第31話 わがまま

 幌馬車ほろばしゃに乗って、四人とリサクの旅はつづいていた。

 フェミはリサクを、村一番の変わり者、でもいい人なんだとレノーたちに紹介した。

「最高に気持ちのいい」というのがリサクの口癖くちぐせだった。最高に気持ちのいい馬に引かせた最高に気持ちのいい幌馬車ほろばしゃ、それを操る最高に気持ちのいい御者ぎょしゃ、そのことだけは絶対にゆずれないらしかった。馬車を速く引かせるのもリサクのやり方だった。そのぶん休憩は長く、多めに取る。レノーたち一行にとって、幌馬車ほろばしゃ都合つごうがよかった。ドブシャリやクフィーニスがこの中にいようとはまさかだれも思うまい。雨にも強く、走っている間、中で眠ることも出来る。


 フェミやクルルは歌が好きらしかった。しょっちゅう鼻歌を歌っている。レノーは憂鬱ゆううつだった。ほろの外がまぶしいのも、自分たちが薄暗がりにいるのもいやだった。彼の心はもっと暗かった。馬たちの休憩の時間が来るたび、彼はまっさきに馬車から飛び降りた。フェミやペタリンたちが馬に水を飲ませたりしている時も、彼だけは自分の好き勝手にしていた。リサクはそんなレノーをぎょろりとにらみながら、しかし何も文句を言ったりはしなかった。彼はフェミに話しかけた。


「お前さんの連れは目が見えんようじゃの。自分では何かを見ていると思っとる。じゃがそのまわりに何があるのか、なーんにもわかっておらん」


 フェミの気も重かった。出会った時はおびえていて、でも優しかった少年が、短い間に無礼ぶれいでわがままな男に変わってしまっていた。ときおり彼女はレノーに話しかけた。あの花がきれいだとか、水がおいしいとか、リサクがこんな面白いことを言ったとか……。レノーは聞いているのかいないのか、それすら彼女にはよくわからなかった。アルルとクルルは、そんなレノーを見て、腹を立てている。しかしフェミはレノーの所に彼をめるような書き付けを持って行かないように、ペタリンたちによく頼んでいた。


『そんなこと言ったってあなた、だれが見たっていまのレノーにはきびしく言ってやることが必要ですわよ。フェミ、あなたレノーを甘やかしてはいけませんことよ』

『フェミ、薬をもっといっぱい飲ませたらどうだろう? すこし飲んでちょっぴりいているんだから、たくさん飲めばもっと良くなるかも』

「いまはまだこれでいい、レノーだってつらいんだから、もうしばらくそっとしてあげて」


 そんなことをアルルやクルルにお願いすると、そのたびフェミは微笑んで見せた。フェミの悩みを聞くのはリサクの役目だった。

「わかるぞい。わしも機会をねらっとる。あの子にゃガツリと言って、目をましてやらんと。悪い夢を見とるんじゃ、わしゃわかっとる」


 レノーの痛みを理解することが大事、と何度もフェミは自分に言い聞かせる。


 (でも、レノーにはあたしたちの気持ちがわかるって言うの? 何にもわかっていないじゃない。でも、いまは、レノーは病気で、性格ねじ曲がっちゃってて、それで……)


「リサク、あたし、どうしていいのかわからない」

「このおいぼれにまかせろ。フェミ、わしゃ何と言ったって、最高に気持ちのいい年寄りじゃから」


 やがてその機会が訪れた。

 しとしと雨の降る、まるで春に戻ったような肌寒はださむい天気の日だった。リサクの馬車は小さな町に来ていた。食べるものを買わなければならない。それとも、飯屋めしやで食べるか。

 この天気だし、他にすることもあって、皆馬車から離れたがっていた。リサクなどは服がれたので着替えもしなければならなかったし、まだ時間は早いけれども今日はこのままこの町の宿屋で泊まりたかった。

 だがレノー一人ひとりが反対した。すこし休憩したら、すぐに馬車を出すように言ったのだった。食べるのもこの次でいい、早くみやこに行こうと主張した。


「レノー、お腹いていないの?」

いていない」

「あたしたちもいていないと思っているの?」

「そうじゃない」

「じゃあ何でそんなに急がなくちゃならないの?」

みやこに行かなければならない」

みやこ、都、都! 自分のことばっかりじゃない!」

 レノーは押し黙った。

「こんな雨の日に、リサクに御者ぎょしゃをつづけろって言うの? 食べるものも飲むものもない、気分がふさいでしかたがないし、お金だってあるのに、休みを取ることも許されないってわけ? レノー、あなた何様のつもりなの? そんなに早く都に行きたかったら、かまわないからさっさと一人で行きなさいよ! リサクの代わりに御者ぎょしゃをするわけでもない、馬に水を飲ませるわけでもない、食べさせもしない、休憩するたびにふらふら歩きまわるだけで、馬車の中では不機嫌そうにむっつり黙っているだけ! あたしたちがどれだけあなたのことを気づかっているのか、わからないの? つらいっていうけど、みんなつらいんだよ? わかってるの?」


 馬車の後ろに回って来たリサクがフェミに、落ち着くように言った。

「リサク、落ち着いてなんていられないよ。レノー、あなた何にも見えていないじゃない? アルルやクルルのことも、あたしのことも、リサクのことだって。すこしは反省しなさいよ」

 レノーは顔をくしゃくしゃにしてつらそうな表情をした。リサクが声をかけた。


「レノー、フェミの目を見んかい。怒っておっても温かいじゃろう? 温かいはずじゃ。みんな自分のことは後回しにしてお互いのためにやっておるんじゃ。病気じゃからと言ってなんにもせん、しかも何かをしている仲間を気づかうこともせんというのはちがうぞい。このわしを見ろ、この最高に気持ちのいい御者ぎょしゃがいま」


 リサクは声をひそめてレノーに語りかけた。


「ちっとばかり、身体にきとって、疲れとるんじゃ」


 そう言うと、リサクはその場にどたりと倒れた。レノーは口をあんぐり開けた。アルル、クルルとフェミがあわてて馬車から飛び降りた。


「リサク!」

 レノーも馬車から降りようとした。

「レノーはそこにいて!」

 フェミが命令した。

「リサクをほろの中へ! 引き上げて!」


 ぐったりしているリサクをペタリンたちとフェミが抱き起し、必死になって何とか抱え上げた。みんな泥まみれだ。レノーがリサクのわきの下から腕を差し込んで引きずり上げる。リサクはとんでもなく重かった、少なくともレノーにはそう思えた。

 フェミとペタリンたちもほろの中に入り、リサクの着ているものを脱がしたり、着替えを出したり、枕を用意したりして懸命だった。


 レノーの頭の中には「厄介者やっかいもの」の文字が浮かんでいた。


 (それはリサクなのか、俺なのか?)


 この非常時に、彼はそんなことをフェミたちと話し合いたかった。


「レノー、ぼやぼやしていないで手伝ってよ! あたしは必要なものを買って来る。応急手当おうきゅうてあてが出来たら、宿屋に行くよ! それも、いまあたしが部屋を取って来るから」

「アルル、クルル、よろしくね。馬も見ていてね」


 フェミは雨の中へ出て行った。リサクは苦しそうだ。アルルが御者台ぎょしゃだいの方に行き、クルルがリサクのめんどうを見始めた。レノーは何をしたらいいのか、まるでわからなくなっていた。


 (やはり、厄介者やっかいものはこの俺だ、俺は何の役にも立たない邪魔者じゃまものなんだ)


 彼は馬車を下りて、どこかへ行こうとした。クルルが叫び声を出して、アルルがレノーの目の前に立ちはだかった。こんな小さなペタリンが、いまのレノーにはなんと大きくうつることか。


「アルル……俺はもう行くから。さよなら」

 次に起きたことは彼が予想もしていないことだった。


 アルルはレノーを、思いっきりなぐったのだ。レノーはぶざまにひっくり返った。雨でぬかるんだ地面にころがった彼の顔も服も泥まみれになった。アルルはしばらく無言でレノーの傍らに立っていた。クルルが二人の所に下りてきて、何事かアルルと会話をした後、今度はアルルがほろの中に上がって行った。クルルは書き付けを差し出した。


『レノー、あなた何を考えているの? 自分がいま何をしているのか、よく考えなさい! フェミやリサクが言った言葉の意味を考えなさい! アルルがどうしてあんなことをしたのか、本当によく考えなさい!』


 レノーはペタリンにまでこんなにされたり言われたり、恥ずかしかったが、それが彼らをばかにしていることになるのだとは気づかなかった。クルルの書き付けを見て、しかし彼はそこに何が書かれているのか、意味がよくわからなかった。

 クルルが彼に手をして、立ち上がるのを助けてくれた。レノーは礼も言えなかった。

 クルルはほろの中に入ったが、彼はアルルの近くに戻る気にはなれなかった。彼は雨の降る中に立ちつづけた。ひどく冷たい雨だった。

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