第6話 カヌウ

 のどのかわきでレノーは目覚めた。外ではない。


 (自分は丘の上にいたはずだけど……?)


 とたんに頭がうずいて悪寒おかんがした。

 彼は何かの台からころがり落ちて胃の中にあったものをその場に吐いた。何度も、何度も。何も出なくなっても、今度はひどいめまいと頭痛に彼は悩まされた。


 (ここはどこだろう?)


 やっと立ち上がり窓からのぞいてみると、まわりに日よけのが茂る、屋根と寝台がある小屋の中にいるらしい。果実をいくつか食べたところまでしか記憶になかった。

 (ペタリンかな……? 彼らの家かも知れない。いや、あの連中に小屋なんか建てられるだろうか?)


 出入り口の扉を押したが開かない。

 ガタガタやっていると、だれかがやって来て鍵を開けた。ペタリンではない。薄暗くて顔ははっきりしなかったが、人間だった。

「ようこそ、クフィーニス君」

 扉が開く時、レノーは二、三歩後ずさっていたが、男はあいさつをしたあとちょっと中をのぞいた。

「トロムトロの味は気に入ったかい? どうやら食べ過ぎたようだね」

 そう言って笑った。

「あなたはだれなんですか?」

 レノーがたずねた。

「自分から名乗なのれよな」

 と男は冷たかった。男が横を向くと、背中まである長髪ちょうはつわえられているのが見えた。そして男の両腕はレノーと同じ色をしていた。

「クフィーニス! あなたも!」

 しかしレノーには、男がだれなのかわからなかった。警戒けいかいしながら自分の名を告げる。男はくったくのない態度だった。

「レノーか。俺はカヌウだ。よろしくな」

 そう返した。クフィーニスなら、とレノーは考えた、俺は知っているはずだけど……。カヌウの顔にも名前にも心当こころあたりがなかった。明らかにかなり以前に逃亡したクフィーニス。しかしカヌウはレノーよりはだいぶ年上に見えるが、青年のようにも見える。

「気分はどうだ?」

「頭がひどくうずく。気持ち悪い」

 レノーが訴えた。

「トロムトロはうんだ。子供の食べるものじゃない。レノーはいまいくつなんだ?」

 子供あつかいされて、レノーはむっとした。

「もう十六だよ。カヌウは?」

「さあな。忘れた」

 カヌウはいくらか沈んだ表情で緑色の小瓶こびんし出した。

「飲みな」

 トロムトロを食べ過ぎた時にはそれが一番くんだ、とけ加えた。レノーは小瓶の中をのぞいて匂いをかいでみた。変な草の匂いがした。口に瓶を当てがって、一息ひといきに飲み干す。苦いがこのいにはきそうな気がした。

「横になって休むんだ。夜には楽になるだろう」

 そう言うと、カヌウは小屋から出て行った。きたいことはまだいくつもあったのに……。

 トロムトロでぐらんぐらんの体を寝台しんだいの上に横たえて、レノーは眠りについた。さっき自分が吐いた果物のにおいがいやににおった。


 (いまは、酔いをさまし疲れをいやして体力を回復することだ)


 自分の息も、熱く強くにおった。


   ☆★☆


 いつの間にか夢の国をおとずれたレノーは、そこでペタリンやらレジーやらカヌウやらと数万語すうまんごわした。

 月が天高てんたかくかかり、ペタリンたちが小屋の中を掃除そうじしているところへ、レノーが目を覚ました。ペタリンたちはレノーがいたあとへおがくずをいて、不機嫌ふきげんそうな顔をさらにゆがめてほうきあやつっていた。

「あ、ペタリンだ」

 ペタリンは歯ぎしりしてみせた。

「きれいにしてくれてるんだ。……そんな顔をするなよ」

 二匹のペタリンはどちらがどちらか見分けがつかなかった。どちらもいびきみたいなうなり声をあげた。

「ありがとう。でもなんでこんな夜に小屋の掃除そうじをしているんだい?」

「そりゃお前さんがきれいにしないでいつまでもくたばっているからだ」

 カヌウだった。レノーは急に自分がずかしくなった。カヌウが差し出したスープのうつわれいを言って受け取り、さじですくって少しずつ飲んだ。

「カヌウはこのペタリン二匹ともっているの?」

 突然ペタリンがほうきを放り投げ、部屋の片隅かたすみにあったテーブルの上でペンを持ち、何かを書いてカヌウに渡した。

「二人と言え。機嫌きげんが悪くなる。アルルとクルルはペットじゃない。仲のいい兄と妹だ。ペタリンなんて名前じゃない」

「それは失礼。かわいいね」

 レノーはお世辞せじを言ったが、アルルとクルルが文字を書くことにも、人の言葉がわかることにも驚嘆きょうたんした。

 それからカヌウとレノーは、多くのことについて語り合った。

 カヌウはここはイカルカの国ではないと言い、ほんの小さな村に過ぎない、三人で作った村だと説明した。

 アルルやクルルとは、この先の森で出会った。さらにその先に街道かいどうとおっているが、人はめったにとおらない。この二人はどこからか逃げて来たんだ、と言った。

 アルルとクルルには俺たちの言葉がわかる、しゃべることは出来ない。でも文字を書くことくらいは出来る。


「実際、沼地を通ってこのあたりへと出たのは、俺とお前ぐらいだろう。この十五年間、俺以外のクフィーニスに出会ったことはないからな」

 十五年間、と聞いてレノーは青ざめた。カヌウがそんなにとしを取っていることにも驚かされたが、死の宣告せんこくを受けた者が谷間にもどらず、そんなに長生きしていることにも衝撃しょうげきを感じたのだ。


(「あかし」を見つけたのだろうか?)


 すると、「あかし」が何なのかは知らないけれども、わざわざ殺されるために谷間に戻る必要はない、とカヌウは意見をべた。


 (しかし十五年も何をしていたのだろう?)


「俺だって街へ出て、人に会い、『あかし』を探したさ。ひどいらしだった。この赤い手はな、レノー、谷間の人間にとってだけじゃなく、どこの町や村へ行っても、疫病神やくびょうがみあつかいなんだ。俺がお前なら、つまらない、ひどい目に冒険ぼうけんなんかせずに、俺といっしょにこの村に残って、ここをもっと居心地いごこちのいい場所にするよう努力するよ。クフィーニスがなぜ殺されるとわかっていても村に戻るのか不思議ふしぎに思っただろう? つまりはそういうことだ」


 どこへ行っても疫病神やくびょうがみ、はこたえた。石つぶてでいたんだ背中を意識いしきしないではいられなかった。でも、俺は「あかし」を見つけたい、とレノーはのぞんだ。さがすことを何もせずに、この三人とここで暮らすなんてまっぴらだった。

 考え直せ、とカヌウはきすすめた。「あかし」などこの世に存在そんざいしない、何もいいことなんてない、ひどい目にって、へたをすれば殺されるのがオチだ……。ここにこの村があることはだれにも知られていない、ここにいれば安全だとも言った。しかしレノーは「あかし」を見つけて村に帰りたかった。


「カヌウ、どこにどんな町や村があるのか、教えて欲しいんだ」

 そうたずねてみた。カヌウはむつかしい顔をして窓の外を見つめる。重苦おもくるしい沈黙ちんもくで小屋はいっぱいになった。レノーが息苦いきぐるしい、と感じ始めたころ……。

「森をけ、街道かいどうを右へ行けばダグラ、左へ行けばアヌサだ。先にどちらへ行ってもいい。いずれにしても『あかし』なんか見つかりはしないし、レノー、お前は必ずいやな目にうから。だから」

 カヌウは真剣しんけんだった。

もどってい。だれにも知られずに、ここに戻って来いよ」

 おぼえておきます、とレノーは神妙しんみょうべた。


 (カヌウは素晴すばらしい人だ、でも俺は「あかし」を手に入れるんだ、どこにも居場所いばしょがないのなら、「あかし」を見つけてカヌウとアルルとクルルといっしょに谷間たにまに帰るんだ。だれにも赤い手を馬鹿になんか出来なくさせてやる)


 アルルとクルルは敷物しきものの上にこしろしてときどきうでをパタパタさせておとなしく話を聞いていたが、何か二人でギャバギャバと話していたと思うと急に立ち上がって、また紙に何かを書いてレノーの方をゆびさしながらカヌウにそれをわたした。

 いいだろう、ためいきまじりに一言ひとことそう言うと、カヌウはレノーに対して、この二人を連れて行け、きっとやくに立つ、そうすすめた。

「ペタリンたちと?」

 アルルとクルルはきゅうきゅう鳴いた。


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