一章 人形は、かくれんぼしましょう 3—1
3
蛭間さんが先頭に立ち、そのうしろを猛がついていく。あとは、ゴチャゴチャだ。
二階は三室。
ここも、まんなかに、ろうか。両側に一室ずつ。つきあたりに一室という間取り。
ただし、一階奥が階段だから、一階と方角は逆向き。つまり、つきあたりの部屋が玄関の真上だ。
二階は普通の壁で、ガラスじゃなかった。
なにげに僕は「こっちですか?」と、左手(キッチンの上)の部屋を指さした。
すると、蛭間さんは口ごもった。
「そっちは……カギがかけてある」
なんか、妙な間だった。
それ以上、聞くのが、ためらわれるような感じ。
「すいません」
「こっちだよ」
蛭間さんは右手のドアをあける。
書斎や居間の上にあたる部分だ。
「こっちはカギかけてないんですね」
「一人暮らしなのに、無意味だろう?」
じゃあ、さっきの部屋は?
まあ、いいけど。うちなんか、三人暮らしでも、カギかけないし。
蛭間さんのあとに続いて、みんなで、ぞろぞろ、なかへ入る。
アトリエは広かった。
大きな作業台が、まどべにある。そこからイチョウ並木が見えている。
三畳ぶんぐらいの作業台の上には、つくりかけの人形のパーツや工具が置いてある。ガラスの目玉とかね。人形用の小さいやつが、色とりどり……。
パーツを焼くための窯っていうのは、陶芸みたいな大きいのじゃなかった。パン屋のオーブンみたい。コンピューター制御の電気窯らしい。
問題の戸棚というのは、部屋の一番奥にある。居間の飾りだなに、そっくりだ。もしかするとセットなのかもしれない。ガラスの両とびら。花やツル草が浮き彫りにされた木製の外面。
三段にしきられた内部には、三十センチ前後の人形が数体。
一番下の段は他より高さがとってある。五十センチ近い大きめの人形が、かざられている。蛭間さんの作だ。あの今にも動きだしそうな、人間っぽい子たち。
「この人形は新作ではないんですね?」
猛が問う。
蛭間さんは皮肉な笑みを見せた。
「彼女たちは私の生活のために売られていく子たちだ。どうだい? お父さん、わたしたちを売らないでって声が聞こえるだろ?」
「すいません。おれはアーティストじゃないので」
「ああ。君は人形の声が聞こえないタイプの人か」
僕は聞こえるよ。猫とも話せる。
「心配しなくても、この子たちには魂は入ってない。以前、ヨーロッパでモデルにした子を量産しただけだからね。だから、みんな画一的な顔だろ?」
「つまり、精魂こめて作った作品じゃないと?」
「現実的な対訳をすると、まあ、そう」
やっぱり、芸術家は変わってるなあ。
「カギを見せてもらえますか?」
猛が言うと、蛭間さんは上着のポケットから、小さくて装飾的なカギをだした。猛はビニールをした手でカギを受けとる。
「アンティークなんですね。単純な形だ」
うん。丸い筒に二、三本、突起がついてるだけ。
「まあね。ピッキング犯なら失笑するんだろうな。これまで盗難の心配したことなんて、なかったんだ」
「ピッキング犯なら
猛はそう言って、カギを見たあと、とだなに手をかけた。ガラス戸は、すんなり、ひらいた。たしかに、ドロボウにカギをあけられている。
「問題の人形は、どこに置いてあったんですか?」
「ここだよ」
ちょうど、まんなかに一体ぶんのスペースがある。
「大きい人形だったんですか?」
「四十二センチ」
よくわからないけど、ビスクドールにしては大きいと思う。
「誰が動かしたにしろ、それでわかったのかな。その人形が新作だと」
僕は気になって、言わずにいられなくなった。
「その子を気に入ったから持っていったとかじゃないの?」
「新作発表の日に新作だけ持っていったんだ。ねらったんだと思うぞ」
「まんなかにあったから、目についたとか?」
すると、蛭間さんが言った。
「いや、誰でも、ひとめで、それが新作だとわかったはずだ。だが、気に入って持っていったとは思えない。わたし以外には、なんの価値もないからね」
ひとめでわかるけど価値がない……どんな人形だ?
猛が聞いた。
「どんな人形ですか?」
兄弟のシンクロ率高し。
「私がモデルなんだよ」
僕は青ざめた吸血鬼顔の蛭間さんを見つめた。そりゃまあ、陰気すぎるのをのぞけば、ノーブルな英国紳士風と言えなくもない。けど、あの夢見るような目をした女の子の人形たちのなかでは、あきらかに異色。著名な作家だから、名前だけで売れるとは思う。金銭目的って可能性はある。
とはいえ、そんな人形、僕は欲しくないな。かわいくない。
蛭間さんは僕らの顔を見て、笑った。心の声、もれてたかな?
「最初から売り物にするつもりじゃなかった。実験なんだ。魂の処遇についての研究というか」
「それは、どういう意味ですか? 訳してください」
兄ちゃん。もうちょっと言葉に気をつけようよ。アーティストは繊細なんだから。
「うん。君たちは私のウワサは知ってるかな?」
訳してくれるんだ……。
「三村から聞きました。悪魔と契約したとかなんとか。もちろん、デマですよね?」
つかのま、蛭間さんは、ちんもくした。なんでた。デマじゃないのか?
「……もちろん、デマだ」
ですよね。ほっ。
だが、蛭間さんは続ける。
「ただ、まったくのウソっぱちでもない。モデルが死んだのは事実だ。私の人形はモデルの魂を吸いとるんだ、なんて世間じゃ言うらしいじゃないか。これは実験なんだよ。もし、これで、私が死ねば、ウワサは真実だってことになる」
「なるほど。逆に何も起こらなければ、ウワサはデマだったってことになる——というわけですね?」
「そう。でも、その人形が消えたんじゃな。まさか、自分でカギをあけて出ていったのかな? 私の魂を吸いとりつつある」
いやだ……魂を吸いとり、自力歩行する人形。ホラーだ。
ところが、猛は力強く断言した。
「それは不可能です。蛭間さん」
「なぜ?」
「たとえ、人形が動けたと仮定してもですよ? とだなのカギは外からしか開閉できない。中から、あけることはできないんです。だから、人形を持ちさったのは人間です」
蛭間さんは絶句した。
たぶん、ふだん相手にしてる人たちとは勝手が違いすぎて、あきれたんだ。
「君……なんだか、すごいな」
その言葉は僕には『君、ロマンがないね』と聞こえた。
「論理的に考えただけです」
猛は現実主義者だからね。といって、科学万能主義じゃない。
「じゃあ、現状はわかりました。とりあえず、どこかに人形が落ちてないか、みなさんで探しましょう」
人形がそのへんに落ちてるわけがない。これは猛の温情だ。
蛭間さんが訴えないって言ってくれてるんだから、今のうちに返しとけっていう、メッセージ。
「そうだね。では、いちおう、カギはしめておこうか」
蛭間さんが要求したので、猛がカギを渡す。そのカギをカギあなに、さしこんだ蛭間さんは顔をしかめた。なんだったのか。
「まあいいよ。今さらカギは必要ない。じゃあ、手分けして、さがそう」
たなの中の人形のいなくなったスペースに、蛭間さんはカギを置く。
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