13.ただの一度も勝利はなく、ただの一度も理解されない

 武蔵というサーヴァントを通して、俺は決定的にFGO運営を信じなくなった。奴らは『好きなゲームを運営維持してくれる方々』ではなく『俺を苦しめるために卑怯な手段を講じてくる連中』になったのだ。

 だから俺はもう、あらゆるクエストに万全の体制で挑むことにしている。

 殿しんがり絆礼装きずなれいそうのヘラクレスを置き、攻略サイトを読み、一番欲しいサポートサーヴァントを借りられるまでリストを更新する。

 正直、全く楽しくない。

 それでも、自分の好きなサーヴァントを育てられれば、満足だ。俺はしのサーヴァントを集められて、聖杯を全部手に入れて、好きなサーヴァントをガンガン育てられれば満足だ。

 もう、シナリオにもなかば興味はない。

 全部終わったらニコ動かなんかで見れるだろうし。

 素晴らしいシナリオを読むための手順として、戦闘があまりにもくだらなすぎる。戦闘でイライラさせられてばかりで、全く物語が頭に入ってこないのだ。


 苦しい。


 辛い。


 憎い。


 恨めしい。


 だが、本当の地獄はここから始まったのだった。




 当然だが、こんな俺でもフレンドでいていいと言ってくれた方々がいる。リアルでの二十年来の友達だったり、ネットを通じて仲良くしてくれてる創作仲間だったりと、様々だ。

 正直、そうした親しい方々がいなければ、ここまで生き残れなかっただろう。

 誰もが皆、自分の推しサーヴァントを愛し、熱心にゲームを攻略し、新たな旅に好奇心と探究心を輝かせている。

 とてもまぶしい人たちだ。


 そう、眩しい。


 眩し過ぎる。


 何故なぜ、どうしてそこまで輝けるのか。


 なんで、このゲームでそんなに楽しそうなのか。


 俺にはわからない。

 理解できない。

 同じゲームをやってて、どうしてあの人たちは楽しそうなんだろう? 何故、俺だけが辛くて苦しくて、いつも嫌な思いをしてるんだろう? 俺がバーサーカーばかり育てたからか? 好きなサーヴァントを優先して育てることは悪なのか?

 わからない。

 まるでお互い、別のゲームをやってるような違和感がある。

 でも、それを指摘したりはできないし、責めるのはお門違かどちがいなのだ。

 その人たちは純粋に、FGOが楽しい。

 俺は同じように純粋に、FGOが憎い。

 ベクトルが違うだけで、心を揺り動かされているのは同じなのだろう。


 でも、それに気付いてから俺はずっと、辛くて、さびしくて、悲しかった。目の前に今、沢山の料理が並んだ楽しいパーティ会場がある。そこでは、FGO仲間が皆、楽しく語り合い、食事をして酒を飲み、FGOを通して得たもの、喜怒哀楽きどあいらくを分かち合っている。

 俺はそれを、すみっこの暗がりから見ているだけだ。

 それ以上のことをしてはいけないと、自分を固くいましめている。

 何故『FGO!』なんて声をかけねばならないんだ?

 どうして、楽しんでいる人を邪魔するようなことができる!

 俺は酷くみじめで、みにくく下劣な影のように闇によどむだけだ。


 俺だって、もっとFGOを楽しみたい。


 でも、楽しみ方がわからないんだ。




 それは、俺自身に一番の問題があると思っている。

 俺は『常に物事を悪く受け取り、悪意を勝手に感じ取る能力』の持ち主だ。ようするに、ネガティブな思考の人間なのである。また、精神疾患を患わっており、両極性障害りょうきょくせいしょうがいという病気にずっと苦しめられている。

 端的に言えば、そううつ病だ。

 躁状態の時は、結構陽気で気さくないい奴なのかもしれない。わからんけど。

 だが、うつ状態の俺はこの世の全てを呪っている。全てが憎くて、恨めしい。でも、うつ状態の時は身体が思うように動かず、ベッドで寝ているしかできない。なにもできず、眠くもないのに横になることしかできない。


 この病気が治るなら、死んでもいい。


 いつもそう思っていた。

 実際やってみたが、死ねなかったのが今でも残念でならない。

 そういう人間に、FGOは優しくない。

 こういう話をすると、必ず『』という健常者がいる。知るか。うるせえ座ってろ。たまたま健常者であるだけの人間に、俺のなにがわかるものかよ。早くお前も事故かなにかで五体不満足になって、俺と同じ障害者になってみろ。

 俺は、常に全てを悪く捉えることが多い、ネガティブな人間である。

 自分でも嫌になる。

 だって、親しい友達に『クー・フーリン育てるのはマストでしょ』って言われて(俺は☆3のクー・フーリンを全く育ててなかった)それは単純にオススメのサーヴァントを紹介してくれただけだったと思う。でも、俺には『クー・フーリンを育てていないお前が悪い』って聴こえるんだ。

 俺はそういう病気だから、もう救われない。

 誰も助けてはくれないし、このまま全てを呪って生きていくしかないのだ。




 ふと、こんなことを思ったことがある。

 みんなが遊んでいるFGOはきっと、なのだ。あるべき正道であり、多くの仲間と幸せを共有し、苦難を分かち合える正しい歴史なのだと。

 俺がいるのは、ここは異聞帯ロストベルトだ。

 本来あってはならない、剪定事象せんていじしょうなのだ。

 ゲームに対して恨みと憎しみしかないのに、そのゲームをやめられずにまだ遊んでいる。結果、普通のFGOプレイヤーからは遠ざかるしか無く、今後はもう、誰ともFGOを語ることもなく、ガチャの一喜一憂も共有したりはしないだろう。

 そしていつか、俺はFGOからいなくなる。

 異聞帯は人理の正当な歴史と違って、剪定されるべき『あってはならない歴史』だからだ。


 望んでこうなった訳ではない。


 だが、こうなったからには望むことは二つしかない。


 一つ、FGOを楽しんでる人たちの邪魔を決してしないこと。


 二つ、今も聴こえる『嫌ならやめろ』の声に負ける、その瞬間までFGOを楽しむこと。


 正直、自信がない。俺には、このゲームを楽しむためのメソッドがないのだ。ゲーム仲間がいればきっと楽しいだろうが、その人を巻き込むことはできない。その人のFGOを楽しいと思う時間に、俺の負の感情を見せてはいけないはずだ。

 たかがソシャゲに、根を詰めすぎだと思う。

 本当に、嫌ならやめてしまえばいいんだと思う。

 でも、やめられないってことは、嫌ではないのだ。


 FGOが嫌なのではなく、FGOを楽しめない自分の弱さ、愚かしさが嫌なのだ。

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