第10話 ヨクノム(その2)

「クルル、早く、わかりやすく教えてくれ」


 クルルはそうしようとはせず、ただレノーの上着うわぎのすそをにぎりしめた。アルルの行動はもっと奇妙きみょうだった。腰に下げたいくつもの袋からなまのトロムトロを取り出すと、近くのから順番に、それぞれの根元ねもとにトロムトロの果汁をしぼって回った。

 光はそれらの樹に飛び移り、飛び回った。徐々に速度が遅くなる。アルルはさらに一本の老樹ろうじゅみきにトロムトロの実をすりつけた。あたりが甘酸あまずっぱいにおいでいっぱいになった。光がその老樹ろうじゅうつるとアルルもレノーのそばに来て上着のすそを握った。

 みきや枝が光り輝き、葉擦はずれのおとがざわざわしたかと思うと、一つの顔が幹に浮かび上がった。顔、と言えるのか、ぐにゅぐにゅとそれは光りながらうごめき、ゆがんだ目や口や鼻のようなものがあるようにも見えた。


「トロムトロ。いいだろう、よく来た」

 クルルの言う「親玉おやだま」が話しかけて来た。アルルとクルルがギャバギャバと何かをうったえた。

「いつもの連中か。いいだろう、行け」

 二人はレノーを連れて行こうとした。

「待て。何だお前」

「何だ、と言うと」

「どこから来た? 誰だ?」

「カヌウの所から来たレノーだ」

「クフィーニス! お前もか?」

 レノーはうそをつくな、とクルルが言っていたことを覚えていた。アルルとクルルは先に行ってしまった。

「たしかにクフィーニスだけど、ここでは何もしないよ」

「クフィーニス! 信用ならん信用ならん。クフィーニスは危険だ!」

「森を通って、町に行くだけだよ」

 顔の形をした色が、赤くなったり黄色くなったり、緑色になったりした。

「もう一人もうばって行った。俺の! 俺たちの!」

「家をてるために仕方しかたがなかったんだよ」

「ならんならん。ならんならん」

 樹の向こうから、アルルがそっと戻って来るのが見えた。両手に一つずつトロムトロの実を握りしめている。


 (どうするつもりなのか、わからないけど、うまくやれよアルル!)


 レノーは話を引きばそうとした。

「本当に、ただ通るだけなんです。ところであなたのお名前は、何てうんですか?」

「聞いていないのか? あのクフィーニスは、お前に教えていないのか?」

「聞きそびれちゃって」

「いかんいかん。私の名はヨクノム」

 レノーはつい吹き出しそうになるのをこらえた。アルルがもうすぐそこまで来ていた。レノーはしたトロムトロをヨクノムにすすめた。

「うほっ。いやいや、いやいや」

「どうぞ召し上がれ」

「私はトロムトロに目がなくてな。しかし」

「どうぞ召し上がれ」

「いかんいかん。クフィーニスは危険だ」

 さらに何かを言おうとしてヨクノムが大きく口と思われるものを開けた時、そこに後ろから来たアルルがトロムトロの実を押し込んだ。光がはげしく明滅めいめつした。ヨクノムがガモガモ言いながらその実にかじりついている。

「むむ。むむむむむ」

 光の顔の色があかくなって行く。明らかにヨクノムはぱらい始めた。

「トロムトロ。いいだろう。よく来た。はあはあ」

 アルルは次の実を片手にかたわらに立ち続けていた。クルルもいつの間にかレノーのそばに来て、すでに書いてあったものを彼に渡した。

親玉おやだまが実をあと二つ食べたら、私たちといっしょに走るのよ! 道が出来るから』

「うほっ。いやいや。はあはあ」

 ヨクノムは口からよだれと果汁をらし始めた。

「トロムトロ。はあはあ。いいだろう。いやいや」

 光の色がだんだん赤ワイン色になってきた。アルルがまた実をヨクノムの口に押し込んだ。光がゆっくり明滅めいめつする。

「何だお前。むむむむ」


 レノーはトロムトロの食べ過ぎを体験済たいけんずみなので、ヨクノムをちょっぴり心配した。クルルが書き付けをし出した。

ぱらわせないと厄介やっかいなのよ。森から出られなくなっちゃうの』

 光る親玉おやだま朦朧もうろうとしている。時々「あっ」とか「くっ」とか小さな叫び声を上げながら、口をゴモゴモ動かしている。アルルが実をもう一つ、押し込んだ。


 静かになった。ヨクノムの顔が、っすらとなって消えて行く。ペタリンたちが走り出した。レノーもあわてて追いかける。


 翡翠色ひすいいろに輝く葉叢はむらをかぶった老樹ろうじゅ巨樹きょじゅの間に、一本の細い、しかしまっすぐな道がびていた。ペタリンたちはペタペタ音を立てながら、ものすごい勢いでけている。レノーも足が速いけれども、それでも追いつくのがやっとだった。


 (アルルもクルルも逃げ足は速いんだな)


 光沢こうたくのあるあわい緑の光を浴びながら、三人は全力で走った。

 森を抜けるまでさほど時間はかからなかった。ペタリンたちが大きないびきみたいにぶもぶもしている間、レノーも大きく乱れた息差いきざしで、苦しくてたまらなかった。しかし「言祝ことほぎの」の後に山の上まで走った時とはちがって、爽快感そうかいかんがあった。

 走って来た方を見やると、道が消えていた。森は広がっているが、どこか暗い感じがする。


 (いや、暗いのは森を出たこの一帯いったい景色けしきのせいか?)


 街道までは遠くなかった。何もない山沿やまぞいの道を、右へ行けばダグラ、左へ行けばアヌサだったな……。三人は水をがぶ飲みし、互いの顔を見合って笑った。

「アルル、クルル、ありがとう」

 へっへっへ、と二人は笑い声を上げた。皆大汗おおあせをかいている。ペタリンはいていなかったが、レノーの靴は土まみれだった。夜はもう明けていたがくもぞらだった。風はすずやかに三人をでた。


 どちらへ先に行ってもいいとカヌウは言っていたが、どうしたものだろう。ペタリンたちにたずねてみると、アルルもクルルもむつかしい顔をしている。

「ダグラにしようか」

 無言むごん

「じゃあ、アヌサにしようか」

 二人はぎゃんぎゃんさわぐ。クルルがまた何か書いて渡す。

『アヌサはいや。ダグラにして』


 (何だろう、アヌサに何があるのだろう)


 クルルにたずねてみた。

『あたくしたちはダグラにもアヌサにも行かないの。とにかくアヌサはいや

 ペタリンたちは街道めざして歩き出す。

(そうだ、ここからはもう、ペタリンの後ろを歩くとか、考えないでいいんだ)

そう思いつくと、レノーは二人の後を追いかけた。

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