第38話 何かを思い付いて忘れてしまった話
最近、仕事が手につかない。
というのも最近、唐突に閃きが降ってくるのだ。
”天啓”とでもいうのだろうか。
突然、「素晴らしいことを思いついた!」という強烈な感覚に襲われる。
そして、急いで人気のない場所へ移動して
誰かに盗み見られないようにメモにアイデアを残そうとするのだが……
忘れてしまう。
何を閃いたのか、それどころか何を考えていたのかすら
まったく思い出せないのだ。
そんなことが頻繁に続いていた。
不安にかられて医者にも相談したが、
特に有効な対処はできず、気休め程度の精神安定剤を
飲むように言われただけだった。
あ、また閃いた!
そう思って、デスクから離れて給湯室へ向かう。
頭の中は、素晴らしいアイデアを閃いたという幸福感でいっぱいだ。
だが、給湯室に到着してメモを取ろうとした瞬間、
私はすっかり意気消沈する。忘れているのだ。
何を閃いたのか。何を考えていたのか。
必死に思い出そうとする。
仕事のことか?
いや、今の仕事は順調で懸案事項は無い。これは違う。
趣味のことか?
いや、私は頭を使うよりも体を動かす趣味が好きだ。これも違う。
何か新しいことを始めようと思ったのか?
いや、特に思いつかない。これまた違う。
うんうんと唸りながら考えるが、やはり何も思い出せない。
私は何を閃いたのか。しばらく考え続けた。
そして、ぼんやりした頭でデスクに戻ると
黒髪の女が私の椅子の前に立っている。
顔は髪の毛で見えない。
異常な雰囲気をまとった女は
ギチギチギチギチ、と歯ぎしりのような音を立てながら
私のデスクの前で棒立ちしている。
不審者か、と思ったが私以外には見えていない様子で
直感的に「これは人間ではない」と理解した。
私はゆっくりと給湯室に引き返して、影から様子をうかがった。
女は、ある程度デスクの前を占拠すると、横に移動して別の人間の後ろで
ギチギチギチギチ、とここまで聞こえてくる歯ぎしりを立てた。
その席に座っていた女性は、それに気が付かずに仕事を続けている。
また少し経つと、女は次の席へと移動する。どうやら、社内を巡回しているようだ。
誰かを探しているのだろうか。
私は女が部屋を出て行ったのを見てから、席に戻った。
一体あれは何だったんだろう。仕事もそこそこに、恐怖で鈍る頭で考えていると
突然、閃いた。
「そうか! 私の閃きは、そういうことか!」
こうしてはいられない。椅子を引いて腰を浮かせる。
しかし、席を立とうとして前傾した私の視界は、真っ黒に染まった。
ギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチギチ
終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます