第4話 沼地

 山をりるにつれ、辺りは陰気いんき雰囲気ふんいきに包まれていった。がほとんどさなくなり、何かいやにおいがする。レノーはかろうじて道だとわかる所を歩いていた。道だか何だかわからない所に来ると、途中でひろった枯れた枝を地面に突き刺し、安全をたしかめた。

 沼地で夜になったら終わりだとレジーが言ったが、ここでは時間もはっきりしなければ、実際、人が通ったあとなどないにひとしかった。どうしても歩みが遅くなる。


 あせるな、とレノーは自分に言い聞かせた。レジーがくれた袋の中には、こんなものが入っていた。先にかぎ爪の付いたロープ、油紙あぶらがみで包んだたいまつ、火打石ひうちいし、小さなナイフ、干し肉、干した果物くだもの、小さな瓶に入った水、それに銀貨十五枚と銅貨十枚まであった。重い。この袋がこれほど重くなかったなら、イーファンはレジーの体を矢でつらぬいていただろう。

 自分のために命をかけてくれた猟師りょうしに、レノーは心の中で感謝し、その無事ぶじいのった。


 あゆみを進めるにつれ、得体えたいの知れない植物がそこいらじゅうに自生じせいしているのを見るようになり、薄気味悪うすきみわるい鳴き声——(いったいどんな生き物の声だろう)——を聞くようになった。


 とにかく進むしかなかった。時には能力を使ってを倒したりもした。ぞうを思いえがいても、上手うまくいくときもあれば失敗するときもあった。それでも彼はどんどん力の使い方にれていった。だが沼地は広く、彼は自分が前進しているのか分からなくなることもあった。もうしげみのわずかな隙間すきまから、夕空のバラ色がかいま見られたが、この後におとずれる夜の恐怖を想像してみると、ここから今動くべきなのか、明日まで待つ方がいいのか彼にはわからなかった。時間がない。


 (ここが沼地のどの辺なのか、せめてそれだけでもわかったなら!) 


 恐れと力の使い過ぎで、息の乱れが止まらなかった。袋から瓶を取り出し、水を一口飲んだ。樹の根元まで行って,みきにもたれた。彼の体はコチコチにかたくなっていた。彼は少しもほっとできなかった。


 (夜がりる。沼地で夜になってしまう)



 夜の闇は容赦ようしゃなく沼地をつつみ、レノーは疲れのせいかすっかり眠り込んでしまっていた。焚火たきびをおこすことも忘れていた。

 細い月が昇って、彼のいる沼地をほんのわずか照らしていたが、もちろん彼には何も見えなかった。眠っていないで、目を見開いていたとしても、自分は真っ暗な闇の中にいると感じただろう。

 彼は夢も見ずに眠っていた。夏の初めとはいえ、夜の沼地はとても寒く、レノーはふるえて目をました。自分がどこにいるのか一瞬わからなかったが、嫌なにおいに気がつくとすぐに彼の神経は張りつめた。


 (背中が痛い。火をおこさなければ)


 しかし身動きが取れなかった。たきぎを探すにしても、一歩間違えたら、底なし沼のえじきだ。レジーのくれたたいまつはあまり使いたくはなかった。だがもともと持っていなかったはずのものだ。そう自分に言い聞かせると、彼は袋から火打石ひうちいしとたいまつを取り出して火をともした。

 突然ほのおに照らし出された世界は彼をひどくこわがらせた。樹木じゅもく不気味ぶきみ陰影いんえいを見せて重なり合い、業火ごうかに焼かれた森のようだ。いつまでたっても慣れないにおいがそれに拍車はくしゃをかける。


 (いますぐここから抜け出したい。でも)、とレノーは考えてみた。(朝まで眠って、それからまた動けばよいだけのことじゃないか? レジーだって沼地のことなんか知らないに違いない。「あかし」を持たずに谷間に戻り、命を絶たれたクフィーニスがみんなに何かを話していたかも知れないが、それだったら自分の耳にも情報が伝わっているはずだ。クフィーニスたちは沼地の話をして来なかった、きっとそうだ)


 レノーはたいまつを手に一帯いったい慎重しんちょうにしらべ始めた。地面は少し進んでは沼に変わり、向きを変えてまた少し進んではやはり沼に行き当たった。まわりの景色けしき不気味ぶきみだったが、炎にらめく自分の影もまた人間のものとは思えなかった。地面はしかし遠くへ続いているようだ。


 (自分は運がいい。ここで朝まで眠ろう)


 レノーは枯れたの枝を折り取って集めてたきぎにし、寝床ねどこをしつらえて袋を枕にすると、たいまつの炎を消してもう一度眠りについた。

 眠っていれば火は消えてしまう。一度は目をましてたきぎをくべた。だがそれきりで、次に彼が起きたのは、火が消えてからしばらくってからのことだった。

 まだ朝はおとずれていなかった。


 (おき火が……、おき火が燃えている)、と彼は感じた。またたきぎそうとして、彼は自分が火のあとの方を向いていないのに気がついた。まだあたりは真っ暗だ。

 が動いて、彼から少し離れた。レノーは驚いて飛び起きた。何かがそこにいる!


 あわてて袋をつかむと、肩にかけ、出してあったたいまつに手を伸ばそうとした。だがたいまつがどこにあるのかわからない。火打石ひうちいしをどうしたのかも忘れていた。

 その赤いものは、変な音を立てながら少しずつ遠ざかる。懸命けんめいに探して、火打石ひうちいしとたいまつを見つけて、もう一度まわりを不気味ぶきみほのおで照らし出した。彼からはなれて、変な奴がこっちを向いて立っていた。


 (鳥のようでもあり、ネズミのようでもある。人で言えば目に当たる所に二つの赤いものが付いているが、あれは目なのだろうか? 不細工ぶさいくな顔をしている)、とレノーは思った。 


不機嫌ふきげんそうな表情だが、特にこちらをおそうつもりはないようだ)


 頭の先に丸い球のようなものがついた触角しょっかくみたいなものがついている。

 しばらくレノーとそいつは黙って向き合って立っていた。

 ふいにきびすを返して、大きな偏平足へんぺいそくでそいつはペタペタと五メートルほどもあるいていっただろうか、またこちらを振り向くと、変な顔でじっと見つめるだけ。


 (何なんだろう?)

 (まさかこいつ、俺をどこかへ案内するつもりなのか?)


 こころみに、初めて見る生き物の方へ何歩か近寄ってみると、そいつも向こうへ歩き始める。


 (やはり俺をさそっているんだ、どんな奴かはわからないが、ついて歩けば、とにかく沼をけながらどこかにたどり着くだろう。わなでなければいいけれども……)

 (先を歩いている後ろ姿も、振り向いた時の顔も、見れば見るほど珍妙ちんみょうな奴だ)


 翼の付いた腕をはためかせて短いあしでペタペタ歩く。顔にはくちばしなどないけれども、足の遅い子供をき立てている親鳥みたいな不愛想ぶあいそうな表情をする。無言むごんである。

 自分はおかしな夢を見ているのではないか、とレノーは頭をってみるが、もちろんこれは夢ではない。背中は痛むし腰から下は泥まみれだ。レジーのくれた袋もあるし、たいまつだって燃えている。


 (おかしなのはこの現実だ、俺は信用していいのかもわからない、なぞの生き物と連れ立って歩いている。いったいここは、沼地のどの辺なんだろう?)


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