第32話 親分

 フェミが宿に部屋を取り、薬を買って戻って来た時、レノーはまだ馬車のそばで雨にれ、ふるえていた。彼の赤くはれたほほと顔についた泥、泥まみれでぐしょぬれの服を見た彼女はすぐには何も言わなかった。馬車に上がってクルルたちと話をして、アルルを御者台ぎょしゃだいに回らせてからレノーの所に来て、言った。


「レノーもいっしょに来て。あなたが必要なの」


 レノーは何も言わずに馬車に上がり、腰を下ろした。クルルが乾いた布を彼に手渡した。


「……ありがとう、クルル」

 へっへっへ、と久しぶりにクルルが笑った。彼はそれですこし救われたような気がした。リサクの様子が気になる。


 馬車はゆっくり動き出していた。リサクを看護かんごしているフェミもびしょれだ。クルルがもう一枚布を持ってきて、レノーの頭をふき始めた。

「クルル、ありがとう。フェミ、すまなかった。俺が、悪かった。リサクの看護かんごを俺もする」

「何が、どう悪かったの?」

「俺は自分の都合つごうでしか、ものを考えていなかった」

「言葉の意味を考えて。レノー、あなたはんでいるの。いまの自分を、認めてよ」

「いつも言葉の意味に気をつけるようにする。俺は病気だ。自分がんでいることを、認めるよ」

「レノー、これは会話なんだからね。相手だって生きているんだから」

「いま、俺に出来ることはないか? リサクをどうすればいい?」

「その前に、ちゃんとアルルにあやまって。クルルにも」


 彼はちょっと思い悩んでいる風だったが、何かを決心したように見えた。彼は御者台ぎょしゃだいのアルルにも聞こえる大きな声で話し出した。


「アルル、なぐらせたりして悪かった。俺は病気で、五感がおかしくなっている。言葉の意味も、物の見た目も、食べ物の味も変な風にしかとらえられなくなっている。俺はみんなが好きだ、でもたくさんいやな思いをさせてしまった。謝るよ。これからもいやな思いをさせることもあるかも知れない。そんな時はまた、なぐってでも気づかせてくれ、俺がおかしくなっていることを。クルル」


なぐるのだっていやなんだってば、レノー」

 フェミが言った、しかしその目はもう怒ってはいなかった。

「ゴメン、また間違えた。クルル」

 クルルは書き付けを差し出した。


『レノー、自分がすっかりおかしくて、間違えているのを認めることはつらくてよ。でもそれはどうしても必要ですわ。自分のを認めない人にはあたくしもアルルもついて行けませんことよ』

「クルル……」


「レノー……」

 リサクが口を開いた。

「リサク! 気分はどう⁉」


 レノーが心配してたずねると、リサクは目をぎょろりとしてこう言った。

「気分ならもちろん最悪じゃ。せっかくわしが馬車を止めて、最高に気持ちのいい休みを取っておるというのに、気まぐれ坊主ぼうず勝気かちきな娘と口ゲンカ、気まぐれ坊主ぼうずはペタリンにもなぐられる、ペタリンの片割かたわれはギャバギャバわめくわ、わしの最高に気持ちのいい帽子を尻にくわ、あげくの果てには勝気かちきな娘がとんでもなくまずい薬をわしに飲ませるわ、わしゃどこも悪くないと言うのに」


「悪くないって、リサク、倒れたんだよ?」

「まさか……」

 レノーはがく然とした。

「わしゃ、どこも悪くないぞい! 気まぐれ坊主ぼうずのマネをして、わしもちょこっと気まぐれを起こしただけじゃ」

「何だって! 仮病けびょうだったのか!」

「さよう……いかにも仮病けびょうじゃ。じゃがわしが仮病けびょうでもせんことには、レノー、どうにもならんかったじゃろう」

「………」

「もう一度言う、レノー。みんな自分のことは後回しにしてお互いのためにやっておるんじゃ。フェミの言うことを聞いたじゃろう。みんなのしていることに気づいたじゃろう? わしらはみんな、レノーのことを思っておるんじゃ。皆のためを思うこと、それが自分のためでもあるんじゃぞい」

 レノーは真っ赤になった。

「変な話し方」

 真っ赤になったのが恥ずかしくてそう言った、しかし見破られてしまった。

「レノーが顔を赤くしとる! レノーの顔はっか!」

 どういう男なんだ? ほんとに大人か? でも、たしかにいい人だ。

「さてと、どうやら宿屋に着いたようじゃの」

「今日はこのまま休みにしよう。フェミ、部屋はいくつ取れた?」

「二つ。あたしはクルルといっしょにするから、レノーはリサクとアルルといっしょにね」

「フェミはレノーといっしょがええんじゃないのか? わしも、むさくるしい男だけの部屋なんぞいやじゃぞい」

 クルルが猛烈もうれつな勢いで何やら書き付けている。


『あたくしたちは【最高に気持ちのいい淑女しゅくじょ】ですことよ。男は男部屋』


 その後、リサクはまず馬車と馬の世話(ブギーと言う名前だった)、レノーたち四人は先に順番に湯浴ゆあみをしたり着替えたり、洗濯せんたくをしたりして、それぞれに忙しかった。レノーは自分たちに、今日やることがこんなにたくさんあるので驚いていた。


(それなのに俺は、ただみやこに行くことしか頭になかった……)


 かなりの自己嫌悪じこけんおが彼を悩ませたが、湯を浴びてさっぱりするとそれも薄れた。部屋に戻ると、今度はリサクが湯浴ゆあみをする番だった。


「わしの番じゃな。わしが思うに、きっと」

「最高に気持ちのいい風呂」

 レノーが言って、衣類をしていたアルルが笑った。アルルも全身ピカピカだ。

「そうじゃ、そうじゃとも」

 食事のさいにみんなで決めることがあるからの、とつけしてリサクは歩き去った。


「五人で旅をするのなら」


 食事の後でリサクがみんなに言った。

「だれが親分か、決めとかにゃならん」

 親分……。

 クルルが書き付けを回す。

『それはもちろんリサクに決まっていてよ。残りのあたくしたちはみんな子供だし』

 アルルもそれに賛成した。

「アルルとクルルって、子供だったんだ」

 フェミもレノーも驚いた。レノーはみやこに着いた後のことも考えて、フェミを親分にした。

「俺より頼りになるから。女親分おんなおやぶんもいいんじゃないかな」

 フェミはいやがった。

「やっぱり、リサクがいいと思う。リサクがいなくなったら、その時にまた後のことを考えようよ」

「リサクに三票。決まりだな」

 レノーが言うと、リサクはちょっと威張いばってこう返した。

「そうじゃの。じゃあ、最初の親分の命令じゃ。レノー、お前が親分になれ。旅が終わるまで、ずっとじゃぞ」

 これには四人の子分全員が反対した。みんな口々にそれはいけないと言っている。ペタリンたちは書き付けることも忘れてギャバギャバわめいた。

「えぇい、野郎ども。ポンツクポンツクそんなにわめくな。言ったじゃろう、わしが最初の親分で、その親分の命令じゃ。これからは、レノーが親分。ほんとにこれで決まりじゃぞ」


 (俺には無理だ……)


 レノーはいかに自分が多くの問題をかかえているのか説明しようとした。しかし最初の親分は聞かなかった。

「レノー、最高に気持ちのいい親分になれ。お前ならなれる」

 ペタリンたちはまだ反対していた。

『多数決で決めるべきだよ』

 アルルの書き付けだった。しかしフェミが意見を変えた。

「レノーが親分でもいいかも知れない。一番みんなのことを考えるようになるし、一番みんなと意見をわすようになるから」

 それでもアルルはまだ多数決を主張した。

「これで二対二じゃ。レノーは自分でどうしたいんじゃ? わしとフェミはお前に親分になってもらいたいんじゃが」

「俺には無理です。何かが起きた時に、決断力もないし、みんなを統率とうそつする力なんて、ない」

 だがクルルの書き付けが回されて、それにはこう書いてあった。

『二対二じゃなくてよ。あたくしもレノーが親分になることに、賛成ですわ。レノー、よろしくてよ』

「よし、今度こそ決まりじゃ。なーに、レノー親分、偏屈へんくつじじいに小娘こむすめにペタリン二人の親分じゃ。心配はいらんぞ。みーんな、親分が好きなんじゃから」

「レノーが親分。ぷぷ」


 フェミが笑った。しかしレノー本人とアルルは不機嫌ふきげんだった。


 リサクの提案で、みんなでお茶で祝杯しゅくはいげた。


 親分はみんなに礼を言い、自分がいかに未熟者であるか、病気も抱えており、赤手せきしゅでもあり、すでに問題は山積みだけれども、みんなのためにいい親分になる。不満のあるものもいるだろうが、力を尽くすから手を貸して欲しいと演説をぶった。

 小さな拍手がパチパチ鳴るのを聞いて、レノーは責任を感じて気が重かった。


 (いや、本当は、アルルが拍手してくれなかったからだ、俺は間違いだらけだから)


 お茶を飲み干すと、アルルはとっとと部屋に帰ってしまった。残りの三人は心配するなと言ってくれたけれども、こんな弱々しい親分なんて他にいないだろうなとレノーは反省した。次の日からのことが、いちいち重く彼にのしかかって来るのだった。

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