第60話 歌姫

 アルルとレノーはすぐに借りる服を決めた。


「女ってすごいよな、アルル」

「初めてなんだから、無理ないよ、レノー」


 二人は女性たちがとっかえひっかえドレスを試着しているのを遠巻きに眺めながら、こうして会話が出来ることを楽しんでいた。


「いちいち走り書きしなくていいっていうのは、何て楽なんだろう」

「暗いところでもアルルと話が出来るな。実際きみの声はなかなかいいよ、アルル」

「僕は紳士になりたいんだ」


 紳士かぁ、俺には無理だなぁとレノーは感じた。しばらくして、やっとフェミが借りる服を決めたらしく、着替えたままこちらにやって来た。ベージュの胸元が開いたドレスで、ひだがたくさんついたドレスだった。二人の小紳士は淑女をほめそやした。


「ところでクルルは?」

 クルルの体型に合った服がなかなか見つからないらしく、時間がかかっているとフェミが話した。

「ちょっと見て来るよ」

 そう言ってアルルがぺたぺた歩いて行った。さすがに靴だけは合うものがなかったらしい。


「レノー、かっこいいよ」

「フェミもかわいいよ。いいドレスだ」

「これから都では、毎日世界が開けて行くんだ。俺たちも都の人間になるんだ」

「レノー。あたし、何だか不安だよ。いいことばかりで」

 フェミの言うことを聞いて、彼もなぜか自分が夢の中の住人になったかのような不安定な気持ちでいることに気づいた。


 (違う、だいじょうぶだ、俺たちはだいじょうぶ、不安になる必要はない)


 アルルが戻って来た。

「レリッシュが、クルルに合うものを見つけてくれた。すごいよ、みんな」

 お待たせ、と言って歌姫があらわれた。その後ろからやって来たのは、桃色のドレスに身を包んだクルルだった。


「かわいい」


 フェミがほめた。

「ほんとうに。あたし、クルルには負けちゃってる。一番かわいいよ」

 アルルはクルルの手を取って、ほめちぎった。レノーはレリッシュに、代金の礼を言った。


「いいんだって。あたしからのごほうびだって、言ったでしょ」

 歌劇場につれて行ってあげる、歌姫はさらに皆を喜ばせた。

「歌姫って、すごいんだね。みんなに尊敬されている」

 アルルがそう言った時、レノーはたしかに聞いたのだ、店員がこう言うのを。


「歌姫だって。かわいそうに。信じてるのかしらね? ぜんぜん違うのに」


 レノーはちょっといやな予感がした。


 都会の中心部にある歌劇場は立派な造りだった。


「すてき。あたし、中に入りたい」


 クルルの願いをレリッシュは聞いてあげると言って、中に入って行った。皆後ろからついて行った。問題が起きたのは、その中でのことだった。劇場の人間が、レリッシュを追い返そうとしたのだ。


「また来たのか! 何度言ったらわかるんだ! 帰れ! お前なんか歌姫じゃない! わからないのか!」

 レリッシュは平然としている。

「あたしにそんな態度を取って、ただじゃすまされないわよ。劇場のしたふぜいが」


 フェミがレノーに問いかける。

「どういうこと? レリッシュって、歌姫じゃないの?」

 レリッシュはあの日、とレノーは思い返した、彼が、彼女は歌姫であるのかと問うと、そうとも言える、と答えたのだ。うーん、そうとも言える、と。

「だって」

 クルルが泣きそうな声で言った。

「だって、アルルもクルルも歌えるようになったもん。話せるようになったもん。レリッシュは歌姫だもん」


 劇場の人間はもう一人増えて、レリッシュも皆も追い出しにかかった。最後には水までかけられた。歌姫が強い口調で口汚く連中をののしった。


「ちきしょう! 許さねえぞ! 都の歌姫に向かって!」


 近くにいた数人が声を出して笑った。レリッシュは結局、歌姫なんかではないことが、レノーたち皆にもわかってしまった。クルルは泣いていた。レノーもフェミも、やりきれない思いだった。皆馬車に乗り込んだ、レリッシュをフェミとレノーがいたわった。すすり泣きの聞こえる馬車が歌劇場からはなれた。


「夜会に出るんだ。みんな、夜会に出よう。いいぞう、夜会は」


 レリッシュの頭には、すでに歌劇場のことはなく、夜会に出る気持ちでいっぱいになっているようだった。皆自分たちにこれまでよくしてくれた自称歌姫に、何かでむくいてあげたいと望んでいた、それでだれももう帰ろうとは言わなかった。


 アルルは黙っていた、彼の心は怒りではちきれそうになっていたが、だれにもそうとはわからなかった。彼がそんな気持ちになるのはめったにないことだった。


 馬車はよどんだ空気をまき散らしながら会場へと向かっていた。フェミとレノーはレリッシュをまだ歌姫として応対し、話すことにも失礼がないようにおもんぱかっていた。歌姫の機嫌もそのうちによくなって来た。クルルも、めそめそするのをやめていた。


「あたしたちは歌姫と、その親衛隊だよ。だれにもばかになんかさせないから」


 フェミの調子のいい言葉に、皆賛成した。レリッシュにもいい思いをしてもらいたい、皆でレリッシュを、夜会の間だけでも守ろう。それは暗黙の了解だった。


 会場に着くと、着飾った都の人々があちこちから集まりつつあった。レノーたちも馬車から下りて、最後に出て来るレリッシュに手を貸した。


 レリッシュたちに気づくと、人々はひそひそ話をしたり、後ろ指をさしたり、人垣が割れることさえもあった。レリッシュは都合よく解釈しているようだった。何と言っても、彼女こそが都の歌姫なのだから。彼女が四方に笑顔でうなずいて見せるのを、レノーやフェミ、ペタリンたちが守るようにしてすすんで行った。

 奇妙な一行に話しかける者はだれもいなかった。中は大きな広間になっており、初めて都の夜会を見た子供たちはすっかり見とれていた。


 弦楽の優美な音楽が流れていた。ちらほらと踊る男女の姿も見受けられた。フェミは会場の、あまり目立たないけれども飲みものやたべものがすぐに取れる場所にレリッシュたちを誘って行った。


 レリッシュはうっとりするような目で笑顔を絶やさなかった。レノーが皆に果物を、レリッシュにぶどう酒を運んで来た。よく見るとほかの席では、腰かけているだけでいろいろなものが運ばれて来るようだった。


「じゃあ、あとは待っていよう」


 しかしレリッシュたちの所に来る者はだれもいなかった。アルルとクルルに対する周囲の嫌悪感もむき出しだった。二人はしかしおとなしく壁際の席に腰かけていた。


「ここに来れただけでもよかった」


 クルルが言った。アルルがクルルの手をにぎっていた。このままレリッシュが気持ちよく時を過ごせればそれでよかった。そのうちに、もう帰ろうと彼女も言うだろう。

 レノーたちは何でもする気でいた。楽曲が変わって、レリッシュはレノーに踊ろうと誘った。彼は踊り方など何も知らない。でも手を差し伸べて、レリッシュの手を取って歩いて行った。


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