第34話 リサク

「じゃりん子のころから、わしゃ馬車が好きじゃった。どこかの町で初めてそれを見た時、これじゃと思ったんじゃ。馬車はわしのあこがれじゃった。わしの両親はミルダムで農家をやっておった。貧しかった。わしは若いころ、御者ぎょしゃになりたい一心いっしんで家を出たんじゃ。ほんとうはみやこに行きたかった、じゃがその前に別の町で、やとわれ御者ぎょしゃになった。荷馬車から始まって、やがて組合の乗合馬車をあやつるまでになったんじゃ。住むことは出来んかったがみやこになら行ったことがある。その途中、ある町である娘と知り合った。最高に気持ちのいい子じゃった。わしはその子、シアリスというんじゃが、彼女を連れて町に帰った。結婚したわけじゃなかった、同棲どうせいという奴じゃな。わしらは貧しく、暮らしも苦しかったしつらいことも多かった。じゃけれども、最高に幸せじゃった。わしゃよくシアリスに話したもんじゃ。いつか最高の馬車を持つ、最高の馬にそれを引かせるってな。じゃがそいつはかなわぬ夢じゃった。ある時わしにおかかえの話がやって来た。よい話じゃ、やっとわしにも機会が訪れたんじゃ。


 その話には条件がついとった、わしにはのめん条件がな。門番も兼ねて一人で小屋にすまんといけなかったんじゃ。その代わり、金もよかった。わしは断るつもりじゃった。それをシアリスが、行けって、そう言ってくれたんじゃ。金がたまったら、やめればいい、最高の馬車を買って、迎えに来て欲しい。最高に気持ちのいい言葉を言ってくれたんじゃ。わしゃうれしかった。主人になる商人にすぐに返事をしに行った、彼女と一緒に暮らすことも頼んでもみたんじゃ。それは断られてしもうた。結局わしはお抱えの御者兼門番ぎょしゃけんもんばんになることを選んだんじゃ。シアリスはすんごくよろこんでくれよった、わしは必ず彼女を迎えに行くと、たまの休みには会いに行くと約束した。きっとうまくいくと思っとった。わしゃほんとのあんぽんたんじゃ。組合をやめ、商人の者になっちまったんじゃ。おかかえになって、まずシアリスに会えなくなってもうた。休みがないんじゃ。シアリスの方からわしに会いに来た。ちっぽけな門番小屋にな。しかし会いに来たところを主人に見つかってしもうた。わしはどえらくしかられて、シアリスは追い返されたんじゃ。


 じゃが仕事は楽しかった。ピカピカの馬車じゃ。わしゃピカピカの馬車の御者ぎょしゃなんじゃ。シアリスは何度かわしの小屋に来た。夜に来たこともある。明け方に来たこともある。じゃが何度か主人に見つかりしかられて、わしはだんだん彼女と会うのがめんどうになって来よったんじゃ。シアリスが来ても、居留守を使うようにもなったし、彼女が入れんように、門にしっかり鍵をかけたりもした。わしゃ馬車のことばかり考えておった。わしの馬車は穴ぼこなんぞ踏まんようになったし、石ころにも乗り上げたりはせんかった。主人はだんだんわしのことを気に入り始めとった。


 ところで、主人には娘がおった。送り迎えをするうちに、わしゃその子のことが好きになってしもうたんじゃ。じゃから、さっき馬車のことばかり考えとったと言ったのは間違いかも知れん。季節は過ぎて行きよった、わしゃ自分の夢にどんどん近づいとる、そう思っとった。そんなある日、主人はわしにシアリスを小屋に住まわせてもいいと言ってくれた。ところがわしは……わしゃ、断ってしもうたんじゃ。わしはその時、主人の娘と交際しとった、主人に隠れてな。愛欲をむさぼるということがどういうことか、お前たちにはわからんじゃろう。シアリスは一人で暮らしとった、友だちもおらずわしにも会えず……。冬の夜にシアリスからの使いだという小僧が小屋にやって来た、小僧っこはシアリスが病気だと言い、わしに会いたがってると伝えた。わしは迷った、じゃが行かなかった。むしろいまさら悪い気がして行けんかったんじゃ。寒い夜じゃった、ある日、またシアリスの使いが来た。


『シアリスが亡くなりかけている』


それを聞いた時、わしゃ主人の娘といっしょじゃった。娘はわしに行かないで欲しいと言った。行かせまいとした。じゃがわしは娘を押しのけてシアリスの部屋へと走った。シアリスはわしの顔を見るとよろこんで、わしに贈り物があると言った。ロブリの店に行けばわかると。そしてこう付け加えた。


『リサク、あなたの馬車はいつでも最高に気持ちのいい馬車よ。最高に気持ちのいい馬が引いてるの。そしてあなたは、最高に気持ちのいい御者ぎょしゃだわ』


 シアリスは亡くなった。じゃがわしは涙も流さんかったんじゃ。わしはいったん自分の小屋に帰った。そこに主人が待っておった。主人の娘が話してしまったんじゃ。わしはその場で首にされた。給料は半額しか渡されんかった……わしは文句も言えんかった。わしはシアリスの葬儀そうぎをした。涙なんぞこれっぽっちも出んかった。わしは何もかもを失くしてしもうたんじゃ。ところがロブリの店へ行くと、そこに待っておったのは、わしの御者台じゃった。わしの御者台がシアリスからの贈り物としてわしを待っとったんじゃ。わしゃ号泣した。その時になって初めてわしは泣いたんじゃ。


 残りの金でしかしわしは馬と幌馬車ほろばしゃを買った。安い馬に安いほろじゃ。じゃが、シアリスは言ってくれたんじゃ。わしの馬車はいつでも最高に気持ちのいい馬車じゃと。最高に気持ちのいい馬が引いておると。わしが、あんなことをしたわしが、最高に気持ちのいい御者ぎょしゃじゃと。馬が変わり、ほろが変わってもな、わしゃあの御者台ぎょしゃだいだけは変えんかった。あの御者台だけを頼りにしてやってきておるのじゃ。わしは転々として、その後ミルダムに戻った。わしの両親はわしの知らぬ間に亡くなっておった。わしの家の手入れをしてくれていたのがヨサじゃ。そういうことなんじゃ」


 リサクの話を、皆静かに聞いていたが、やがてフェミが言った。

「知らなかった……そこまでくわしい話は、あたしも初めて聞いたから」


 そうじゃろうとも、とリサクが返した。

「ここまで話したのは、お前さんたちが初めてなんじゃ」


 クルルが書き付けを回した。

同棲どうせいとか愛欲あいよくとか、生ぬらしいですこと』


 レノーがつぶやいた。

「リサクが捨ててしまった女性からの、贈り物、だったんだ……」


アルルはリサクに批判的だった。

『愛し合い、約束まで交わした相手を裏切るなんて……ひどいやり方だ、残酷ざんこくだよ』


 面目めんぼくない、じゃがほんとうにあったことじゃ、とリサクは答えた。フェミがリサクをかばうように話し始めた。


「たしかにリサクはひどいことをしたかも知れない。でも、もうじゅうぶんそのばつは受けているよ。リサクは結婚したこともないし、子供もいない。ずっとそのことを引きずって来ているの。そのリサクがあたしたちをここまで連れて来てくれたんだし、みやこのことも教えてくれた。リサクの過去は過去、過去のリサクを否定してもいいけど、いまリサクを切り捨ててもいい、ってことにはならないような気がするの。あたしたちは身を守るためとはいえ、リサクの大事な御者台ぎょしゃだいこわしちゃったんだ。リサクはヨサ母さんに借りがあるって言ってるけれども、あたしたちだってリサクには借りが出来てるんだよ。レノー、アルルにクルル、リサクとリサクの馬車をここで見捨てちゃうのだけは、やめようよ」


「そうか……そうだな。都でまずみんなで働いて、お金をかせいで、リサクに新しい御者台ぎょしゃだいおくろう」

『最高に気持ちのいい御者台を、ですわね』

 クルルの書き付けだ。

『ちょっと待って。レノーにはそんな時間はないはずだよ』

 アルルが慎重な意見を述べた。レノーはいいんだ、と言った。


「この分じゃあ、どのみち次の祝祭の日までに故郷に戻るのは無理だろう。のんびりするわけでもないけど、俺はあわてずに『あかし』を探すさ。とにかく俺たちには金がる。みやこで働こう」

「みんな、ありがとう。ありがたいことじゃ。もちろんわしも、自分でもみやこで働くぞい」

「いよいよだね」

『都だ』

『都ですわ』

「よし、みんな、都に入るぞ!」


 みんなはしゃいでつい声が大きくなった。リサクが御者ぎょしゃをする、と言って馬車を下り、ブギーをつないでいるの方へ行った。それからの一時間はみんな興奮してたまらなかった。みやこの門をくぐる時、興奮は頂点に達した。

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