ep16 わたしは魔族の街を見たくなかった。胸が痛んだ

 しばらく待っていると、扉の外が騒がしくなった。それも一瞬で、コンコンというノックの音とともに一気に静かになる。


「どうぞ、入って貰ってもいいよ」

 麗奈が声をかけると、先ほど慌てて飛んでいった悪魔族の女性が、悪魔族の男性――たぶんこの人がアッシュなんだね――を連れて戻ってきた。


「メナルア様、気がつかれたのですね、良かった。まるまる一週間意識が戻らなかったので、みんな心配していたのですよ。

 名乗り遅れて申し訳ありません、私は魔族領ジュカイの首長をしています、アッシュと申します」

「わたしはそんなに長い間寝ていたのね。ところで、ここは一体どこなのかな?」

「ここは竜峰フジの裾野にある、魔族の街ジュカイです。フジの周りにある森には、魔族が隠れ住む村や町があって、その首都的な役割を担っているのがここジュカイの街です」


 やっぱり、間違いじゃなかったんだ……。

 あの山は富士山で、ここは樹海……ってことは、今までずっと異世界だと思っていたのに、ここは日本なの?

 でも、もしそうだとしても魔法が使える理由にならないよね。

 それでも、あの山の形は……。


「め、メナルア様……?」

 自然と窓の方向を見ていた麗奈は、いつの間にか涙を流していたらしい。今は見えないけれど、あの富士山の姿は忘れようとしていた望郷の思いを、しっかりと思い出させてくれたらしい。

 声をかけられてアッシュの方に顔を向けても、溢れる涙が止まることはなかった。


「ごめんね。ちょっと故郷を思い出しちゃっただけよ」

「メナルア様の故郷からは、あの竜峰フジが見えていたのですか?」

「んー、ちょっと違うかな。でも、うん。たぶんそんな感じ」

 たぶん説明しても、分かってもらえないと思う。それに、もう私の知っている日本には戻れない。

 愛美ちゃんから借りて読んだラノベとかでも、異世界転移して帰れた人はほとんどいなかった。帰れないし、わたしは帰らない。

 お世話になったレアーナさんの魂を、絶対にナナナシアに返して貰うんだから。


 悪魔族の女性がタオルを渡してくれたので、濡れた顔をしっかり拭かせて貰った。間違いなく目が真っ赤だと思うけど、仕方ないと思う。


「わたしはメルフェレアーナ・メナルア。今からわたしは、この名前を継ぐよ。

 星の意思、ナナナシア・コアからみんなのことを頼まれた。だから、わたしは魔族を全力で守るよ。

 もう絶対に、人間達になんて負けないよ」

 一瞬目を見開いたアッシュが、その場で片膝をついて跪いた。

 部屋の外で耳をかたむけていたのだろう、魔族の男女が部屋になだれ込んできて、アッシュに倣って跪いた。


 思わず、麗奈は苦笑いを浮かべた。


「でもね、出来ればその扱いはやめて欲しいかな。わたしは大層な人間じゃないよ。みんなと同じ、普通の魔族だよ。

 だから、これから色々教えてもらえるかな?」

 アッシュの前まで歩いて行って、同じように前で片膝をついて跪いた。麗奈が顔の前に手を差し伸べると、アッシュがおずおずと顔を上げた。


 待って、いったいどんな伝承が伝わっているのよ。

 星の継承者って言っても、受け継いだのはナナナシアが魔力を変換するために使っている言葉、魔術言語だけだよ。

 別に、偉いわけじゃない。何か変わったわけじゃない。


「みんなが手伝ってくれないと、わたしは何にもできないよ。だからお願い、わたしをみんなの仲間に入れて欲しいな」

「あ……は、はい……」

 見ると、ゆっくりと伸びてきたアッシュの手が震えていた。その手を、麗奈は笑顔でしっかりと掴んだ。

 顔を上げたアッシュは、笑顔だったけど目が真っ赤だった。




 リビングに移動して、ひとしきり自己紹介をする。

 それで分かった事は、魔族で動けることがほとんどいないことだった。


 つまりここは本当に避難のための街で、仲が悪い魔族もいるのであえていくつかの村や町に分けていると言う。

 魔族達がいる樹海は麗奈の知識よりもさらに悪質で、濃度が高い魔素の影響で魔力が無いとあっという間に気を失う。地球の方位磁石が効かない程度が易しく感じる。


「今は総人口が二百人くらいです。そのうち、非戦闘員は百八十名ほどですね。

ほとんどが浅くない傷を負っていて、命に別状はありませんが単独で生存することが困難な状態です」

 実際に外に出てその惨状を目の当たりにした麗奈は、正直言って人間族なんて滅びればいいとまで思った。


 大半の魔族が、四肢の一部を欠損していた。耳を完全に削がれ、片手を失ったエルフ。両足を失い、歩くこともできないドワーフ。エルフやドワーフだけでも細かく分類すると十種族近くあるのだけど、そのほとんどの種族がいるように見えた。異常な光景だと思う。

 獣人も多種多様で、必ず体のどこかが欠損していた。

 種族の特性でこの街には居ないけれど、リザードマンやハーピィなど、進化して知性を持った元魔獣系の魔族も保護されているらしい。


「アッシュ達は、どこまで魔族の救援に行っているの?」

「私たちも人数の関係でそれほど遠くまでは行けていません。私達が今いるこの島と、西の大陸の途中までです。

 普段は探索に十名、街内の生活補助に十名で活動しています。

 本当は、もっと探索に協力してくれる魔族が増えればいいのですが、探索先の魔族からほとんど協力が得られないのです。むしろ、人間族に襲われて、滅亡寸前になって初めて、身を置いている事態に気づく方が多くて……」

 アッシュたちの努力が無駄になっているケースが多く、何度も涙を呑んだと言う。

 悪魔族は、他の魔族と比べて強靱な体と多くの魔力を持っている。その反面、本来は性格が温厚で発明や建築、生産が好きな種族だとナナナシアから貰った知識にあった。でも、その温厚な種族でさえ、魔族を守るために最前線で戦わないといけない状況になっている。

 そんな彼らが、必死で街を維持している。魔族を助けに各地を飛び回っている。


 それこそ、先代メルフェレアーナ・メナルアが一線で戦っていた頃なら、この街の人口も今の十倍はいたのだとか。確かに街の規模からすると、人は少なく閑散としているのはよく分かった。

 街の規模だけなら、一万人くらい生活できると思う。ただ、今はその住宅のほとんどが空き家になっている。住むべき魔族が、減りすぎているらしい。


 そもそもが、魔族はその長い寿命と相まって、全体的に出生率が低い。一度人口が少なくなってしまうと、再び人口が戻るまでに百年単位の時間が必要になる。

 それに対して、人間族はあっという間に人口が増える。人口が増えれば設備に使うための魔石が必要になる。設備が増強されていくと、魔石よりもより強力な魔晶石を手に入れるために、魔族が狙われる。

 完全に、魔族が衰退していくパターンに嵌まっていた。


 人間族の全てが悪では無いことは知っている。

 でも、人間族の国々の方針は間違いなく悪だった。侵略を是とし、それにかこつけて魔族の村を平気で襲撃する。

 麗奈がこの世界に転移してすぐ目にしたエルフの村は、まさにその矛先が向かっていたと言える。


「どうして人間は、どこの世界でも救いようがないのよ……」

 公園の椅子で、片足を無くした獣人の幼女が、同じく片腕と片耳を無くしたエルフの女性にもたれかかって寝息を立てていた。

 二人とも、失われたのは種族の誇り、それから生命線だと思う。ふたりとも誰かに守られながら生きていくしか、もう術が残っていない。いくら魔法が使えるからといって、各地で縄張りを張っている魔獣には到底敵わない。


「わたしの先代が常々漏らしていましたが、先代メルフェレアーナ・メナルア様が健在だった頃は、今よりも魔族が多かったようです。

 人間族の文明が今よりも遙かに稚拙で、まだ魔族に対抗の余地があったのに、メナルア様の呼びかけに応えたのは我々悪魔族だけだったようです」

「まだ、人間族に対して魔法で自衛ができたって言うことなのよね」

「そうです、そう聞いています。

 先代メナルア様が崩御され、人間族の文化も科学技術が進歩していく中で、逆に文明に取り残された魔族の大半が襲われ、命を失いました」

「そして遅れてわたしが現れた……」


 麗奈の呟きに、アッシュは首を横に振った。


「悪いのは、自分たちの現状を見ていなかった魔族の族長達です。今でさえ私たちの言葉に耳を貸しません。そして、手遅れになってから縋ってくるのです。

 そろそろ星の粛正がかかるはずです。星の軸が揺らいでいます、魔族が少なくなって魔力の循環が滞っている。

 わたしたちにはそれ程時間がない、そう判断しています」

 知っている。全部ナナナシアに聞いている。


「ねえ、わたしが世界を救う手立てを知っているって言ったら、アッシュは信じてくれる?」

「もちろん。信じます。そのために、ずっと待っていたのですから」

 後ろを付いてきていた悪魔の男女達も、麗奈が顔を向けるとしっかりと頷いてきた。


「わかった。じゃあ一旦さっきの屋敷に戻ろうか」

 ナナナシアにたくさんの知識を貰った。

 アッシュたち悪魔族は、地理については完璧だと思う。


 あとは、みんなに手伝って貰って、わたしの出来ることをやるだけだよ。

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