第33話 アクシデント

 町や村の情報を集めること、どこで泊まるか、何を食べるか、いつ休憩するか。自分の薬、掃除に洗濯。どの道を選ぶか。リサクの悩み、フェミの悩み。皆の悩み。


 みやこ間近まぢか、だった。それはリサクとの別れを意味する。アルルとはまだ仲直りしていなかった。しかしレノーは憂鬱ゆううつさにひたる間もなかった。次々にするべきことがやって来る。 

 彼は一つ一つ皆に相談したがった。ところが実際には、そんな余裕はない。リサクがいるうちに、彼に聞いておかなければならないことも多くあった。たとえ間違ったとしても、彼一人で決断しなければならない場合がほとんどだ。


 時には彼も御者ぎょしゃになり、リサクにまかせたり、アルルにまかせたりもした。彼はわざと馬車をゆっくり走らせた。時間稼ぎのためだ。


 道はどんどん広く整備されたものになり、もはやだれが見ても見間違えようのない、みやこの影が見えていた。みんな目をらしてその影を見ていた。


「いよいよじゃの」


 リサクが言った。さすがに初めてではないらしい。御者ぎょしゃをしていたアルルに馬車を止めさせ、全員でリサクを囲み、作ってもらった地図を見て、気を付けることや、知っておかなければならないことについてたずね、それを記した。みんな興奮していた。それでいっそう全てが煩雑はんざつさにかぶれるのだった。


 クルルはドブシャリが集まる場所についていた。フェミはヨサの知り合いの家がある場所についてたずね、おいしい食べ物の店についてもいた。レノーは図書館について質問した。リサクはいくつかの図書館のある場所を教えてくれた。


「親分たちには本は貸してはくれんじゃろう。決まりなんじゃ。みやこのどこかに住んでおらん者には貸してくれんのじゃ。ただ、図書館の中で読むだけなら出来るはずじゃ。わしもくわしいことは知らんがの」

写本しゃほんは許可されるかな?」

「だいじょうぶじゃろう、たぶんな」

 リサクも確信はなさそうだった。リサクは求めている本の探し方を教えてくれた。図書館はそれでいいとして、もう一つ、絶対に必要なものがあった。


「お金がいるんだ」


 レノーは、みやこで金をかせがなければならない事情を話した。

「フェミなら働き口はあるじゃろう」

「俺たちの大道芸は?」

 どうかの、と言ってリサクは首をかしげた。

「都でも、ドブシャリ、いや、ペタリンの芸を見たことはわしにもないんじゃ。じゃがやってみたら案外もうかるかも知れん。なにしろみやこじゃからな」

 それにも許可がいるのかな、と念のためにいてみた。

「わからんな……みやこには昔の宮殿があって、いまは庁舎になっておるはずじゃ。そこでいてみたらどうかの?」

 それまで黙っていたアルルが初めて書き付けを回した。


『歌姫はどこにいるんだい?』


 クルルがギャバッと声を上げた。クルルも訊きたかったらしい。

「歌劇場じゃよ。街の真ん中へんにあるんじゃ。じゃが席は値が張るぞい」

 ペタリンが二人ともきゅーんとうなって、馬車の中は静かになった。


「クルル、だいじょうぶよ、あたしが働くから。かせいだお金でみんなで歌劇場、行こうよ」

 フェミが笑顔で話すと、アルルもクルルもきゅるきゅる鳴き始めた。それにフェミが加わり、レノーも加わった。リサクは目を回す。

「なんじゃ、なんじゃ、なんなんじゃ?」


 皆笑顔になった。皆が気を抜いた次の瞬間、馬のブギーがいきなり走り出し、馬車の中で全員ひっくり返った。


「どうした? なんじゃ?」


 レノーはすぐに指示を出した。

「アルル、御者台ぎょしゃだいまで行けるかどうか、試してくれ。リサク、他に何か手はあるか?」

「わしの馬が! わしの馬車が!」

「リサク、落ち着いて」

 アルルがレノーに首を横に振ってみせた。

「仕方がない、ほろに穴を開けよう」

「許さんぞ! 最高に気持ちのいいほろじゃ!」


 やれやれ、とレノーはつぶやいた。ブギーは速度を上げて走っている。

「このままじゃ馬も俺たちも危険だ。みんな、リサクを押さえていてくれ」

 フェミとペタリンがレノーの指示に従った。リサクはあがいている。


 レノーは馬のブギーがいる方のほろを見つめた。簡単だ、簡単に出来る。ほろの中央に小さな穴が開き、それが八方にめくれて広がり始めた。


「クフィーニス!」


 リサクがため息まじりに声をらした。


「アルル、クルル、馬に飛び乗って、『きゅるきゅる』声を吹き込んでくれ」

 突然車輪が何かに乗ったらしく、馬車が跳ね上がった。アルルが馬車から転がり落ちそうになり、その足を、クルルが捕まえた。レノーは指示を変えた。

「リサク、クルルを捕まえていてくれ」


 次にレノーは穴の向こう、邪魔になっている御者台ぎょしゃだいの背もたれに意識を集中した。硬い木が、ナイフで切られたケーキのように、なぎ払われて飛んで行くさまを思い描く。

「リサク、ごめん!」


 レノーの脳裏で像が結ばれたすぐその後に、本物の背もたれがすっ飛んで行った。御者台ぎょしゃだいに乗り込む時、彼は沼地でのことを思い出していた。

 (俺たちは、生きびるんだ)

 レジーの言葉も思い出した。カヌウのことも。


 馬車はしばらく前から道を外れ、石ころだらけの荒れ地を走っている。手綱たずなを引き、大声を出して馬を制しようとした。が、うまくいかない。


 (リサクの腕か、ペタリンの声さえあれば)


「レノー!」


 リサクだ。

「もっと手綱たずなを引け! 両方いっぺんに、もっと引かんかい!」


 がたがたひどい揺れがつづいている。レノーはリサクの言う通りにした。ブギーが速度を落とした。時間がかかったが、少しずつ馬車はゆっくりになって、やがて止まることが出来た。


「みんな、ケガはないか?」

「大ケガじゃ、大ケガしとる!」

 レノーはよく見まわした。だがだれもケガをしているようには見えない。

「リサク、だれがケガしたんだ?」


「わからんのか、この、あんぽんたん。わしの、最高に気持ちのいい馬車に決まっとる!」


 いたんだ馬車で街道に戻るのも大変だったが、リサクのなげきをしずめるのはもっと時間がかかった。実際リサクははらはらと涙を流しながら、彼と彼の最高に気持ちのいい馬車との思い出にひたり、御者台ぎょしゃだいほろがいかに最高に気持ちのいいものだったかを強引に皆に同意させてやまなかった。


 レノーは彼に丁寧ていねいに謝ったが、そうするとリサクはよけい悲しい顔をして、乱暴なマネをした親分を意気消沈いきしょうちんさせるのだった。


『気にすることなくてよ、レノー。あなたの判断はまちがっていなくてよ。あなたは立派な親分ですことよ』

 クルルはレノーをなぐさめてくれた。アルルはリサクの話を聞いている。フェミもレノーを励ました。


「レノーは悪くないよ。ただ、リサクにとってこの馬車は……ね、かけがえのないものなの。ちょっと事情があるんだ」


 耳を貸して、と言ってフェミは彼に小声で話そうとした。が、それと気づいたリサクがフェミをしかりつけた。


「話しちゃならんぞ、フェミ! それだけはこのリサク、絶対にお断りじゃ!」


 皆がフェミとリサクを見つめていた。馬車は街道のわきにあるにつながれている。アルルもフェミとレノー、クルルに感謝して、やっとレノーと仲直りしてくれていた。それなのに、今度はリサクだ。しかもリサクとは間もなく別れなければならない。

 フェミは何を言おうとしたのだろう? レノーはリサクに借りを作ったまま別れたくなかった。

「なぜなの、リサク? どうして言ってはいけないの?」

 フェミがリサクに問いかけ、リサクは顔をしかめてこう言った。

「それはわしの問題じゃ。お前たち子供の出る幕じゃないんじゃ」

 フェミはリサクの手をにぎった。

「子供とか大人とか決めつけないで。あたしたちはだれにも言わないよ。こんなことになって、あたしたちは知っておくべきだし、みんなの力を合わせれば、リサクの馬車も何とかなるかも知れない」

「言っちゃいかん」

「言わせて」


 フェミは見ている者に勇気を与えるような微笑みを見せた。リサクが動揺どうようしているのが皆によくわかった。


「……いいじゃろう。じゃがわしのことじゃ。わしが自分で言う」


 皆ブギーと馬車を囲むようにして立っていた。が、全員ほろの中に入るようにレノーが言って、全員それに従った。ぽっかり空いたほろの穴から、都の門や並び立つ建物の姿がはっきり見える。ここからならあと一時間もしないで都に入れるだろう。


 しかしいまは都の話をしている時ではなかった。リサクはなかなか話をしようとしなかったが、やがてせきばらいをして語り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る