第58話 再訪

 ちょっとした駅馬車の旅を経て、レノーたちは都にたどり着いた。


 ついこの間までいた都が、レノーたちには懐かしかった。初めはこの町に嫌われていると考えていたものだったが、二度目に訪れてみると、この町のいいところも悪いところも、きれいなところも汚いところも、皆を邪魔して立ちふさがったりはしないのだった。

 迷わず「すさみ通り」に向かった。猫のボワボワと支配人は何をしているところだろう? 


「ボワボワ」はいつもの通りだった。呼び鈴を鳴らすと、猫のボワボワをつれた支配人が音もなくあらわれ、しかし今度は愛想よく声をかけてくれた。


「ようこそ。またいらしてくれたんですね。部屋は空いてますよ」


 また二部屋を前と同じ値段で借りた。


 フェミが猫をかわいがろうとした、しかしボワボワはアルルのそばによると、じっと彼の顔を見つめた。アルルはしゃがみ込んできゅるきゅる言いながらボワボワののどをでた。気持ちよさそうにした後、ミュウ、と猫は鳴いた。


 レノーは歌姫のやかたの場所を覚えている、と皆に知らせた。おどろいて皆声が出なかった。しかしクルルがかん高く叫んでから大騒ぎになった。


 ほかのことは全部後回しにして、いますぐレリッシュに会いに行くことを決めた。皆うきうきしてはしゃぎたい気分だった。レノーも興奮して来た、駆けてでもレリッシュの館まで早く行きたかった。


 青い空に入道雲がにょきにょき盛り上るようにして浮かんでいる。子供たちは皆日焼けした身体を元気よく機敏に動かして、歌姫の家をめざした。


 真夏の都は活気にあふれている。色とりどりのひさしが街路に影を作り、往来もにぎやかだ。皆をつれて歩きながら、レノーはこの道だ、この道だと街並みを確認していた。


 (俺はもう、危険なクフィーニスじゃない)


 その考えも彼に、ほんのすこし前の自分が遠く幼い存在だったと思わせるのだった。


 フェミ、クルルはあちこちの店の前で立ちどまり、冷たい氷菓子を買って食べたりもした。道はやがて屋敷町に差しかかり、さらに歩いて行くと、下町の雰囲気がただよう区画に入った。

 レノーは歌姫の館まで、一度だって道を間違えたりしなかった。


「ここだ」


 門の脇にある小さな鐘を鳴らす。意外に大きな音が鳴りひびいた。彼はレリッシュの名前を呼んだ。二、三度くり返すとマーモの返事が聞こえた。レノーは自分の名を告げて、ペタリンたちを約束通りつれて来たとよく通る声で説明した。この門には昼間でもかんぬきがかけてあった。マーモが皆を中に招き入れた。


「ピアノの部屋へどうぞ。しばらく待っていらっしゃいよ」

 マーモは二階へ上がって行った。レノーを除いた三人は緊張してわくわくして、不安なくらいでいた。


 ピアノにさわったり、部屋中を見回してため息をついたり、これから何が起きるのか想像しただけで頭をかきむしりたくなる。


 クルルは発声練習を始めた。ぶぎゃぶぎゃぶーぎゃー。マーモがまたあらわれて、レリッシュがいま下りて来るからおとなしくしていなさいと皆を注意した。


 二階の一室の扉がかなり大きな音で閉まるのが聞こえ、皆声をひそめて、歌姫がゆっくり階段を下りて来る足音を聞いていた。衣擦きぬずれのみやびな音も聞こえる。


「レノー。約束通り、よく来たわね」

 レリッシュはあの風変わりな髪形と表情を浮かべてあらわれた。

「あなたたちが言葉のわかるペタリンね? あなたがフェミ? 話はレノーに聞いたわよ。あらたいへん、レノー、クフィーニスちゃんの赤い腕はどうしたの?」


 皆自己紹介をしたり、あがって舌をかんだり、クルルにいたっては歌姫に抱きついてしまった。

「あらまあ、この子はアルル? それともクルル?」

 レノーはクルルが歌を教わりたいと言っていることを歌姫に伝えた。

「いいわ。教えてあげる。その前に、レノーのその腕は? あたしにも教えてよ」

 レノーはトーンドーンで起きた悲劇と能力を失ったことをレリッシュに聞かせた。彼女は相づちを打ったりびっくりしておとぎ話を聞く子供のようにレノーの話を聞いていた。  

 話がすっかり終わるまでに、皆この歌姫のことが好きになっていた。

「レノーもみんなもたいへんな旅をしてきたのね……。ようし、あたしからごほうびをあげる」


 レリッシュは今夜行われる夜会に皆をつれて行く、と言って皆をおどろかせた。

「その前にアルルとクルルに教えることがあるわ。こっちにいらっしゃい」


 ペタリンたちがピアノの前に呼ばれた。レリッシュはマーモに命じて、残りの二人を離れにつれて行かせてお茶を出させた。お茶が出て来るまでにフェミがレノーに言った。

「すごくすてきな人。あたし、レリッシュが好きになっちゃった」


 ピアノの部屋の扉は閉められていた。歌姫が何かの曲を弾いているのがかすかに聞こえる。

「アルルとクルル、よかったね」

 フェミの言葉に、レノーもうなずいた。

「あたしも歌を教わりたいな」

「そんなことより、夜会だぜ、夜会。俺たち、こんなかっこうでいいのか?」

 少女は着ている服を情けなさそうに見つめた。

「あたし、ちょっと恥ずかしい。夜会って、みんなドレスだよ、きっと」

「俺だって、古ぼけたしわくちゃの背広しかないんだぜ。どうしようか?」

 マーモがお茶を運んで来た。フェミが香りをかいで、これはすごく高価な茶葉を使っているとレノーに教えた。

 フェミは思案顔しあんがおで、たしかにうれしいけれど、歌姫がこんなによくしてくれる理由がよくわからない、と言った。

「俺がクフィーニスだったからじゃないかな?」

「それもあると思う。でも、なんでペタリンまで……。気まぐれかな? それとも、ほんとうに人がいいのか。レノー、初めてレリッシュと会った時に、何かあったの?」

 いや別に、と彼はごまかした。歌姫に教わったことは、どうしてもフェミに言う気にはなれない。

「好奇心がおおせいなんだよ、きっと」

 ふーん、そんなものかなと問いかけて、フェミはお茶を飲んだ。すごくおいしかった。二人はそれからずっと、夜会について空想を交わしていた。

 ピアノの部屋の扉をレリッシュが開けて、二人は呼ばれた。

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