第26話 セイル

「去年のことよ。ヨサ母さんとあたしはずっと二人で暮らしきてた。いつも貧しかった。それは今でも変わらないんだけど……。去年の夏の終わりのお祭りに、ウダツからあの男がやって来たの。たしかウダツの村長になったばかりだった。あたしたちの家の前をたまたま通りかかったセイルがヨサ母さんの花壇をほめた、そんなところからあの男はうちにやって来るようになったの。ウダツだって貧しいのに、あいつはさも自分には力があるようなことを言っていたんだ。ヨサ母さんに花屋を出させてやるとか何とか言ってた。あたしたちは細々ほそぼそと、自分たちで育てた花を売っていたの。たいしてもうかりもしなかった。けど、気ままで楽しかったんだ。セイルはたまにやって来た。ウダツを大きな町にするとか、いまから自分についてくれば将来楽が出来るとか、大きな話ばかりしていたんだ。ヨサ母さんもあたしも、だんだんあいつの話を信じ始めて来て、あの秋の夜……。あたしはあいつに頼まれて、あたしたちの村長の所へ、あいつが持って来た包みを届けに行かされた。



 変だと思ったけど、けっこう親しくなってたから……。家に戻ってきたら、母さんの声がした。『やめて』って。『そんなつもりはないから』って。セイルは『男が欲しいんだろう? 俺の好きにさせれば、いまに欲しいもの買ってやるぞ』って言った。その間中バタドタ音がしてた。あたしはどうしたらいいかわからなかった。そっと奥の部屋をのぞいたの。母さんの服は半分脱がされかけてて、母さんの上にまたがったセイルは今度は母さんの顔を平手で何度も張った。あたし、あわてて部屋に飛び込んだの。あたしに気がついたセイルは急に、『ようし、ようし』って言い出した。『いま君のお母さんをいやしていたところだ。今度フェミにもしてあげる』そう付け加えて、母さんはあわてて服を着なおしてた。あたしは何も言えなかった。『帰って。もう来ないで』母さんがそう言ったら、あいつはまた来るようなことを言って出て行った。実際あいつはまたやって来た。今度はあたしまで誘惑ゆうわくされた。誰でもやっていることなんだ、そう言って、店の話、金の話、身体からだの話をした。ヨサ母さんは最後には包丁であいつを刺すつもりになった。結局はあいつは母さんとあたしに手を出すのをやめた。それからうわさが広まったの。『あの親子は男たらしだ』って。セイルがあたしたちに誘惑ゆうわくされた、そんな話になってた。あたし」



 レノーがフェミをぎゅっと抱きしめて、少女の話をやめさせた。

「アルル、クルル、フェミを頼む」

 待って、とフェミが言った。

「レノー、そんなこわい顔をしないで。レノーがあいつをなぐったって、何にもならないんだよ」

なぐったりはしない」

 彼は真顔まがおで言った。

「クフィーニスの力であいつを殺す」

「だめ。やめて」

 フェミが彼にしがみついた。

「あたしたちはもういいの。もう、さっきのでいいの」


 レノーは少女の腕を振りほどき、彼女から離れて岩を粉々こなごなくだいた。フェミは彼をとめようとした、だが逆にアルルとクルルに引き止められた。


「レノー……」


 彼の怒りのすさまじさにフェミは衝撃を受けた。これが、クフィーニスの力なんだ……。

 大きな岩が粉々こなごなくだけていた。アルルがきゅるきゅる言いながらレノーに抱きついた。

 クルルもアルルにつづく。フェミもレノーの所まで行った。

「レノー……」


 クフィーニスの能力を発現させた男は彼女を振り返って見た。その顔を見て、彼も孤独なんだ、と彼女は感じた。


「あたしはここにいるよ」

「フェミ……」

「いつもそばにいるよ。きゅるきゅるきゅる」

 フェミが言った。レノーはまだ眉間にしわを寄せている。残りの三人が、ずっときゅるきゅる鳴いている。しまいには彼も折れた。


「きゅるきゅる」

 フェミはレノーと額を合わせてきゅるきゅる鳴いた。こうして見ると、レノーはひとに見える。

「きゅるきゅるきゅる」


レノーも鳴いて笑った。星の大河が夜空を流れていた。四人はあれが自分の星だとか、「とき」座のどの星が好きだとか、あたくしは月が好きですことよとか、星の大河で釣りがしたいとか言ってにぎやかに歩いて行った。ヨサの村は一歩ずつ近づいて来た。


 フェミのたいまつが四つの揺れる影をまわりにうつしていた。山肌やまはだから樹木、岩から草地へと、奇怪な絵を見せながら影は動いて行った。レノーたちは疲れていた。口数くちかず少なく沈黙しては、フェミが無理にはしゃいで気分を明るく盛り上げようとした。


「これが最後の休憩。もうすぐだから」

フェミの声を聞いて、四人は草の上に腰を下ろした。

「ミルダムって云うの。あたしたちの村の名前だよ。水がきれいでおいしいんだよ。朝になればわかるけど、砂糖菓子さとうがしで出来たみたいな家がいくつも建ってるの。レノーにも、アルルやクルルたちにも気に入ってもらえるといいな」

『フェミの郷里きょうりなら気に入らないわけなくてよ。あたくしたち、小川で釣りをするわ』

 秘密の場所を教えてあげる、と言ってフェミは笑った。

「フェミ……君のお母さん、俺たちを受け入れてくれるかな?」

 レノーは心配そうな顔をしていたが、フェミは涼しい顔でこう言った。

「前にも言った通りヨサ母さんがどう出るのかはわからないよ。きびしいことを言われるかも知れない。でも心配はいらないよ。あたしたちを切り捨てるような人じゃないから」

 「会えばわかるよ、案外若い人なんだ、元気のいい大人の女って感じ」

 レノーは想像してみた。これまでけっこうとしを取った女性を思い浮かべて来たので、若いというのがうまくぞうを結ばなくさせた。

「ヨサ母さん、実はけっこう美人なんだ。思い浮かべてる? レノー」

 アルルとクルルが翼の付いた両腕をパタパタはためかせた。

「う~ん」

「母さんに恋しないでね、レノー」

 そんなことあるわけないだろ、と彼は返事したが、彼は自分の顔が熱くなった気がした。


 (夜中でよかった。きっといま俺は赤い顔をしているにちがいない)


「変な先入観せんにゅうかん、持たないで来て」

「わかったよ。とにかく、その後はみやこだ。ミルダムか……ヨサさんって、何を知っているのかな? クフィーニスについて」

 どうだろう、とフェミは首をかしげた。

「アグロウの詩以上のことはわからないかもね。あたしは、あたしの能力について聞きたい。これまでずっと、聞きたくても聞けなかったんだから」

「夜中に訪ねるのは気が引けるんだけど」

「じゃあなに? 家の前庭で火をいて踊っていろとでも言うの? 気さくな人だから、そんなこと気にしなくていいの」

「案外若くて、元気な大人の女で、美人で気さくなんだ? 最高だね」

 最高だよ、とフェミがけ合った。

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