第43話 踏んだ人と踏まれた人の話
狭い喫煙室で痩せた一人の男が
ドタドタと大柄な男が入ってきた。
「おい、聞いてくれ」
「何?」
「今朝の通勤中に腹の立つことがあってよ」
「その前に、さ。お前、顔が近いよ」
大柄な男は、痩せた男の注意を無視して話を続けた。
「俺が電車に乗ってると、途中の駅で人がドバっと入ってきたんだけどな。
そん時、女がこっちに尻向けて突っ込んできてさ。
”痴漢扱いされたら怖い”って思って体の向き変えたんだよ」
「まぁ、よくあるな」
「でもそれが間に合わなくてな。つま先だけ向きを変えきれなかったんだよ。
そしたら、その女、思いっきり足踏みやがったんだ」
痩せた男は煙を吐きながら言う。
「別にわざとじゃないんだろ。一声かければ済む話だ」
「そりゃ、お前みたいな色男ならな。
俺みたいな熊か岩かみたいな大男じゃ”一声”にも気を遣うんだよ」
「気にしすぎだ」
「お前、黙ってただけなのに、顔で泣かれて悪者にされたことなんてないだろ?
そういう経験がない奴には、絶対に理解できねぇよ。
俺みたいな男には、生きてるだけなのに支払い義務が生じてるコストがあるんだ」
「悪かった。
「それでだ。俺は遠慮がちに声をかけた訳だよ。
でも、ずっと無視して、足をどけないんだ」
「聞こえてなかったんじゃないのか?」
「いや、絶対わざとだ。睨んできやがったから。
それでも強く言えねぇんだよ。こっちは悲鳴一つで犯罪者だからな」
「はいはい。”コスト”の話はもういいよ」
「それで、次の駅までずーっと足踏まれてよ。ほんと、最悪だ」
「そうか。大変だったな」
「”足を踏んだ側は忘れるが、足を踏まれた側は忘れない”ってな言葉あるけど、
あの女もすぐに忘れて、今頃は平気な顔して仕事してんだろうな」
痩せた男はもう一度煙を吐き出し、一息置いてから言った。
「なぁ、3つ言いたいことがある」
「なんだよ?」
「俺は”足を踏んだ側は忘れるが、足を踏まれた側は忘れない”って言葉は嫌いだ。
傷つけることも傷つけられることも、当たり前に、そこら中で起きてる。
恥ずかしげもなく、そんなことを言えるのは
自分だけは他人の足を踏んでいないと思っている独善家か
本当に綺麗さっぱり忘れている都合の良い頭の持ち主だ」
「……なぁ、おい。辛辣すぎないか?」
「辛辣な理由が言いたいことの2つ目だ。足をどけてくれ。踏んでるぞ」
大柄な男は大慌てで足をどけた。
「す、すまない」
「いや、いいさ。”当たり前に起きてること”だと言っただろ」
「ああ、そうだったな」
「お前も気にするなよ」
「そうだな……俺は気にしすぎてるのかもな」
「ただ、3つ目の答え次第では……気にした方が良いかもしれない」
痩せた男はスマートフォンを取り出して、写真を見せた。
「お前の足を踏んだ女って、こいつじゃないか?」
「ああ! そいつだ!」
「俺の妻だ」
「え?」
「……どうやら、俺たちの関係がバレたらしい」
終
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