第43話 初めての人

 高級そうなテーブルの上品なクロスの上に置かれた皿やボウルの数々。レノーは彼の仲間の話を始めた。レリッシュは言葉のわかるペタリンたちに会いたがった。紅茶を飲み、果物のジュースを飲み、カリカリに焼かれたパンを食べ、きつね色のハムをかじった。


「最後はこれよ、キューピンのサラダ」


「キューピンって?」

 紫色、黄色、赤、緑の野菜が出て来た。

「これがぜんぶ、キューピンよ」

 っぱいたれがかかっているキューピンを、レノーはもしゃむしゃ食べた。レリッシュはフェミの話を聞きたがった。レノーはなぜこんなに自分が無防備むぼうびになっているのかわからなかった。


「じゃあそのフェミって子とは、どこまで行ってるの? まあ童貞どうていなんだから、キスまでか」

「とりあえずいまは、都まで」

「そのあとは、どこまで?」

「ついてきてくれるまで」

 強引にうばっちゃいなさいよ、だいじょうぶ、その子がだめならあたしがいるわ、レリッシュはレノーにながをくれた。

「レリッシュ。歌姫って、いつもこうなんですか?」

「ばーか。敬語なんて、使うな」

 じゃあ使わない、そう前置きしてから彼は言った。

「レリッシュはもちろん、経験済けいけんずみなんだよね……いくつの時だった?」

「教えて欲しい? じゃあ、二階に上がりましょう」

丁寧語ていねいごだ」

「ほんとだ」

 「アルルとクルルをつれてこいよ、歌を教えてやるから。じいさんとか女の子はどうでもいいけど」

 レリッシュは男言葉おとこことばでしゃべりながら、レノーを二階の自分の部屋につれて行った。レノーは彼女に不可思議ふかしぎな親しみを感じていた。


「レノー、あんた、ものになるわ」

「もう、ものだよ。だめなものだけど」

「自分でそんなこと言うもんじゃないぞ。さあ、入って」



 開かれた部屋の中は別世界だった。天井と壁じゅうに鏡の星がちりばめられている。部屋の中央に大きなランプがともされて立っている。レリッシュはレノーに、気を楽にしてと優しく言った。

「レノーは彼女のこと、どう思っているの?」

「それは、好きだよ」

 二人はソファに並んで腰かけた。

「こうしてあげたいとか、ああしたいとか、ある?」

「それは、ないわけじゃないけど」

 レノーは口ごもるように言った。

「あるのね? あるけど、出来ない」

 出来ないさ、とレノーはうつむいたままで認めた。

「女だって欲しいときがあるのよ。男と同じ。わかる?」

「そう、なの?」

「十六と十四なら、おかしくないわ。そういう年頃。一番の悩み」

 レリッシュはレノーの赤い手を取った。レノーは彼女の顔を見つめた。

「知らないよりは知っていた方がいい……知りたい?」


 彼は迷った、これから起こりそうなことが怖かった。

「あたしの場合は初めて同士だった。相手もいまのレノーみたいにで、何も知らなくてね。それはそれでよかったんだけど、もっと自然にしたかったな……痛かったし」

 女の身体がどんなだかも、知らないの? そう問いかける彼女に、彼は首を横に振ってみせた。

「いいわ。じゃあ、こっちに来て」

 レリッシュはレノーをベッドにいざなった。

「待って。こういうの、困るよ」

「いまさら何を言ってんの。きもえなよ」

 レリッシュはレノーの肩を押さえてベッドに腰かけさせ、彼の目の前に立ち、来ている服を脱いだ。レリッシュのやせた身体に彼の目はくぎ付けになった。

「レノー、あんたも脱ぎな」

 彼がためらっているのを見て、彼女はあたしが脱がせてやろうかと言って微笑み、舌なめずりをした。彼はあわてて寝巻きを脱いだ。

「じゃあ、ベッドに上がって。あたしを見て」

 レリッシュは枕に頭を乗せて横たわると、脚を大きく開いた。

「もっとこっちへ来て。よく見ておきな。ほら、早く」

 レノーは変な姿勢でそちらへって行った。レリッシュは丁寧ていねいに教えてくれた。


「アルルとクルルをきっとつれておいで」


 レリッシュがそう言ったのは、もうその日の夜だった。

 レノーは彼女と軽く抱き合って、彼女のほほに口づけをした。レリッシュはもうレノーのことをよく知っていた。彼の幸運を祈り、金色きんいろ河口かこうで何かわかることを期待しているとも言った。


「フェミも、リサクもつれておいで。フェミの方はちょっと、けるけどね」

 レノーは皆をつれてまたここに来ることを約束し、彼女にさよならを告げた。


 (きっともう、ここに来ることはないだろう)


 複雑な思いでそう自分の気持ちを確認した。

 レノーの中で何かが芽生めばえ、それが伸び始めていた。


 レリッシュの家を出ると、青い光の中にたくさんのが飛び回っているのを見た。レノーは一度だけ振り返った。が、もうそこには閉ざされた門しか見えなかった。


 あんなにも恐ろしかった街並みが、いまはどこか懐かしくもある。彼は、自分がやっとこの都会に入り込んだのだと、胸を張って答えられるような気がした。「すさみ通り」までは遠かった。が、レリッシュに教えられた通り、彼はしっかり歩いて行った。あの大きな屋敷ばかりの町を、入り組んだ迷路の町を、雑踏ざっとうの中を。昨日ペタリンたちといっしょに屋台を出していた場所も確認した。


 ずいぶん前のことのような気がする。彼は帰りを急いだりはしなかった。ボワボワに着くころには、もう日付が変わっていた。


 ボワボワでは、四人が疲れた表情で話し合っていた。

「結局見つからんかった」

 リサクがため息をついた。アルルとクルルも元気がない。ペタリンたちはレノーがいなくなったのを、自分たちのせいだと考えていた。

「クフィーニスの話なんか聞かないし、だいじょうぶだよ、きっとレノーは帰って来る。しばらく様子を見ようよ」


 フェミが明るく言った。そのフェミも、今日は散々さんざんだったと認めなくてはならなかった。花屋に遅刻したうえ、何も手につかず、失敗ばかりしていたのだ。皆宿でおいしい夕食にありついた。いまはもう、眠る時間だ。


「わしゃ明日はずっと遠くの町を仕事して回るぞい。一石二鳥じゃ、いや、見つけたら帰りはレノーを乗せられる。一石三鳥じゃな」

『あたくしたち、明日は屋台をやらないでレノーを探そうかしら』

「あたしだって花屋をやめて、レノーを探したいよ。レノー、帰って来たら思い切りいじめちゃうんだから」

「おや、なんじゃ。何か聞こえんかったかの?」

 皆が耳をました。ボワボワの支配人の声がする。もう一人の声の主は……。


「レノーだ‼」

 フェミが立ち上がり、飛びつくようにして扉を開けた。皆あとにつづく。

「レノー!」

 フェミはレノーに抱きついた。レノーは笑って彼女を受け止めた。フェミはわんわん泣いている。

「フェミ。アルル、クルル。リサク。心配をかけて、すまなかった。俺はこの通り、無事だ」

 ばか、あんぽんたん、ギャバギャバ。レノーはしかし、笑顔でそれを受け入れることが出来た。


「どこへ行っていたの?」


 部屋で話すよ、そうことわると、レノーは自分のベッドがある部屋に入った、フェミを胸に抱きかかえたままで。皆彼が出会った不思議な女性の話に、わくわくしながら聞き入った。


「歌姫じゃと? そりゃすごいぞい」

 クルルは半狂乱はんきょうらんになって、書き付けをよこした。

『あたくち、でったいそのしとに会う! クルルも歌えるようになる!』


 しかしレノーは、もう会えないんだ、道も忘れてしまったとうそをついた。クルルは失神しっしんしかけた、アルルがきゅーきゅー言いながらクルルのめんどうを見始めた。レノーはレリッシュの部屋でのことも省略しょうりゃくした。レリッシュは単に、とても親切な歌姫として皆の想像の中に残った。フェミがつぶやくように言った。


「レノー、何かあなた、人が変わったように見える。ほかにも何かあったの?」

「うん、何か、変わったのかもしれないな」

 レノーはもう一度皆に謝った。リサクは何かを感じたようだ。


「みんな、もう眠るんじゃ。明日からはしっかりかせがんと。レノー、もういなくなったりしたらいかんぞい。どんなことがあったか知らんが、運がよかっただけじゃ。フェミを裏切るようなマネは許さんからな」

「リサク、レノーはもう帰って来たんだから。もうレノーを責めるのはよして。さあみんな、もう眠ろうよ」


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