第17話 出会い

 とある十字路じゅうじろから一番薄暗うすぐらほうへと曲がって、やがて忘れられたような廃屋はいおくの前に出た。ドブシャリはこわれたとびらを開けて中に入り、フェミを呼んだ。

「こんな所にあなたのぬしがいるの?」


 (何か事情があるんだ、でもちょっとこわいな)


 ためらっていると、中から人の声がした。

「クルル、無事だったか。よかった」


 (若い男の声、しかもまだ子供かも知れない)


「? どうした、だれかいるのか?」

 ひらいたままの入り口からクルルがまた顔を出した。フェミは逃げようとした。その腕をクルルがつかんだ。ギャバギャバ小声でわめく。すぐに若い男が現れた。


 銀色の髪、きゃしゃな身体、見開かれた大きな目。フェミはあたたかでやわらかなものにつつまれた気がした。


「じゃあ、あなたなのね?」

 レノーはフェミをじっと見つめている。彼女はつぶやいた。

「やっぱり、ただの夢じゃなかったんだ」


 レノーは少女が現れたことに驚いていた。


 (自分とあまりとしの変わらない女の子。クルルは後をつけられたのではなく、自分でこの子を連れて来た。なぜなのか、少女は危険な感じは全くしない。それどころかずっと前から知り合いだった気さえする)


 薄暗い廃屋はいおくの別の一室で、アルルが眠っている。こわれかけた小さなランプに火をともしている。

「中に入って。話はそれからだ」

 少女はそぉっと入って来て、クルルがとびらを閉めた。静かな室内に、アルルのいびきだけが聞こえる。

「君はだれ? クルルとどこで知り合ったの?」

 少女は心にしみわたるような笑みを浮かべた。

「フェミ。その子、クルルっていうの? 今日初めて、市場いちばで知り合ったの。あなたがクルルの飼い主なの?」

「そうだけど、俺はレノー。ペタリンはもう一人いて、病気で寝ているんだ」

「ペタリン?」

「俺はそう呼ぶんだよ。ドブシャリなんかじゃない」

「あたしはクルルが好きよ。寝ているペタリンは、何ていう名前なの?」

 レノーはアルルの名前を教えた。部屋の片隅かたすみで、クルルが魚を焼き始めた。

「君は薬屋くすりや……のわけないよね」


 フェミは、自分は花屋ではたらいていると言った。彼女はレノーを知っていることを、なぜかまだ言わない方がいいと思った。

「クルル、レノー、アルル……。アルルは病気なのね? 会わせて」

 レノーは彼女をおくへ案内した。ボロ布の上に横たわっている、クルルとそっくりのドブシャリがいた。顔が汗でれている。

「少し前から具合ぐあいが悪くなり始めたんだ。風邪かぜかな? 熱があるみたいだ」

フェミはアルルのそばに身をかがめて、アルルの顔に手を当てた。

「毎日何を食べていたの? 何かお酒くさいわ」

 レノーはちょっと困った顔をして答えた。

「トロムトロのしたのをよく食べていたんだ。あまりお金がなくて」

「どうしてトロムトロを売らなかったの?」

 道にまよっていた、とレノーは言った。


 (違う、道にまよってなんかいない。俺たちは道のない道を通り抜けて来たんだ。カヌウを見捨てるしかなかった。あんなによくしてくれたクフィーニス、その家を俺の家だと言ってくれた男を。

 アルルとクルル、それに俺は、出来るだけ早くダグラやアヌサ、ズンドウの森から遠くへと、夜も昼も駆けて来た。途中で道を外れ、危ない林ややぶの中を、時々わずかな間だけちょっと食べたり水を飲んだりするため立ち止まるだけで、どこにたどり着くのかもわからずに逃げて来た。三人の服にはかぎきが出来た。でも、俺たちは生きているんだ、生きびるんだ。その思いだけをたよりにこの町、ムネにたどり着いたんだ)


 フェミは物入ものいれから薬草の粉を取り出してクルルを呼んだ。

「ぬるま湯が要るわ」

 クルルはふちの欠けた皿を廃屋はいおくのどこかから調達ちょうたつしてきた。水筒から移したらしい水が入っている。フェミとクルルでお湯を沸かす、そんな二人の様子を眺めながらレノーは言祝ことほぎの場以来の悪夢を振り返っていた。


 (もはや、俺たちには自分の家なんかないんだ)


 追われる者の恐怖、追われ続けていることから来る恐怖はレノーをすっかり変えていた。おびえた目、やせていたほほはさらにこけ、常にあたりを気にする様子は病人そのものだ。

 (後戻あともどりはできない。山火事やまかじのうわさはこの町まで届いているだろうか?)


 三人ともり傷だらけだった。この町も、早く出なければならない。「あかし」を探すどころではなかった。

 レノーは、相手が敵か味方か、それだけを確認するのに一生懸命だった。アヌサの先で森の炎を見てから、もう五日が経っている。アルルの具合ぐあいが悪くなったのは昨日のことだ。


 (フェミと名乗るこの少女、俺のことを何だと思っているのだろう? うまくごまかさなければならない。でも、もしも俺たちに協力してくれるのなら……。自分たち三人だけでは、どうしようもなかった。フェミは……)


「あたしはあなたたちの味方よ。心配しないで」

「フェミ。どうして、わかった」

 何のこと? そう言いながら薬をぬるま湯にかしている。

「その……俺の、考えていることを」

 いまはアルルの看病かんびょうが先よ、そう言って彼女はアルルを起こした。


 屋内おくないは魚を焼く煙で充満じゅうまんしている。アルルは自分が知らない女の子に抱かれていると気づくと一瞬ふるえたが、しばらくフェミの顔を見つめると、安心したらしくまた力を抜いた。

 その間フェミは微笑んでいただけだった。


 薬湯やくとううつわをアルルの口にあてがうと、少しずつゆっくり飲ませた。飲み終わるとアルルはフェミにもたれてぐったりした。

「レノー、これからアルルは汗をいっぱいかくから。かわいた布をたくさん用意して。って、もしかして」

「そうなんだ。布なんか、ない」

 そうなんだ、とつぶやいて、フェミはちょっと考えてから言った。

「あたしが用意する。少し時間がかかるから、待っていてね」

「フェミ……俺たちのこと……」

「だれにも言わないわ」

 少女が煙でいっぱいの廃屋はいおくから出て行くのを、レノーは不安そうに見つめていた。

「クルル……大丈夫だろうか?」

 クルルが書き付けを差し出した。

『心配する前に、魚食べなさい』


 夜の街中まちなかを、フェミは歩いていた。


 (店に戻って、クララに話さなければならない。クルルたちとは別れたことにする。自分の部屋に行って、荷物をまとめて、クララの母にも店をやめる話をする。レノーたちは旅の途中だろう。何か事情がありそうだ。あたしにはたくわえがあるはずだ。今日だって、七千六百コマ以上かせいだんだから……)


 せっかく仲よくなったクララのことを考えると、ちょっと胸が痛んだが、レノーたちについて行きたい気持ちの方が強かった。それは、フェミの強い直観がせるわざだった。旅へ……。そう決めると、フェミの感情はたかぶった。


 あたたかな気持ちで

 行こう 行こうよ

 ペタリン連れて

 あたしが出会った男の人を

 あたしは前から知っている

 今日からあたしは旅の仲間

 見たことのない国へ旅立つの

 吟遊詩人ぎんゆうしじんでも 遊牧民ゆうぼくみんでもない

 あの人 けれど

 ジプシーにだって負けないわ


 あたしにはわかる

 あのひとにはあたしが

 必要だって

 互いに相手を求めてる

 あのひとにはあたしのぬくもりを

 あたしにはあのひとのぬくもりを

 母さんだって認めるわ


 もしも相手を見失い

 はなばなれになる時は

 ペタリンがあたしたちを見つけ

 引き合わせてくれるでしょう


 あたたかな気持ちで

 歩く 歩くよ

 ペタリン連れて

 あたしが出会った男の人を

 あたしは前から知っている

 今日からあたしは旅の仲間

 見たことのない国へ旅立つの

 冷たい風が吹きつけても

 あの人のぬくもり感じるの

 温かな気持ちで

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る