第36話 ボワボワ

 馬車は角を曲がり、また角を曲がり、やがて路地に入った。だんだん街並みが古ぼけた、すすけたような建物ばかりのものに変わって行く。「すさみ通り」とはっきり書かれた所にでた。

「これは……」


 レノーは絶句した。汚らしい空気がよどんだような通りだった。しかしあちこちに宿屋の看板が出ている。「どやどや」とか「ふて寝」とか、「穴埋め」とか「たんまり」とか、「俗っぽ」なんていうのもある。フェミもあ然としている。

「『ありあり』『飯時』『頃合い』『抜け穴』『もろ』『燃えさし』……何これ? リサク、道を間違えたんじゃないの?」


 うんにゃ、とリサクが首を横に振った。

「みんな、わしゃ道を間違えちゃおらん。わしらが泊まれるような場所はここにしかないんじゃ。この『すさみ通り』にしかな」

 皆静まり返っていた。

「ここになら部屋があるじゃろう。フェミやクルルには悪いが、これが現実じゃ」

「レノー、もうちょっと宿代を上げられない?」

 レノーの代わりにリサクが答えた。

「フェミ、都では、部屋代を除いて五人でひと月に六千コマはかかる。そうレノーにも話しておいたんじゃ。一泊六十五コマで月に二千コマ弱、残りが八千五百じゃ。それでも厳しいんじゃ。なんとかふた月しか持たんじゃろう」

「みんな、仕事を始めれば何とかなる。宿だって替えられるだろう。それまで辛抱してくれ」

 そう親分が言うと、皆従わざるを得なかった。馬車は止まっていた。

「それで、リサク、どこにしようか?」

「どこもいっしょじゃ。値段も最低、部屋も最低。さすがのわしにも『最高に気持ちのいい』なんて言えん、そんな宿ばっかりじゃ」

 皆まゆをひそめて通りの前後左右を見回していた。クルルの書き付けが回された。


『それならあそこはどう? 【ボワボワ】』

「どこ? どこ?」


 クルルが指さす方に、小さな看板が見えた。煙が流れたような薄い紫の看板に、『ボワボワ』と書かれている。

「ほんとに宿屋なの?」

 フェミが疑ってかかり、その前まで馬車を移動させた。古いかしの木の扉に鉄のびょうが打たれている。窓はなく、宿屋かどうか、何の店なのかもわからない。リサクもこの店のことなど、何も知らなかった。

「ここがいい」

 レノーが言った。

「入ってみよう」

彼は扉を叩いて、それを開いた。中は黄色い明かりがともされている。何かのこうがたかれているらしく、よどんだような通りの空気と違ってすがすがしい匂いがした。そしてそこはあきらかに宿屋だった。


「ここにする」

そうレノーは宣言した。だがだれも出て来ない。

「気が早いよ」

 フェミが言った。リサクを馬車のそばに残して全員が中に入り、宿の主人を待った。声をかけてみたが、やはりだれも現れない。


「どうしたんだろう? 留守かな」

 アルルがきっちり扉を閉めた。すると宿屋の主人が顔を出し、音もたてずに受け付けの中に立った。

「ようこそいらっしゃいました。私が『ボワボワ』の支配人です」

 どこからか、宿の看板と同じく紫の煙のような毛色けいろをした猫も現れた。レノーは、声を出したのはこの猫だったような錯覚におちいった。めまいがする。何とか声を出すことが出来た。


「五人が泊まれる部屋を取りたい。ありますか?」

「ありますとも。五人、ごいっしょでよろしいですか? 別々にすることも出来ますが」

 レノーは料金を尋ねた。

「あなたたちなら、五人いっしょで五十コマ、二部屋なら六十五コマにまけましょう」


 (安い。それに汚くもない。だが汚くないのは受付だけかも知れない)


「部屋を見せて欲しい」

 どうぞこちらへ、と言って支配人はレノーたちを案内した。床に敷かれたじゅうたん、壁紙、天井も明かりも想像した以上に清潔だった。そして大きなベッド。風呂場もきれいだった。フェミがここにしようとレノーに言った。


「みんな、ここにしよう。二部屋だ」

 アルルもクルルも賛成した。支配人が礼を言った。

「馬車は裏に止められます。だいじょうぶ、『すさみ通り』でも安全な場所です。先に荷物をお持ちになってください」

 皆でリサクの所に行った。


「そんな馬鹿な、この通りでそんなことがあるわけがないぞい」

 だが中に入って、彼にもここは他の宿とは違うことがわかったようだった。

「だまされてるんじゃないじゃろうな」


 リサクは半信半疑はんしんはんぎだった。その後皆で庁舎へ出向いた。庁舎、図書館、そして職探しの順である。


 奇妙なことに、みやこでは一切いっさいの進み方が、皆の村とはちがっていた。レノーたちはまったくのおのぼりさんで、あちこちで地元の人々にばかにされた。田舎者の老人と、古ぼけた背広を着た少年、ドブシャリ二人、その中では一番町らしい恰好かっこうをしているフェミでさえ、都会の者からすると失笑せずにはいられないらしい。


 皆みやこのすばらしい外観に目を見張り、驚いてばかりいた。それがだんだん、自己嫌悪に切り替わって来た。

「都なんて」

 レノーが言った。

「何が都だ」


 庁舎では散々な目にった。大道芸の受付の係を見つけるまでたらいまわしにされて時間ばかりがかかり、結局のところそんなものは認められない、と一蹴いっしゅうされてしまったのである。図書館に行くまで道に迷い、着いた時には本を閲覧えつらんするはなかった。


「みんな、宿に帰ろう」

 もう夜になっていた。

「みんな、どこかでおいしいもの、食べようよ!」

 フェミとクルルがきゅるきゅる声を上げたが、店はどこもレノーたちを入れてくれなかった。


『僕たちのせいだ』


 アルルが悲しい書き付けを回し、彼とクルルは店の外で待っている、とレノーたちに告げた。しかし店に入ってみると、今度は料金が高くてレノーたちにはとても手の出ない所ばかりだった。店を探してどんどん時間が過ぎて、ついにリサクがしゃがれた声で言った。


「わしの知っとる店に行こう」

 そこまで行くのにも時間がかかった。

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