第15話 恩人

 昼下がり、僕は受付の机に向かって、先輩の中級職員セロ氏と並んで始末書を書いていた。「魔力コントロール練習室ミニ・黒森城モデル」の件だ。


「サリアさん大丈夫でしょうか……」

 僕が商品見本を破壊したせいで、中級職員であるサリアさんは、ひとり工房にこもって修復作業をしなければならなくなったのだ。

 セロ氏は書類に向かったまま答えた。

「大丈夫ですよ……などと傍で勝手に言うのもなんですが、いちばん罪の軽いのは彼女ですから、そこは室長も考慮しているのですよ」

 そして長々と伸びをして、そのついでみたいに予定表をさした。

「ほら、ご覧なさい。今日いっぱいの受付は貴方と私だけでやるように変更されているでしょう。工房での作業に専念するのは、彼女にとって重い罰ではありません。

 今日は予約がなくて空いていますし、気になるなら手伝いに行ってみては如何です? ただし、必ずサリアの指示を仰ぐことです。

 ……始末書は私がなんとかしておきましょうか?」

「いや、自分で書きます」

 分かりもしない他人の仕事の心配より自分の用を済ませろと、彼は暗に言っているのだろう。


 二人してそれぞれ机に向かっていると、入口の扉が開き、ちらりと顔を見せた人がいた。と思ったらすぐに閉めていってしまった。忙しそうだと思って諦めたのだろうか。

「いまのは申し訳なかったですねえ。本来、相談に訪れた人への応対が最優先です。書類は期日に間に合いさえすれば後回しでいいんです」

 セロ氏は面目なさそうに、長い指で砂色の髪をポリポリと掻いた。

 もしかして、さっきの人はエレンではないだろうか……と僕は思う。

 幼い妹の恐るべき石化能力ゆえに苦労してきた、健気な娘さんだ。




 帰りに、相談所をちょうど出たところで呼び止められた。

「モローさん!」

 エレンだ。新しい服を着て、栗色の巻毛も幾分つややかになった。山賊の館から助け出したときのやつれた雰囲気はもうない。元気そうで良かった。

「あの……相談したいことがあるの。これから、時間ある?」


 自由な時間はローラを探すために使いたいが、差し当たり次にやる事が決まっているわけでもない。僕たちは階段を下りながら話し続けた。

「……時間はあるよ。妹さんのことなら、仕事のとき来てくれて良かったのに」

「ごめんなさい……。ええ、メリッサも関係あるの。さっきは施設の様子を見ようとしたら、あなたがいて、なんだか胸がいっぱいになって……気持ちをおちつけて出直すことにしたの」


 やっぱり、さっき一瞬だけ扉を開けたのはエレンだった。彼女は僕を恩人と思っている。もちろん僕だけの手柄ではないけれども。

 安心したのか、それとも辛い体験を思い出したのか、どちらだろうか。いま辛くなければ良いが。

「落ち着いた?」

 エレンはしばらく黙りこんで、僕の問いに答えないまま話を続けた。

「でも考えてみたら、モローさんに話せても、他の人に聞かれたくないことも沢山あるの。やっぱり施設の職員さんとしてでなく、あなたに頼らせてもらいたい……と思うんです」

 彼女にとって僕は頼るに足る存在らしい。わるい気はしなかった。

「なのでっ、銀狼亭あたりで一緒にお食事などしながらお話ししてくれませんか?」



 僕たちは一階に着いていた。

 エレンは何故か一大決心を打ち明けるような調子だった。妹の魔力を必死に隠しながら姉妹だけで旅してきたのだから、相談するのも勇気の要ることなのだろう。

 僕になら話せるのは、ただ石化の魔力のことを知っているからだけでなく、その魔力によって僕が助けられた場面もあるからだろう。彼女たち姉妹もまた僕の恩人だ。


「もちろん話は聞くよ。相談室なら外部に漏らさない規則があるけど……銀狼亭でいいの?」

 店の近くでは言いづらいが、夕飯時の賑わう飲食店が人に聞かれたくない相談に向くとは思えない。しかし如何せん、相談室は明日まで開かない。

 エレンにさっきのような勇気をまた明日出してくれというのも酷な気がする。


「じゃあ、いっそ僕の家に来る? 秘密の話には良いと思うよ」

「えっ……」

 エレンはなぜか頬を赤らめた。

「壁が薄いのは気をつけないといけないけど」

「……じゃあ……お言葉に甘えて……」

「ところで、気になってたんだけど、妹さんは一緒じゃないの?」

「銀狼亭の部屋で留守番してるの。食べ物もあるし、着いてからずっと一緒にいたから、いまも寂しくないと思う」

「そっか。安心した」

 話を決めてしまってから、僕の自宅がとても人を呼べる状態ではないことに気づいた。亡者には食材も調理器具もほぼ要らない。謙遜でなくほんとうに寝るためだけの部屋、いや塔の住人でいるためだけの部屋だ。


 地下に下りると、僕は自宅のそばの道具屋「きじとら堂」でお菓子を買うことにした。

 何も思いつかず冒険者用の乾パンを会計に持っていくと、耳族のあまり愛想よくないお姐さんが、

「お連れさんにもね」

 と、苺ジャムのついた花の形のクッキーを2枚くれた。



 



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