第27話 ミルダム

 ガツガツドツドツ。ドカッドカッ! フェミがとんでもなくでかい音を立ててヨサの扉をたたくのでレノーたち三人は驚いた。


「母さん起きて! あたし、帰って来たよ!」


 ドカバシドビッバビッ!


「アルル、クルル、いいのかなあ、これって」

「ヨサ母さんは熟睡じゅくすいする人だから、これぐらいやらないと起きないの。まあ、ここはあたしの家でもあるし」


 いいんだ~い、と言ってフェミは再び扉をどつき始めた。


「アルル、クルル、扉が壊れるかどうか、ける?」


「ヨサ母さん? フェミだよ! あなたのすてきな娘が帰ったよ! 起きて!」

 しばらくそうやっていると、やっと中に明かりがついた。かんぬきをはずす音がして、無言むごんで扉が開かれた。黒い人影ひとかげがフェミを抱きしめる。


「フェミ! もう、こんな時間にばかな子なんだから! ほんとにまぁまぁ帰って来た! 手紙読んだよーこの賞金稼しょうきんかせぎ!」

 その間フェミもきゃあきゃあ言っている。レノーたち三人はすっかり見とれて突っ立っていた。気がついたヨサが言った。


「レノーにアルル、クルルね。中にお入りなさい」


 今夜はもう眠って、話は明日聞くから、とヨサに告げられて、レノーたち三人は横になった。フェミはヨサの部屋にいるはずだ。毛布をかぶるとすぐに眠くなった。朝はすぐに訪れる、皆に安らかな眠りを。アルルとクルルはレノーより先に眠っていた。フェミの前でクフィーニスの力を使ってしまったことが少し気がかりだったが、それについて考える間もなく彼も眠りに落ちた。いくつか夢も見て、うなされもしたのだが、目が覚めた時にはもう思い出すことが出来なかった。


 明るい朝だった。アルルが顔をのぞき込んでいた。

「驚かさないでくれ、アルル……クルルは?」

『向こうにいるよ。みんなのごはんができてる。ヨサとフェミが呼んでる』


 ああ……。伸びをして、顔を洗わなくちゃ、とレノーは言った。アルルが手ぬぐいを手渡す。アルルは何かこぎれいになった感じがした。二つの丸い玉がぴかぴかだ。


『レノー、水場みずばはこっちだよ』


 アルルについて、廊下を歩くと、レノー早くおいで、とヨサの声がした。レノー早くしないとお昼になっちゃうよ、とフェミの声もした。


「すぐ行くから待ってて、ゴメン」


 香ばしいスープの匂いがした。水場みずばに行くと、外の景色に彼は見とれてしまった。

 昨夜は気づかなかったが、東と南に面した前庭に、広い花壇がもうけられていて、色とりどりの花でいっぱいだった。その向こうは畑の合間に点々と、お菓子のような家が建っている。


 (じゃあこの辺りはほとんどみな農家の人たちが暮らしているんだ。それにしてもった作りの家だ)、と見まわしていると、近くを一匹のたぬきが通り過ぎた。


 (のどかな村だ、でも俺はこの村では場違ばちがいだな)


 その言葉が何を意味するか、レノーはわかっていなかった。顔を洗うついでに一口ひとくち水を飲んだ。フェミが言った通りおいしい水だった。



      ☆★☆



「ごちそうさま。きれいな村ですね」


 レノーが言うと、長い黒髪のヨサは興味深そうな瞳で彼を見た。


「花壇もきれいだったし、おいしかった」


 フェミがヨサと顔を見合わせてから言った。

「ごちそうさま。おいしかった。それにしてもきれいな花壇ですね、じゃないの? レノー」

 そうだった、ごめん、と彼はうつろな目で言った。何か頭がぼんやりしているようだ。

「レノー、だいじょうぶ? 水を浴びなさい」

 とヨサが命じた。冷たいからいやだ、と彼は返事したが、自分でもなぜそんなことを言うのかわからなかった。

「それならいまお湯をかしているから」

 ヨサはよく通る声で言った。

「お風呂でさっぱりしなさい」


 フェミが奇妙なまなざしで彼を見ていた。いつしかうすぼんやりした絵が彼の脳裏のうりに浮かんでいた。彼は自分が風呂場で裸になりお湯につかっているのを意識していた。なぜかそれが自分ではないような気がした。そこにペタリンが入って来た。


「クルル、恥ずかしいから見ないでくれ」


 だがそれはクルルではなくアルルだった。大きな桶にくんだ水をレノーに頭からぶっかける。レノーは飛び上がった。もう一杯、レノーの身体にかける。その瞬間、レノーは世界が変わったように感じられた。


「アルル……どうしたんだ、俺」

 アルルは大きなかわいた布をレノーに手渡すと、ひとしきりギャバギャバわめいて出て行ってしまった。身体からだをふいて服を着て風呂場から上がると、フェミが彼を待っているのに気がついた。


「フェミ、さっき俺、何かおかしかった?」

「おかしかったよ。疲れがまだ取れていないんだよ、きっと」


 ヨサの声がして、二人を家の外に呼んだ。フェミがアルルとクルルは川へ釣りに行ったと告げた。彼は、自分はまだ半分眠っているのだと感じた。二人の母娘おやこは散歩に行こうと言っている。

「待って、フェミ。ヨサさん、待ってください。何かが妙なんです」


 妙って言うと? フェミがフェミじゃない気がした。あんなにも親しかった顔が、いまは別人のように見える。目覚めてから、世界が変わってしまったと彼は告げたかった。だがそんな言葉は出て来なかった。彼は、自分はまだ夢の中なんだとか、変わってしまったのは自分の頭の中なんだとかいったことを、言葉ではない、そこから生まれる漠然ばくぜんとした印象でうつし出されるままに流して感じていた。


「キエテユク……フェミ、言葉が……キエテユク」


 だれかが彼のまわりをぱたぱたと走るのを感じた。


 (だれかだって? ばかな、フェミに決まっている。いや、本当に?)


 ヨサの顔を思い出そうとした時、レノーの意識がうすれて行った。彼は花でいっぱいの花壇を前に、地面の上に倒れていた。

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