インスマス

インスマスとはアーカムのあるマサチューセッツ州エセックス、マニューゼット川の河口にある寂れた港町である。

アーカムからニューベリーポートに向かう街道の途中に位置し、キングスポートへの街道もある。

街の周囲は湿地帯で鉄道は廃止され交通手段はバスのみである。


この小さな寂れた港町には沖合約1マイル半(2.4km)に悪魔の岩礁と呼ばれる岩礁がある。


インスマスという町は周辺の町の人間が足を運ぶ事はまず無い、鉄道が発達してこの街道を使う必要性が無くなったのもあるがこの街の住人が不気味な容貌で怪しげな神を信仰しているという理由でもある。

不気味な容貌と言うのは“インスマス面”と呼ばれる、特徴的で青白い両生類や魚類を思わせる顔に鰓蓋の様な首の皺、手足は水掻きや鱗のような物に覆われていてカエルのように飛び跳ねて歩く者も居る。


私は事前にニューベリーポートへ足を運びインスマス~アーカム行きのバスの乗り場周辺で聞き込みをして来たのだが老人達はインスマスと聞くと口を閉ざし何も語ることは無かった。


バス乗り場がある広場にある駅の鉄道の駅員の男はとてもお喋りで聞いた事以上に話してくれた。

「アーカムの大学の学者さんだったね、ここいらの年寄り連中にあの魚面の町の話を聞いても駄目さ」

そう言って私を休憩室の中へ促す、外で話し込んでいて町の連中に聞かれるのは流石に気分のいい話でもないだろう。

「あの町の連中は何やら南方から怪しげな物を持ち込んで呪われたって専ら噂でね、まぁ嘘だと思うでしょ?

俺は信じてないんだがそこの漁場だけ何故かいつでも大量に魚が取れんですわ」

南部訛りの強い駅員の男は続ける。

「俺は元は南部の人間なんでこの辺の連中の魔女だの悪魔だのの話はいまいち信用してないんです

なんだか、あの港にあるでっかい岩礁に昔の船乗りが契約した悪魔が住んでるって噂まであるんです

どうせ、俺らの言うとこの白人の屑共なんですよ

あそこの連中は詮索されるのを嫌うんで人口調査の役人や公立学校の教員なんかが調査に行って何人も行方不明になってて、ここから行った人口調査の役人で物狂いになって養生してるって男も居るんですよ」


男の話とアーカム周辺での噂話、大学図書館で調べた歴史資料を纏めるとインスマスは1812年の戦争より前は交易や造船業や河川を利用した軽産業等でとても栄えていて市と言って良いほどだったそうだが今は鉄道も廃線となり貧弱な金精錬と漁業とそれの加工をする工場がほんの少し稼働しているのみである。

それ自体はよくある地方都市だが、衰退の決定的な要因となったのは1846年に起きた疫病で町民の半分は亡くなったそうだ。

船乗りが遠方から持ち込んだ疫病と言われているが詳細は不明だ。

それ以来人口は減る一方らしく今は400人前後が居ると思われる。


今も残っている金精錬所の持ち主マーシュ家はオーベッドを中興の祖として繁栄したインスマスの名士とされている。

オーベット・マーシュという男は野心家の船長で1812年の米英戦争の最中も各地を航行していたそうだ。

この野心家のオーベット船長が海賊の宝を持ち帰って来たとか南方の怪しげな風習を持ち込んだとか言われている。


南方ポリネシアのカナカイ人の島と交易をしていたそうだが、そこで島民たちの怪しげな風習を取り込んで来たのだろうと思われる。

その怪しげな風習とやらを調べたのだが恐らくペリシテ人や古代メソポタミアの半魚の神タゴンを祀る物だろう。

キリスト教の迫害に合い各地に散ったもののひとつだと思われる、他にも太平洋のポナペ諸島、タヒチや西インド諸島、インカボッカ、日本の一部にも伝わっているそうだ。


船長や船員の何名かはこのポリネシアの島民から妻を娶っていて、インスマスには南方の血の混じった人達も多い。


普通に考えれば地方の寂れた港町は南方民族との混血が多くその習慣と見た目とが違うのが周囲の町の人間には不気味に見えるという所だろうが果たして本当にそれだけの事だろうか?

私はどうもそれだけとは思えない、故郷と同じ陰鬱な気配が濃厚に感じられる気がするのだ。


私が特に気にかかる物は交易で手に入れてきた宝飾品とタゴンとか言う魚神だ。


この宝飾品の一部は船乗り達が他所に売ったものも数点ありひとつはミスカトニックの考古学部に、のこりはニューベリーポートの歴史資料館に保管されている。

その宝飾品の中で特に気にかかったものは冠と思われる物でその形は人の頭に合うとは思えない楕円と曲線で金製品とされているが金だけとは思えない見ていると不安になる様な怪しげな光沢をしていて、幾何学模様や波を模した模様が浮き彫りされている。

大学の方にはこの1つしか保管されて居ないのだがニューベリーポートの歴史資料館には他にも数点保管されて居る。


歴史資料館の事は大学の司書から紹介されているので怪しまれることも無く管理者のアンナ・ティルトンという女性から説明を受ける事が出来た。


ティルトン女史は歴史資料、古い宝飾品などに詳しくこの怪しげな宝飾品がどこから来た物なのか仮説を立てて調べたりしてみたそうだ。

やはり、南方の物でオーベット・マーシュが持ち込んだ物で間違いないだろうとの事だ。

確信の理由の一つにマーシュ家がここに宝飾品があると聞きつけて以来何度も買い戻したいと連絡を寄越すのだそうだ。


ティルトン女史はインスマスの町の事は文化レベルの低い、正統派の教会を追い出したソドムの様な町だと軽蔑していて1度も足を運んだ事は無いと言っていた。


数点ある宝飾品等の中には目を背けたくなるようなグロテスクで不気味で冒涜的な半魚半人の姿を掘った物もある、それは私の故郷のあの不気味な連中と何処か共通点のある様な人間の知り及ばない悪の真髄を予想させる気配がした。


暫く眺めて居たらいつもの頭痛がして来た、ここにある物達はやはり人知が及ばない物なのだ確信する。

はっきりとした事は断言出来ないのに何故かこれに触れてはいけないと脳細胞が警告を発しているのだ。


女史に促されて資料館の外へと出た。

女史には行くのはすすめないが昼なら安全でしょう、インスマス唯一の宿泊施設ギルマンハウスには泊まってはいけない、そしてタゴン秘密教団の施設には絶対に入ってはいけない、元々あの町にあった正統派教会もフリーメーソンも掌握した性質の悪い半偶像崇拝だと伝えられた。


アーカムからさほど距離もなく大きな町でもない、早朝に着くように出向けば夕方には帰る事が出来るだろう。


翌々日、早朝まだ暗いうちからインスマスへ向かう事にする。

私の愛車は古い煉瓦造りの建物が並ぶ州道を進む、ある程度進むと州道を外れ防砂林を伐採した為に砂に覆われて何も無い殺伐として広陵とした国道へ入る。

この辺りが砂に覆われて崩れかけの建物と低い潅木しかないのは例の疫病の後からといわれている。

明るくなり始めた頃長く単調な海岸の道へと進む。

家の一軒もなく道路の状態から見ても車は殆ど通らない様だ、古い木製の橋を渡るとぼんやりと遠くに尖塔と煙突が見える、インスマスがもうすぐ近くだと思うと警鐘を鳴らす様に胸がザワつく。

助手席のアーサーはつまらなそうに外を眺めていた。


それから程なくインスマスへ到着した。

建物は古く19世紀初期の木造や煉瓦の建築が多く空き家の方が多いのか戸に板がされていたり虫食い状に傷んでいる建物も多い。

人の気配は特に無いようだ。

暫く車を進めると教会が建ち並ぶ通りへ出た、ここのフリーメーソンの会館が話に聞くタゴン秘密教団だろう、ボロボロのペンキの剥げた灰色の建物の看板は辛うじてタゴンの文字は読み取れた。

扉はきっちり閉まっていて人の気配も無い、他の調査をしてまた様子を見に来る事にして先へ進む。


何処かに人は居ないだろうか、バスの停留所のある辻へ出る

トラックが数台止まってるいるが人は居ない、さらに先へ進もう。

滝の見える川の橋を渡った先にこの町唯一の宿泊施設ギルマンハウスがあった、ここに泊まると奇怪な目に遭うから泊まるなとアーカムでもニューベリーポートでも言われた、夜半になると怪しげな話し声や気配がするとの話だった。

泊まる気にならないボロボロのギルマンハウスの先に放射状に道が広がる広場になっていた、街灯は殆ど無く夜には出歩く気には到底ならないだろう。

開店中の店や人が居ると思われる建物が何件かある、アーカムにもある食料雑貨店の支店、陰気な食堂と薬屋が1件ずつ、魚の卸売りの店、マーシュ精錬所の事務所がある様だ。


食料雑貨店に立ち寄ってみる事にしよう。

店員は年若い青年で話し掛けたら快活で愛想のいい態度で話をしたそうにしている。

アーカムから配属で来た彼はインスマスでは話し相手もいなく嫌になる、話し相手になってくれるなら知ってる事ならなんでも話すと答えた。

なんでこんな所に配属になったのか嫌になる、夜になると人の住んで居ないはずの廃屋から変な気配や話し声がする、きっと見るのも恐ろしい程の見た目の化け物の様な奴や訳の分からない野蛮な人喰い民族とのあいのこが閉じ込められているに違いない、年2回のこの町の怪しい風習の祭りの日は特に恐ろしく一晩中訳の分からない歌とも呪文ともつかない物が聞こえて来て眠る事も出来ない、実家のあるアーカムに帰りたい等と言っていた。

タゴン秘密教団の事を聞いたら嫌な顔はしたが、なんなのかよくは知らない、この街に来る前にメソジスト派のウォレス博士にあの連中とは関わってはいけない特に建物の中には絶対に入ってはいけないと強く言われたそうだ。

アーカムの町の人もニューベリーポートの人も皆口を揃えてフリーメーソン会館には近づいてもいけないと言っている、恐らくあそこに何かの秘密が有るのだろう。

ここの人達の風貌は見てもらえば説明はいらない、あとはこの辺の連中は水泳がとても好きで悪魔の岩礁まで余裕で泳ぐのだとも言っていた。

昼間は泳いでいる者や仕事で出てる者以外はまず見掛けない、何をしてるのやら分からないとも言っていた。

住人に話を聞くのはほぼ無理だとも言われた、調査に来る役人ですら話にならないそうだ。

同じ様に他所から来た人なら何か情報も有るかも知れないが殆ど居ないとの事だった。

それ以外は取り留めないの話やアーカムの事等を少し話し、昼食用の買い物をして店を出た。


この先は青年に頼み車を停めさせてもらい徒歩で行く事にする。

橋を渡たり滝の音がする道を進むとマーシュ精錬所の横へ出た、稼働してるような様子も音も全くしない。

大学とニューベリーポートの歴史資料館で調べたのだが今はもう交易に出るような大型船も無いのに何処から地金を用意して精錬しており、交易相手も当の昔に居ないはずなのにニューベリーポートの商店からガラス製の安価な装飾品等を仕入れ続けて居るそうだ。

特に人の気配もなく中の様子も窺えない。

そこから更に先進むと広い場所へ出る。

元はここが中心街だったらしい。


もうひとつ橋を渡り手入れもされず雑草が生えた道を進む、魚が腐った様な嫌なにおいがする。

アーサーは仕切りににおいを嗅いだり薄暗い路地を覗き込んでみたりしている。

殊更においが強い辺りでアーサーが止まる、路地の奥に誰か居るようだが薄暗い道の奥に居るので良く見えない。

低く唸るのを制して路地へ入る、男が居るようだ。

男はそこまで背は高くない、背筋が悪く丸まっていて首はたるんだ皺があり髪は薄くまばらに生えている。

こちらに振り返った顔を見て後悔を覚えた、魚の様な顔と表現されるが私には原始的な両生類の様に感じられた。

これが周辺の人々の恐怖感を煽るのは理解に容易い、なんと言っていいのか人間の本能的拒否感を感じるのだ。

こんなに人の様相を骨格から変えてしまうような病気が有るのだろうか?

特殊な皮膚病との噂もあったが本当に病気なのだろうか?

なんと言うか進化、、いや退化しているとしか思えない。


立ち竦む私をよそに男は何事も無かった様に向き直し路地の奥へ消えた。


性質の悪い白昼夢なら良いのだが事実だからなお悪い、アーサーを待たせてある路地の入口へ戻る。

明るい日の下がなんと素晴らしいだろう、やはりあれは薄暗い道で見た見間違いだったと思いたくなる。

だかあの連中がこの町にはうようよ居るのだ、、。


暫くマーシュ精錬所の白い鐘楼を眺めたり、遠くの水平線に見える悪魔の岩礁を眺めたりして気を落ち着かせた。


調べけなければ、ここで帰る訳には行かないと先へ進む。

廃屋の多い中心街は薄暗く、割れた窓からあの瞬きをしないじっとりとした目で見つめられているような感覚を覚える。

青年はこの廃屋が秘密の通路や穴で繋がっていて隠さなければならないような連中が中に居るのだと確信めいた言い方で話していたのを思い出す。

確かにそう思いたくなる様相があるのは確かだ。


この町の古い地図に照らし合わせて歩いてきたが荒廃するまではかなりの人が居のだろう。


この先のフイシュ街、倉庫のある方へ向かうとしよう。

疎らな街灯、舗装の無い道、荒涼とはしているが中心街よりは余程まともで石造りのしっかりとした倉庫が並んでいる。

特になんと言うことも無く通り過ぎウオーター街へ進むここも特段どうということも無く荒廃するままである、波止場のあった場所へ出る。

遠く防波堤の方に疎らに人影がある、恐らく漁師達だろう。


波の音しかしない波止場を進むと橋がある筈なのだが壊れて無くなっていたので引き返す他無かった。

アーサーは壊れた橋の所で下を懸命に覗いて居る、私も覗いてみようかと思ったが奴らは泳ぎが得意で川や海で良く泳いでると青年が言っていたのを思い出し元来た道を戻る事にした。


フイシュ街の北側には僅かに稼働してる魚肉加工工場があり煙突から煙が吐き出されているのが見える。

この辺りには生活の気配も有り廃墟と化した中心街よりも陰鬱な気配が濃い。

先程見た男の様な者が彷徨いているのも見受けられうす汚い街並みがより一層不気味に感じられる。


ここに長く居ては行けないという気が段々と高まって来る、先へ進もう。

先を進む程に人の住んで居ない厳重に板がされている空き家の中から人が動き回るような音や気配がする、青年に聞いた秘密の通路の話のせいだろうか。

この中にもし本当に住民がいるならきっと外を彷徨いている連中よりももっと外来のあの汚らわしい冒涜的な両生類の様な血の濃い連中が居るのだろうか。

恐ろしくて見たくないのだが、いっそ白日のもとに晒してしまいたいような気もしてくる。

そう思いながら進んで行くと中心街とチャーチ街のぶつかる道へ出てきた、荒廃しているが大きな2つの教会がある。

チャーチ街の方へ進むとタゴン秘密教団のある所へ出るようだが先程見てきたばかりなので中心街を北へと進み、マーシュ家のある方へ行く事にする。


ワシントン街という上流市街へ向かう、路面の手入れは悪くヒビ割れから雑草が生えているが街路樹は立派だ。

大きな屋敷が何軒もあるがその殆どが板張りされて居て空き家の様だ、そのうち何軒かはまだ住んでいる人が居るようだその中で一際大きく手入れもきちんとされている邸宅がある、此処がマーシュ家だろう。


港町なのに生き物の気配の全くしない事に今更気付く、普通なら猫や海鳥がいても全く不思議ではないのにここには何の生き物の気配もないのだ。

目の前のよく手入れのされた人が住んでいるはずのマーシュ家ですら窓の殆どは固く閉まっている。

その固く閉められた扉をノックはしてみたが誰も出てくる事はななかった。


このよそよそしい、静まり返った町では私の行動はあのじっとりした瞳に何処からか監視されている様な気さえしてくる。


河沿いに辿って歩いて行くと昔の商工地帯にでた。

工場の廃屋、廃線になった駅などがありそこから更に南に進む道を行く。

ここら辺にも人が生活しているらしい痕跡がありこの辺の住民はフィシュ街周辺で見掛けた連中よりまともな見た目で私達をもの珍しそうに眺めていた。

話し掛けようと思ったのだが犬が怖いらしく逃げられてしまった。


壊れかけの消防署に普通の顔をした消防署員が居たので話し掛けたがよそよそしく特に何も知らないと冷淡に受け答えされただけだった。

結局まともに話を聞けたのは今の所雑貨店の青年だけだ、やっぱりタゴン秘密教団を調べてみるしかない様だ。

元来た道を戻りチャーチ街へ向かう事にした。


タゴン秘密教団の裏手の方へ出たようだ。

裏口の扉の傍で耳を澄ますと何やら中には人は沢山いるようだ、先程までの静けさと打って変わってガヤガヤと人の声が聞こえる。

よく聞いているのだがどうも英語とは違う聞き覚えのない言葉のようだ、南方民族の言葉だろうか?

耳障りの悪い神経を逆撫でする様な喋り方だ、私は不安を覚えカバンに入れてあるコルトM1900の存在を確かめいつでも取り出せる様にした。


裏手から横に回り中を覗こうとしていると、怪しげな呪文めいた言葉が聞こえて来る

イア!イア!クトゥルフ イア!イア!クトゥルフ·フタグン

イア!イア!

聞いているとゾッとしてまともな精神が削り取られて行くような感覚がして頭痛がしてくる。

続けざまその呪文の様な言葉は続いていく。

イア!イア!クトゥルフ イア!イア!クトゥルフ·フタグン

イア!イア!クトゥルフ·フタグン!フングルイ·ムグルウナフー·クトゥルフ!ルルイエ·ウガナグル·フタグン!!!

これ以上聞きたくない!

私はもう耐えられそうもない、調査は此処で終了にしよう。

アーサーを連れ車に戻ることにしよう。


中の連中に気付かれないようにバスの停留所の方へ向かう、ギルマンハウスの辺りにやたらと住人が集まっている。

皆一様に同じ様相であの瞬きをしない瞳で私達を見つめている。

何かを話しあっている様な者も居たが私に理解出来る言葉では無かった。

その中には資料館で見たような黄金の装飾品を身に付けて居る物も居る、司祭の様なローブを着た者も居た。

言い様のない不快感を覚える視線と話し声に耐えられず私達は車に急いだ。


車を停めて居た商店は既に閉まり青年は居なかった。

車に近寄ると魚の腐った様な臭いが一層強くなった、車体を良く見てみると何やらぬらぬらとした粘液の様なものと人間の手のひらより少し大きい手形にしては妙なのだが手形としか言い様のない様な跡が付いている。

車を停めているすぐ横にも廃屋があるのだかその中からケゴゲコぎゃぎゃぎゃと鳴き声の様な笑い声の様な複数の声がする。

静かにするように制していたのだがアーサーも我慢の限界の様で激しく吠え出す。

その吠え声で中の声は一層激しくなる、建物の壊れかけの扉を突き破って両生類の化け物の様なものが飛び出してくる、私とアーサーに向き合いまた気持ちの悪い蛙のような鳴き声で叫ぶように鳴いた。

その化け物は私を襲う気らしくジリジリと迫ってくるがアーサーに吠えたてられたじろぐ様子を見せる。

私はすかざすM1900を握り化け物へ向ける。

化け物は私へ飛び掛るつもりらしい、蛙飛びそのものの動きで私へ飛び掛り押しつぶすつもりなのだろう。

私は引き金を引いた、この距離では外れるはずも無く命中した。

化け物は無様に地面にのたうつ、廃屋の中の連中はこの騒ぎで逃げたのか気配は無い、のたうつ化け物を観察できる程度には冷静になっていた。

よく見るとこいつは腹は白く身体は汚らしい灰色でぬらぬらとした粘液で光っている。

ゾッとするのはあのニューベリーポートで見た彫り物とそっくりだと言う事だ。


いつまでも見ていて奴らが戻って来たら危険だ、私はアーサーを車に乗り込ませ運転席へ滑り込んだ。

車で通れるのは来た道を戻るしかない、進んで行くとギルマンハウスの所にあれほど居た住民達が1人も居ない、先程の吠え声と銃声で散ったのだろうか。

何としても早急に町から離れアーカムへ戻らなければ、私は車を先へ進める。

旧フリーメーソンの会館が見えてくる。

その前には住民が集まっているのだが気持ちが悪い程静まり返っていて視線はこちらへ注がれている。

横を通り抜けられない事は無い、此処で見つめ合っている訳にも行かないと発進させるとまたあの呪文めいた言葉を叫び出した。


イア!イア!クトゥルフ イア!イア!クトゥルフ·フタグン!

イア!イア!


私達を瞬きをしない瞳で見つめ、気分が悪くなる不気味な呪文めいた言葉を叫ぶだけで襲いかかってくる様子も見せない、横を通り抜け速度を上げ街を抜ける。

海岸線に出た所でチラリと海の方を見る、波間に何かが見えた様な気がする。

木製の橋の所まで戻って来た。

橋の下の川を覗くと奴らだ!

相変わらず口々にカエルのような鳴き声やあのおぞましい呪文めいた言葉を口走っている。

じっとりしたあの瞳が頭から離れない、とにかく此処から離れなければと脳が警告を発する。

何とかアーカムまで戻ってきた所で車のガソリンが尽きた。

車を置いて研究所まで戻り人を頼むしかないだろう。


こうして冒涜的で穢らわしいインスマスの町の調査を終えた。


後日あの町で私達の様な体験をしたと言う男が考古学部を尋ねてきた。

名前をウィリアムスとだけ名乗ったそうだ。

その男は色々と調べたらなんとオーベット・マーシュが4代前の祖父だったそうだ。

特有のインスマス面では無かったと司書は言っている。

私はその時生憎にも別の調査でアーカムに居なかったのが惜しまれる。

その後彼の家を尋ねるも静養に行った後に精神病院に還収されていたいとこを連れ出し共に行方不明だと伝えられた。


その後インスマスの町は1927年の暮れに連邦政府の極秘調査が入り念入りに焼き払いダイナマイトで爆破されてしまった。

表面上は密造酒の取締りだと言われているが私は真実をある程度知っているので嘘だと直ぐにわかった。

あの化け物どもが拡がらないように処分されたのだ、その爆破の後入念に悪魔の岩礁に潜水艦で魚雷まで撃ち込んだのだ。

この手の入れようは絶対にあの化け物に関係しているに違いない。


あの町が無くなってしまったし、関係者の彼も行方不明な以上調べようがないのでここで終了とする。


1928年2月 ミスカトニックにて。

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