第30話 バーミ

 ヨサは古く色あせた袋を卓上たくじょうに置いた。開けて見なさい、とフェミをうながす。フェミはじっと袋を見つめてからそれを手に取り、開いた。中から出て来たものは緑色の宝石だった。

 ヨサは言った。


「フェミ、それはあなたのお母さん、バーミが残したものです」


 フェミは絶句した。ややあってから、ヨサに問いかけた。


「……バーミ? どんな、どんな人だったの?」


「バーミはイカルカから来たと言っていました。そうね、フェミはどんどんバーミに似て来ているわ。私は最初、イカルカなんて信じられなかったから、彼女のことをちょっとかわいそうな人かと思っていたの。でもバーミは不思議な力を持っていた。後になってわかったことも多かったんだけれども、このは切り倒されるとか、私が腕をケガするとか、あそこの家の子は亡くなって生まれるとか、そんなことばかり言っていて、私だけに言っていたんだけれども、それは皆本当になった。フェミ、あなたはまだ赤ちゃんだったの」


「お父さんは?」


「あなたのお父さんはね、その時にはもういなかったの」


 フェミの目から涙が流れ落ち始めた。

「バーミは、自分はもう寿命なのだと言っていた。いまの私くらい若い人だったのよ。それが」

「お墓は? お墓はどこにあるの?」

 話を聞きなさい、とヨサはフェミをたしなめた。

「フェミ、私もね、孤児なのよ。あなたと同じ」


 (えっ?)


「私の育ての親の墓、あそこはね……じつはバーミの墓でもあるのよ。あなたが十五になったら話すつもりだった」


 (あたしのお母さん。お父さん。もう会えないんだ)


「フェミ、バーミが言っていたのはね、私がお願いされたのは、イカルカを探そうなんてしないでってことだった。彼女はもうそこには戻れないって言っていた」

「どうして……? イカルカなんて、どっちにしても見つかりっこない」

「フェミ、あなたの力、それはきっと、バーミから受け継いだものよ。あなたはバーミから、大切なものをもうすでにもらっているの」


 (ひどいよ……そんなのないよ)


「あたし、あたしは……捨てられたのかと思ってた。邪魔者じゃまものだったのかと……。ヨサ母さん、あたしの、その人はミルダムで何をしていたの?」

「私の両親の許可をもらって、私の育ての親はもうその頃には体の具合ぐあいが良くなかったんだけれども、花壇をつくった。土やら何やら運んだり、毎日一生懸命こねくりまわしたりして、あの花壇をつくったの。出来上がった時、これでいい花が育つ、って言ってた。私はよく覚えているけど、そう言った時のバーミはほんとうにいい顔をしてた」

「どうしてこの家でそんなことを?」

「私があなたを抱いたあの人に声をかけたの。とにかくつらそうだった。いまにも倒れそうで。うちで休んで行ってって、この家まで連れて来た」

「母さん……もっと話して」

「フェミの名前をつけたのは、バーミだよ。私じゃない。これは緑を生むために生まれた子だ。バーミはそう信じていた」

「それで花屋の娘になったんだ、あたし」

「私たちもね、フェミ、花を育てて売ることで救われたのよ。うちの花は実際すばらしくよく咲くじゃない?」


 (あたしたちの花はとても元気がいい。それはほんとうのことだ)


「フェミ、あなたはいろんなものをあなたのお母さんからもらっているの」


 するとフェミは涙をぬぐってこう言った。

「ヨサ母さんだってあたしのお母さんだよ。あたし、お母さんが二人もいるんだ。ぜいたくだよね、それって」

「しかも二人とも最高にいい女。だぞ」

 そういうヨサも泣き笑いの顔になっていた。

「ほんとだね。じゃああたしもいい女。でしょ?」

「ちょっとレノー、聞いた? っていうか聞いてるの? いい女三人の話をしてるのに」


 レノーはまたぼんやりしていた。話は聞こえていた。なんて言葉を返せばいいかわからなかった。ヨサはまたフェミに目を戻して言った。

「とにかくその石はあなたが持っていなさい。……なくすんじゃないよ」

 うん、とフェミはうなずいて、その宝石の名前を尋ねた。

「わからないんだよね。見たことのない石だし、バーミもそれについては教えてくれなかった」

「大事にする。母さん、バーミの話、また聞かせてね」

 約束するよ、とヨサは微笑んだ。


 皆に贈り物があるから、と言ってヨサは出発しようとしていたレノーたち一行を待たせた。その間に、フェミたちはバーミの墓参りをした。しかし戻ってきてからも、もう二時間もたつのになかなか帰って来ない。何か困ったことが起きたのだろうか。 

 近所の人に聞いたけれどだれも何も知らないみたい、とヨサを探しに行ったフェミが戻って来て言った。今日もよく晴れていた。


「昼間は暑くなるから早く出発したいんだけどな」


 レノーがいやそうに言った。また自分の都合ばかり考えてる、とフェミはレノーに文句を言った。彼の中で何かが変わってしまっていた。家族とのことを思い出したからだ、とヨサはフェミに意見をべていた。


 アルルとクルルはわくわくしているらしく、楽しそうだった。

みやこってどんな所かしらねえ? あたくし、きっと歌姫に会うわ』

『クルルが歌を歌えるようになったら、僕も楽器を覚えるよ。みんなで演奏会を開こう』

 レノーのところに次々と二人の書きつけが来る。彼はちょっぴりうんざりしていた。ペタリンたちの無邪気むじゃきさが彼を憂鬱ゆううつにさせるのだった。彼は書き付けをすぐにフェミに回す。

「あたしも都なんて初めてだから。クルル、きっとおいしいものがいっぱいあるんだよ! 食べ歩こうね!」

 するとまたレノーのところに書き付けが来るのだった。

「遊びに行くんじゃない。危険な旅なんだぞ」

 そう彼は苦い顔をして見せた。フェミがまた彼にくってかかる。

「だからって、何の楽しみも味わっちゃだめってわけ? レノー、それは間違った考えだよ」

「俺は早く出発したいんだ! ヨサさんは何をしてるんだ!」

「何なの? 母さんがあなたにしてあげたこと、もう忘れたの? レノー」


 彼は沈黙してしまう。言うべき言葉が出て来ない。ミルダムに来てから、何かが変わってしまった。どうなのよ、とフェミに問いただされて、彼は一言ひとことあやまった。

「ゴメン……待つのはきらいなんだ」

「そんなのだれだってきらいだよ。レノー、自分のことばかり考えていないで、もっとみんなのことも気にしてよ。それとも一人になりたいの?」

「一人はいやだ」


 一人はいやだ、と彼は強く感じた。念じるかのように、何度も、何度も、心の中で。

 何かを感じたのか、フェミの声が優しくなった。

「レノー、母さんはレノーやあたしたちのことをよく考えてくれているんだ。何かわけがあって、時間がかかっているんだよ、きっと」

「そうだな。ごめん、フェミ」

「あたしにも、アルルやクルルたちにとってもレノーは大事なんだよ」

「みんな、すまない。俺は、俺は……つらいんだ」


 それに何もわからないからこわいんだ、まるで地面が底なし沼になってしまったみたいに不安なんだ、とレノーは自分の気持ちを確認した。

 フェミもまた反論しようと思ったが、思い直した。かといって、勇気を出して、ともなかなか言えずにいる。レノーの精神状態はひどくもろくなっており、ほんのわずか言葉を間違えただけで彼がこわれてしまうように思えた。

「レノー、とにかくあたしたちはレノーといっしょだよ。なんでも相談して」

 それだけ言うのがやっとだった。


 ヨサの家に向かって一台の幌馬車ほろばしゃがやって来る。御者ぎょしゃとしを取った男だ。フェミが声を上げた。

「あれ、リサクだ」

 リサクと呼ばれた男は気むつかしい顔をして白い髪をなびかせ、レノーたちを見すえるようにしてやって来る。なんだろう、とつぶやきながらフェミは手を振った。庭先で止まった馬車のほろの中から出て来たのはヨサだった。

「みんな、私からの贈り物だよ。みやこまではリサクがあなたたちを送るから。乗って行きなさい」

「わしゃ、ものじゃないぞ! 最高に気持ちのいい御者ぎょしゃじゃ」

「母さん、リサク……いいの?」

「かまわんぞ! わしゃヨサには借りがあるからな。フェミ、芸人たちを、紹介せい」

 芸人……。

「えーっと、レジーと、ジョーと、スーだよ」

「レノーと、アルルにクルルじゃな。ええんじゃ。さあ、乗らんかい」

「母さん。これって……」

 ヨサは心配はいらない、リサクにまかせなさい、と言った。


 世話になりますとも何とも言わずにレノーとペタリンたちが荷物を馬車に積み込み、ほろの中に入った。ヨサがレノーたちにまた来いと言っている。フェミは母親と抱き合ってから別れの言葉をかわし、最後に馬車に乗り込んだ。リサクが後ろを振り返る。

「みんな、ええか? じゃ、行くぞ」

気合きあいの入ったけ声を一つ上げると、リサクは馬車を出した。ヨサの庭先を一周すると、馬車は東に向けて走り出した。

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