第41話 彷徨(ほうこう)

 また朝までさまよっていればいい、いつでもボワボワに戻ることが出来る、そんな軽いつもりだった。彼は街を徘徊はいかいした。それから何度かペタリンたちの所に戻ろうと試みた。が、道がすっかりわからなくなっていた。どう歩いても、また同じ場所——不思議だが、見覚えのある、しかしまったく知らない場所——に着いてしまう。どこがどうつながっているのか、思い切って遠くの道を選んで行っても、混乱して何度も角を曲がり、またその場所に出てしまうのだった。彼はだんだん恐怖でいっぱいになって来た。ペタリンたちの所ではなく、ボワボワに戻ろうともした。「すさみ通り」だ、「すさみ通り」への行き方を教わればいい。しかしその名を出したとたん、レノーが道をたずねた相手は顔色を変えてその場から無言むごんで立ち去ってしまうのだった。ここからは庁舎の塔も見えなければ、図書館のある場所とも違う。フェミとさまよった町とも異なっていた。大きな屋敷ばかりが立ち並び、高いへいと高い門とに守られている。人通りがすぐになくなり、彼は都会のまっただ中で孤独におちいった。


 レノーは知っている場所ならどこでもいい、こんなだれもいない場所からは逃げ出そうと思って走り出した。


 (そうだった、自分は足が速いんだった。走ってさえいれば、きっと……)


 だがいくら足が速くても、道が間違まちがっていれば同じことだった。


「アルル、クルル!」

「リサク、フェミ!」


 彼は皆の顔を一人ずつ思い出した。皆の声や仕草しぐさ、皆の言葉。


 (どうしてみんなの言う通りにしなかったんだろう?)


 彼はご丁寧ていねいにも小銭一つ持っていなかった。辻馬車つじばしゃを止めることすらできない。


 (だれの姿もない。ここにはだれもいない)


 騒ぎを起こすことも出来なかった。こんな立派な屋敷町やしきまちで、「すさみ通り」から来たドブシャリの仲間が、どうして道をたずねられるだろう?


 (そして俺はクフィーニスでもあるんだ。このままではまずい。ここはいったい、どこなんだ、俺はいったい、どこから来た? どこへ帰ればいいんだ?)


 彼は深刻な錯乱状態さくらんじょうたいおちいってしまった。

 とんでもないあしで通り過ぎる街並みを、もはやそれがどんなだかよくわかりも出来なかった。


 だれもいない、でっかい見たこともない屋敷があるだけで、ここにもだれもいない。ここにも、さっきのさくの中にも。


 (青い明かり……。これが、遠い東の島の連中が言う、たましいを抜くあおい空だ。速く、もっと速く走れば帰れるんだ。きっと、みんながそこにいるんだ。どこだって? 都はいったい、どれだけ広いんだ? 俺は何も知らない。ここも沼地ぬまちと同じだ。このままでは死んでしまう。だれか! 俺を、助けてくれ!)


 とあるかどをものすごい速さで曲がった時、立ちはだかる大きな影にレノーは突っ込んで行った。甲高かんだかい悲鳴が聞こえた気がした。


 フェミとリサクに異変を知らせたのはアルルとクルルだった。しかし二人とも、レノーはもうボワボワに帰っているものだと思い込んでいた。フェミがアルルたちの部屋の前でリサクとぶつかりそうになった。


「どういうことじゃ? フェミがここにおるんじゃ。レノーは、前の晩みたいには行かんぞい!」


 レノーが屋台の前を立ち去ってからもう五時間はっている。レノーは金を一コマも持っていなかったと、アルルがたしかにうけ合った。フェミは自分たちの部屋に戻ってた身支度みじたくを始めた。あっという間にそれをすませると、まだ着替きがえをしているリサクに大声で命令するかのように言った。


「リサクは一人で彼を探して! クルルはこのままボワボワに! アルルはあたしといっしょ! レノーを見つけるのよ!」

 フェミとアルルはリサクを待たずにすぐ宿を出て行った。


 朝はまたおとずれる、レノーは睡眠不足すいみんぶそくでまだ眠い目をこすりながら一瞬だけ自分のまわりで起きていることを感じ取った。知らない部屋の中、だがここがどこでもいい、眠ってさえいれば、自分は安全なのだといまは信じたかった。右の肩が痛む。もう一度目を閉じると彼は深く長い夢の世界へ旅立って行った。


 他のみんながレノーを見つけることはできなかった。フェミとアルルはレノーの捜索そうさくをあきらめた。フェミはそのまま仕事に出かけた。初日から遅刻だ。アルルはボワボワに戻る途中、馬車を引いているリサクに出会った。


「わかった。わしが仕事しながらレノーを探す。アルルはクルルといっしょにいるんじゃぞ。だいじょうぶ。レノーはきっと、見つかるぞい」


 しかしその日レノーは、見つからなかった。

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