ep15 わたしは世界の深淵を覗き見た。とても深かった

 取りあえず鞄を背負って、箒を手に握った。

 案の定というか、悪魔族の男女一団が全員もれなく動きを止めて固まっていた。思わず麗奈は、人差し指で頬を掻いた。


「いやだってほら、何でもいいんいでしょ?」

「い、いえ……特にイメージを具体的に指定はしませんでしたが……」

 先頭にいる男が、顔をひくつかせながら絞り出すように声を発した。

 やっぱり何だか納得いかないような顔をしている。


「そもそも、これって何なの? わたしからしたら、これってただの呪いだよ。

 命を落とす度に、ここに蘇るんだよ?

 絶対に死ねない呪いの元凶みたいなものなんだから」

 麗奈が頬を膨らませて主張すると、先頭の男――たぶんリーダーなんだろうな――がさらに顔をしかめた。


「いえ……その月と星の石は、悪魔族の伝承ではこの星のコアにアクセスするための端末の役割を果たす物だと、理解していますが……」

「そんなの知らないわよ。実際にわたしは被害を被っているんだから。

 だいたい、わたしはレアーナから何も聞いていないんだよ? あなた達の話も一切聞いてないよ」

 麗奈が駆け付けた時、メルフェレアーナは本当に最後の力を振り絞っていた。もう、意識が朦朧としていたはず。

 出血だって酷かったし、魔力器官を破壊されて魔力も枯渇していた。


「いえ、メルフェレアーナ様が亡くなる直前に連絡を受けました。

 メナルアは麗奈という女性が継いだと。自分は確認できなかったけれど、必ずどこかで蘇るはずだと。その時は、助けてあげて欲しいと頼まれました。

 そこで我々は理解しました。もし悪魔族の伝承に則って、星と月の石で蘇ったならば、その者が平和を司る正当なる星の継承者だと」

「はぁ? 馬っ鹿じゃないの。見てみなさいよこの焼け野原を!」

 思わず麗奈は激高していた。

 無駄に仰々しくかしずかれている理由が、そんなことだったなんて。納得いかない。何の意味もない。


「人一人として生き残っていないんだよ? わたしができることなんて、見ての通り破壊することだけよ。

 何が平和の継承者よ、何が伝承よ。馬鹿にしないで!」

 悔しかった。悲しかった。メルフェレアーナの名前がすごく軽く扱われた気がして、視界が滲んだ。

 悪魔族の男女達の顔を上げた表情が、驚愕に目を見開かれていた。


「誰も救えていないじゃない! 争いすら、止められていないよ!

 だいたい大切な人一人として、わたしは守ることができなかったのよ。ただ、目の前で消えていく命を馬鹿にして、のうのうと蘇ることしかできないに。

 なにが……世界を平和になんて、できるわけ無いじゃない!」

 大声を上げて泣いた。涙が止まらない。

 外聞も、見栄も、そんなものはもう関係なかった。


 わたしはただ、目の前にいたエルフの少女が救いたかった。

 二階から落ちた少女は救えたけれど、本当の母親のように接してくれたメルフェレアーナを、ただただ救いたかった。

 ここでもそう、ここまで案内してくれた優しい夫婦の命も守れなかった。


 全て、救いたかった。守りたかった。

 このふざけた異世界の奴らだって、大切な命。一つとして失っていいはずがないのに。

 両手で顔を覆う。涙で手が濡れていく。


「ああああぁぁぁ――」

 叫んだ。心の底から、思いっきり叫んだ。

 ブンッ――。

 麗奈の心の中にある、何かが切れた気がした。意識が遠のいていく。


「め、メナルア様ッ――」

 どこか悪魔族の男が慌てる声を遠くに聞きながら、麗奈は急速に意識を手放した……。




 夢を見ていた。

 はっきりとそれが、夢だと分かった。


『ごめんなさい、ちゃんと伝えられなかったわね……』

 黄金色の草原で、メルフェレアーナが真っ白な椅子に腰掛けていた。

 風が、ゆっくり穏やかに麗奈の頬を撫でていく。


「レアーナさんっ。生きていたの……?」

『何となく、あなたが私に話しかけてくれていることは分かるの。でももう、あなたの声が届かないみたい。

 今のわたしは星に還る途中、麗奈ちゃんの中に残る思いの残滓なのよ』

 ゆっくりと、メルフェレアーナが首を振った。

 すぐにでも消えてしまいそうで、もうなくしたくなくて、手を伸ばそうとして麗奈は、自分がそこにいないことに気が付いた。

 自分だと思っていたのは、そこに佇んでいるメルフェレアーナだった。

 わたしは、その空間そのものだった。


『ナナナシア・コアが、あなたに謝りたいって言っていたわ。

 想像以上に魔族が減りすぎて、供給される魔力が少なくなって、星の軸が安定していないそうなの。

 全てを安定させるには、たくさん魔法を使って星に魔力を還元させないといけないのよ』

 いったい何の話なんだろう。

 わたしに関係ある話なのかな? それよりも、レアーナさんに生き返って欲しい。まだまだ甘え足りないの。とっても寂しい……。


『私からも麗奈ちゃんにお願い。魔法をたくさん使って欲しいの、世界を魔力で満たして欲しいのよ。あなたの魔力で世界を包み込んで。

 そうすればもしかしたら、私の魂はあなたの元に戻れるかもしれない』

 途中からメルフェレアーナの言ってることが滅茶苦茶だった。きっと、ナナナシア・コアとかいう意識に溶けかかっているのかもしれない。

 だんだんメルフェレアーナの姿が霞んでくる。

 あ……もう、時間がないんだ。


『いまあなたが持っている月と星の石を、片方ずつ北極点と南極点に設置するのよ。そうすれば、世界に流れる魔力を整流することができるわ。それでたくさんの命を救うことが出来るの。

 無茶なことを言ってているのは、私自身が承知している。初めて私の声が届いた、あなたに力の一部を託します』

 メルフェレアーナの姿が、いつの間にか別の女性に変わっていた。紫色の髪に紫色の瞳。見たことがない、初めて目にする人なのだけれど、何だか胸がじんわりと温かくなった。全てを包み込まれている感じがした。


「……な、なにを……言って……!」

 次の瞬間から、まどろみが一気に消えていく。

 知識が、濁流のように頭に流れ込んできた。あまりの情報量の多さに、思わず麗奈は歯を食いしばった。頭が割れそうな程に痛い。

 麗奈の魂が、まるで押しつぶされるような。それほどまでに膨大な知識が不可もなく、溶け込むように麗奈の魂に満たされていく。


 それは言葉だった。

 今まで喋っていたのが日本語なら、その知識は全てが英語だった。

 魔術言語、魔術文字。その全てが今ならば分かる。

 ナナナシア・コアが本質的に理解できる文字と言葉であると、しっかりと心に刻まれる。


 そうか、星に認められたんだ。

 認めて欲しくなんてなかったけれど、わたしじゃないと駄目なのか。

『どうか、私の子ども達をお願い。私の愛しい子、麗奈……』

 女性の姿が徐々に霞んでいく。

 最後に浮かべていた笑顔が、すごく辛そうだった。麗奈は、大きく深呼吸をした。今は体がないけれど、大きく頷いた。そんな気持ちだった。


 全てを知ってしまったから、もう救うしかないよね。

 確かに時間が無い、圧倒的に魔族が少なくなっちゃっている。今も、人間達にあっちこっちの魔族が狩られている。見つかるのを恐れて、魔族も魔法の使用を控えているんだね。

 もの凄い、悪循環だよ。

 人間達が機械で使っている魔力は、一切が星に還元されていない。魔力をそのまま動力にしているから、そりゃ足りなくなるわけだよ。全部機械に消えて行っているんだから。

 圧倒的に、魔力が少なくなっていってる。


 もっとたくさんの魔素溜まりを作って、魔獣をたくさん排出しないといけないのに。その元になる魔力が、ナナナシア・コアに不足しているんだね。

 ないない尽くしで、このままだと本当に無くなっちゃうのか。やばいよ。


 分かったよ、ナナナシア。わたしが何とかするよ。


 だから、せっかく継承したのなら、名前も全て継承するよ。

 わたしは今日から、メルフェレアーナ・メナルア。麗奈は、時が来るまでしばらくお休みかな。

 何かわたし、物語の主人公みたいだね。

 

 さあ、戻るよわたし……。




「……あ、これ知らない天井だ」

 目を開けると、麗奈はベッドに寝かされていた。天井は板張りで、端の方が煤で少し黒くなっていた。

 窓から差し込む日差しが、部屋を暖かく照らしていた。


 ゆっくりと、起き上がる。

 自分の服を見下ろすと、水色のワンピースの胸元に開いていたはずの穴は、何事もなかったかのように塞がっていた。このワンピースは特殊なんだと想う。


「……えっ、富士山?」

 窓際まで足を進めた麗奈は、目に入った景色に自分の目を疑った。

 それは、麗奈がよく知っている特徴的な山だった。森の木々の上に、雄大にそびえ立っているこの山は、まさしく霊峰富士そのものだった。


 待って、ねえ待ってよ、おかしいよ。ここって異世界なんだよね?

 どう見ても、目の前にあるのはテレビでもよく見ていた富士山だよ?


 咄嗟に手の平に魔法の炎を出して、そのまま消した。

 普通に魔法を使える。間違いなく異世界にいるままだ。

 ナナナシアから色々な知識を得たけれど、確かに地理に関する知識は貰っていなかったはず。


 コンコン――。

 ノックの音とともに、悪魔族の女性が部屋に入ってきた。麗奈が立っているのを見て、驚いて持っていたお盆を落としている。


「す、すみません……すぐにアッシュを呼んできますので――」

 アッシュというのが誰か分からないけれど、たぶん状況を説明してもらえるんだよね?


 麗奈はベッドまで戻ると、そっと腰を掛けた。

 窓の外に見えていた富士山が、どうやっても頭から離れなかった。

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