第16話 フェミ

 (あれがドブシャリ! 靴に見えたあれは、素足すあしなんだ)


「ほんとに服を着てる! まさかぬしがいるんじゃないでしょうね」

 クララはドブシャリが嫌いらしかった。


 (たしかにみょうな生き物だけど……。そんな悪そうには見えないわ。話は出来できないはずだけど、こんな所で何をしているんだろう?)


 フェミはすっかりドブシャリに見とれていた。


 (ぬしあらわれたら話しかけてみよう)


 しかしメスのドブシャリは市場いちばをうろうろしているだけで、その様子はまったく獲物えものねらっているコソどろのように見えた。

 魚屋の前でドブシャリは足を止め、銀色の魚を凝視ぎょうししている。魚屋のあるじがむつかしい顔をしてそれを見ている。雲行きがあやしい。

「ちょっとフェミ、戻るわよ。やっぱりまた広場で売ろうよ。フェミ?」

 クララの言うことをフェミは聞いてはいなかった。長い棒を手にした魚屋がドブシャリをおどし始めた。フェミはかごをクララに押し付け、遠巻とおまきに人のができかけたその中へと走って行った。


「ここはお前なんかの来る所じゃねえ。帰れ! お前がいるだけで魚が売れなくなるんだぞ。行け、行けったら!」

 魚屋は棒でドブシャリを打つマネをした。ドブシャリは手をゆっくり差し出し、その手を開いた。銀貨が一枚せられている。魚屋はしかし何も売ろうとはしない。ドブシャリは銀色の魚をせた一枚の皿をゆびさした。

「だめだだめだ、帰れ! ぬしを連れて来い! 人間以外には売らないぞ!」

 ついに魚屋は、棒でドブシャリをつつき始めた。ドブシャリは赤い眼を細くして魚屋をにらんだ。


「そのドブシャリが何をしたって言うの? お金だって持っているのよ!」

 フェミだった。

「ドブシャリはドブシャリだ。くっせえ。うちの魚がドブシャリくさくなった!」

 魚屋は棒でドブシャリの腹を突いた。ドブシャリは銀貨をてのひらから落としてしまった。フェミはつかつかと魚屋にあゆると、そのほほをひっぱたいた。


「ばか! ハルカの祝日を台無だいなしにする気なの?」


 そしてしゃがみ込んで銀貨をひろうと、ドレスを着たドブシャリに手渡す。人垣ひとがきにクララがじっているのを見ると、そのかごから三本の花を抜き取り、またドブシャリの所に戻って胸と帽子に花をしてあげた。

「春も夏も、人間のためだけにあるんじゃないわ。人間もいて、あなたの仲間もいて、花も咲いて、しげって……。みんなちっぽけな生き物だけれど、だからこそハルカの祝日なんだわ。あなたの銀貨であのお魚を、あたしが買ってあげる」

 それをちょうだい、魚屋に向かってそう言うと、フェミはドブシャリのてのひらから再び銀貨を受け取って、差し出した。魚屋は赤い顔をしてフェミをにらんでいたが、乱暴らんぼうな手つきで魚を紙にくるむと、銀貨と交換した。

「おつりもね」

 フェミがにっこり微笑んだ。

「かなわねえな」

 魚屋はそうつぶやいて、つり銭をフェミに手渡した。ドブシャリはきゅるきゅる鳴いた。フェミから受け取ったつり銭から、三十コマを数えると、それをフェミに支払しはらおうとした。

「お花の代金のつもりなの? かしこい子ね」

フェミは二十だけ受け取って、あとはまけてあげるとドブシャリに言った。

「あなたにも夏の恵みがありますように」

 見物人けんぶつにんって行き、魚屋もいつもの売り口上こうじょうに戻った。


「フェミってすごーい」

 クララが近づいてきて言った。まだそばにいるドブシャリをこわがっている。ドブシャリはフェミが気に入ったみたいだった。小さな声で、時々きゅーんと鳴いている。

「目が不気味ぶきみ

 クララが言った

「そんなことない。かわいいわ」

 フェミはドブシャリに、どこから来たの? といた。赤い目をした生き物は片手で東をゆびさした。

「そう、言葉がわかるのね、だれかに飼われているの?」

 ドブシャリはへっへっへ、と笑った。

「気持ち悪ーい。フェミ、もういいでしょ? 早く行こうよ」


 (クララも魚屋と同じだ、この子の気持ちなんかわからない)、とフェミはがっかりした。

「クララ、あたしこの子を飼い主の所まで送って来る。残りの花は悪いけど、献花けんかしておいて」

「ちょっとフェミ、本気なの? もうちょっとで八百なんだよ」

 フェミはニコリと微笑んだ。クララはうーんとうなった。

「わかった。残りは公園通りに持って行く。フェミは弱い者の味方みかただね」

 ごめんね、とフェミはクララにあやまった。

「気をつけてね、早くお店に戻って来てね」

 クララはそう言ってフェミとドブシャリを見送った。

 フェミはドブシャリのためにもう一度買い物をした。クマうり三つだ。


 (青臭あおくさい野菜が好きなのかな……)


 クマうりは安いので、さっきのおりで十分じゅうぶん間に合った。わりに買ってくれたお礼にと、ドブシャリはトロムトロを干したのをフェミに渡そうとした。

「あたしはお酒の果物は食べられないから。いいからそれは自分のためにとっておきなさい」

 ドブシャリはきゅるきゅる鳴きながらフェミに抱きついた。不思議な感覚が彼女をつつんだ。


 (魔法にかけられたわけじゃないだろうけど)


「あなたのご主人に会わなければ気がすまなくなったわ。連れて行って」

 ドブシャリはペタペタ音を立てながらフェミを案内した。二人とすれ違う人は皆まゆをひそめ、うしゆびしたが、フェミもドブシャリも気にもめなかった。

 だんだん人のまばらな通りになってきて、フェミはちょっと不安になった。日が暮れていた。どこまで行くのだろう?

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