぎる。おれ、見てたけど、あの人が部屋を出てったのは、四時十分ごろだった」


 だんろの上の高価そうな置き時計をさして、猛が言う。


 このとき、僕は何か違和感をおぼえた。

 なんか変だぞ。おかしいぞ。でも、何が?

 僕が考えてるうちに会話は続く。


「わたしが見かけたときは、細野さんと書斎で話してましたけど。わたしがキッチンでカボチャを炊いてるときです」と、愛波さん。


 でも、ガラス壁ごしに見える書斎は無人だ。


 そうこうしてるうちに、京塚さんを送っていったはずの蛭間さんが帰ってきた。え? 速すぎる。


「そこにタクシーがいたので、京塚さんには、それで帰ってもらいました」

「あッ、それは僕らの……」

「だそうですね。かわりに、私が送りますよ」


 うーむ。ちゃっかりしてるな。蛭間さん。送れば自宅の場所、わかるもんね。ほんとに、ストーカーなのか?


 蘭さんは、こういう人の対処には、なれていた。


「では、地下鉄の駅まで送ってもらいましょうよ。そのあと、外食しましょう。ね? かーくん。猛さん。宝ヶ池に僕の好きなフレンチの店があるんです」


 外食をことわる猛ではない。


「いいな。そうしよう」


 蛭間さんは残念そうだが、話は、まとまった。


 だが、そこで問題が発生した。

 ぎゃあッと変な声をあげたのは、三村くんだ。


「ない。ない。おれの人形、どこ行ったんや?」


 さあッと青ざめたのは、猛だ。人間って、こんなに血の気ひくもんなんだねえ。


「おまえが片づけたんじゃないのか?」


 そうか。さっき、僕が感じた違和感の正体、それか!


 だんろの上にならべてあった、僕と猛と蘭さんの人形。いつのまにか、僕と猛だけ、なくなってる。蘭さん人形だけが、ぽつんと残されて、さみしそう。


「ちゃう。ちゃう。おれ、ちゃうで」

「三時半ごろ、おれがトイレから帰ってきたときには、なかった。三村がしまったんだとばっかり……」


「今日は人形が消える日だねえ。きっと、みんなで、かくれんぼしてるんだ」


 いやいや。今井さん。冗談じゃないですよ。


「探しますか?」と、愛波さん。

「いや、ええわ。蛭間さんに見てもらうために作っただけやし。なんべんも悪いんで」


 三村くんは遠慮した。が、


「ダメだぞ」


 反論したのは、もちろん、猛。

 うわあ。兄ちゃんの、こんな悲愴な顔、初めて見た。


「探そう。かーくんが……おれのかーくんが行方不明に!」

 頭かかえてる。


 僕も猛人形は、ちょっと惜しい。けど、あろうことか、猛はこんなことまで口走った。


「持ってくなら、蘭の人形にしてくれればいいのに!」


 あ、蘭さん。すねたね。

 もう、兄ちゃんはどうして、そんな無神経なセリフ、言っちゃうのか。


 蘭さんの目が鋭利に光る。


「そうなんだ。ふうん——蛭間さん。もう一度、アトリエを見せてくださいよ。やっぱり僕も蛭間さんたちと川床に行こうかな。でも今からじゃ、人数、変更できないですよね」


 蛭間さんの腕をとって、らせん階段をのぼってく。


 ああ、もう、蘭さんてば。あとでどうなっても知らないからね。そんな、蛭間さんを有頂天にさせちゃって。


「猛のバカ」


 僕は猛のわき腹に、ひじてつ入れた。


「すまん……だって、蘭のやつは本人にくらべたら、出来がイマイチだったろ。三村には悪いけど、本人、見てれば充分だ」


「そういうことは、蘭さんの前で言いなよねえ。蘭さんが川床、行っちゃったら、どうするよ?」


 猛が切なそうな顔するのは、もちろんフレンチをのがしてしまうからだ。

 が、なんか女の人たちは勘違いしたようだ。今井さんなんか、カマボコみたいな目で笑ってる。


「やっぱり、そうなんだ。美形って!」

「そうって、何がです?」


 猛、意味がわかってない。

 僕は、わかったよ。なんでかって? だって、高校くらいのとき、よく女の子と間違われて、ナンパされたからね。


 今井さんは猛の背中をたたいた。


「いいの。いいの。お似合いだよ」


 今度は気づいて、猛はハッとする。しかし、弁解してるヒマはなかった。

 そのとき、とつぜん、二階で悲鳴があがった。


「——蘭ッ?」


 いちはやく、猛がかけていく。

 この姿を蘭さんにも見せてあげたい。


 蘭さん、猛は、ちゃんと蘭さんのこと心配してるよ。


 僕らは、てっきり、二人きりになった蛭間さんが、蘭さんに、なんかしたんだと思った。

 だが、二階に行ってみれば、それどころじゃない。アトリエの前で腰をぬかしてるのは、蛭間さんのほうだ。蘭さんは、かたわらに立っている。両手で口をおおってるものの、目は冷静。


「蘭、どうかしたのか?」


 血相かえて、かけつけた猛を見て、蘭さんは機嫌を直した。

 フレンチ復活か?


「大変なことになりました。あれを見てください」と言っときながら、僕らが近づくと、蘭さんはストップをかける。

「待って。女性は見ないほうがいいかも」


 え? なんか、いやな予感……。


 猛はアトリエのなかに首をつっこんだ。そして、ふりかえり、

「蘭の言うとおりだな。女の人たちは、さがって。蛭間さん。今度こそ、警察を呼ばないと」


 僕は女じゃないから、猛たちのスキマから、なかをのぞいた。見るんじゃなかった。


 またか……そうなんだね。またなんだね。


 僕らは、またもや、殺人事件に巻きこまれてしまった。

 アトリエには、立川さんの死体があった。飾りだなのなかに、きゅうくつそうにヒザをまげて。青ざめた顔が、ガラス戸ごしに見えた……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る