一章 人形は、かくれんぼしましょう

一章 人形は、かくれんぼしましょう 1—1

 1



「うわあッ、かーくんだ! かーくんだあ!」


 夏だ。盆地だ。京都は暑い。

 そりゃ、蘭さんのおかげで、わが家も全室エアコン付きにはなったよ。だからって、どの部屋も二十四時間、クーラーつけっぱなしにできないじゃないか。ひかくてき涼しい午前中は節電してるのだ。キッチンでガス使ってると、汗、したたりおちるよね。


 このクソ暑いってのに、うちの兄は、さっきから玄関さきで、何をさわいでるのか。

 だいたい、「かーくん。かーくん」と、さけんでるけど、『かーくん』は僕のあだ名だ。


 姓は東堂。名は薫。

 二十三さい。彼女いない歴二年と半年。別れた理由は「ごめん! 薫のあんちゃん、好きになってしもた!」

 いつものパターンだ。


 弟の僕が言うのもなんだが、兄はカッコイイ。そんじょそこらの『カッコイイ』じゃない。超カッコイイ。長身で超ハンサムで、なんで芸能人にならないの?ってくらい。


 だけど、僕はここにいるっていうのに、「かーくん。かーくん」と、わめきたてる兄のお脳のぐあいは、大丈夫なのか?


 僕は心配になって、ゆでた冷麺をザルにあげた。玄関に向かう。


「猛。さっきから、なに言ってんの? 僕、こっちなんですけど」


 猛は一人ではなかった。

 玄関には僕らの友人、三村くんが立っている。


「わあ、三村くん。ひさしぶりぃ。アメリカから帰ってきたんだ」

「んん、こないだなあ」


 三村くんは猛と同い年の二十六さい。いや、誕生日によっては、もう二十七か。

 前はアニメの女の子のフィギュア製作で食ってた。が、先行きに悩んで、しばしば自分探しの旅に出る。

 芸術家とは思えないチンピラ風貌の大阪人。


 ん? 待てよ。なんで、三村くんに会って、「かーくん。かーくん」さわいでたんだ?


「あ、そうか。僕を呼んでたのか」


 それにしちゃ、えらいさわぎようだったが……。


 猛は、いつも泰然とかまえて、むだにさわぐタイプではない。

 いったい、なにごと?

 見れば、猛は目をうるませて、人形をだっこしていた。


 ぎゃあッ。兄ちゃんが狂ったあーッ!


「兄ちゃん、お願いだから、あぶない人にはならないでッ!」

「だって、かーくん。かーくんなんだよ」

「かーくんは僕」

「こいつも、かーくんだ」


 世にも幸せそうな顔して、猛は、それをかかげてみせた。


「な? 小二のころの、かーくん」


 こ……これはっ!

 幼児っぽい体形。

 絶妙なアヒル口。

 悩みのなさそうな目つき。


 僕だ。子どものころの僕。

 ただし、八分の一スケール。

 小人の僕だ。


 もちろん、人形だ。


「わあ、すごい! これ、三村くんが作ったの? こんなに女の子っぽくはなかったけど、でも似てるよ」

「なに言ってるんだよ、かーくん。そっくりだぞ。一番、可愛かったころのかーくんだ」


 猛め。うるさい。女顔コンプレックスなのに。

 それで、はしゃいでたのか。

 猛は長身、超イケメンだけじゃなく、超絶のブラコンなのだ。


 というのも、わけがある。

 うちの東堂家には、先祖が受けた呪いがある。一族に長命な男子が一人いて、あとは全部、若くして死ぬ——という呪いだ。僕らの親も親戚も早くに亡くなって、いまや兄弟は二人きり。

 つまり、僕か猛のどっちかが、必ず早晩、昇天してしまう運命だ。


 そんなわけがあって、僕らは兄弟のきずなをとても大事にしている。でも、猛のは、ちょっと行きすぎ。


「わかったからさ。そんな大声ださないでよ。蘭さん、まだ寝てるんだから」

「あ、悪い。悪い」


 ぜんぜん悪いと思ってない顔だ。

 とろん、としちゃってさ。

 マタタビかいだミャーコ(愛猫)だね。


 ちなみに、蘭さんは僕らの下宿人……というか、パトロン?

 売れっ子のミステリー作家で、僕らの生活の経済的面倒を見てくれている。


「はあ、カワイイなあ。このかーくん、おれにくれよ」

「ええで。それ、習作やしな。ほんで、ほれ。こんなんも、あんで」


 おおッ、紙袋から出てきたのは——


「猛だあ! 猛だ。猛だ。兄ちゃーん。そうなんだよねえ。小六のタケルぅ。ガキんちょのくせに、妙にキリッとしてさあ。このころの猛はねえ。成績優秀。スポーツ万能。スーパー小学生だったよね。スーパー中学生にスーパー高校生……ああ、でも今は、このていたらくかあ……」

「かーくんだって、さわいでるぞ」


 はッ。しまった。あこがれ(だった)の兄ちゃんを見て、つい興奮してしまった。


「ごめん。ごめん。この猛、僕も欲しいなあ」

「ええで。それも習作やし」


 習作、習作って、なんか失礼だなあ。


 すると、僕の心を読んだように、三村くんはニヤッと笑った。ふたたび、ガサゴソと紙袋が鳴る。

「どや!」という、その顔は、まさにドヤ顔。


 はうッ!


 僕は自分をオタクともヘンタイとも思ってない。でも、人形を見て胸がドキュンッてなったのは、オバケ屋敷以外では初めてだ。


「これ、ヤバイよ!」

「せやろォ」


 それは、とんでもない美少女の人形だ。パッチリ二重の西洋人の子どもみたい。白い肌に、ほんのりピンクのほお。どう見ても、ソフビかなんかでできてるんだけど、乳白色の色合いが、まるで人肌。くるんと上向きのまつげは、たぶん市販のツケまつげなんだろうなあ。


「カワイイなあ。こんな子いたら、さらうよね。美少女」

「美少年だろ。だって、これ、蘭だ」


 あ、そうか。よく見れば、なるほど。蘭さん。


 僕らは声をそろえて笑った。


「そっかあ。そりゃ、さらわれるよねえ。可愛すぎィ」

「ガラスに入れて飾っとくよなあ」


 笑いあってると、二階からトントンと、階段をおりてくる足音。


「なに、さわいでるんですか? 目がさめちゃいましたよ」


 アクビをしながら、ろうかを歩いてくる蘭さん。


 僕らは人形と実物を見くらべた。

 おおっ、さすがは本物だ。

 たとえアクビ中でも、寝グセついてても、パジャマ姿でも麗しい。


 三村くんは、深く、ため息をついた。


「あかんなあ。ええ出来やと思てんけどなあ。やっぱ、モノホンには、かなんわ」


 うーん、たしかに、じゃっかん、見劣りするかな? 土台、蘭さんを再現するなんて、ムチャだって。


 うちの猛も、そうとうのイケメンだ。が、蘭さんは、そういうんじゃない。もうね。絶世の美青年。こんなに綺麗な人、この世に存在してもいいのかって思うよね。


 おかげで、蘭さんは子どものころから数々のストーカー被害にあってきた。変質者にさらわれそうになったり。硫酸あびせられそうになったり。


 僕らと暮らしてるのは、友だちだからってのもある。けど、それ以上にボディーガードが必要だからだ。


「あ、なんですか! それ」


 蘭さんは僕らの手元を見て察した。

 僕は猛人形、猛は僕人形、三村くんは蘭さん人形、にぎってるしね。


「なんで僕だけ、そんな変な服、きせられてるんですか? こんなの露出狂でしょう」


 蘭さんだって、いつも変な服、きてるくせにぃ。と思うのだが、僕らは誰も何も言わない。それについては、のちほど、くわしく。


 たしかに、蘭さんドールだけ、レース編みのすけすけのやつをきせられていた。それがまた人形の白い肌にあいまって、なんか、エロい。似合ってるなあ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る