第16話 悲観と楽観と返礼
「お邪魔します」
僕しかいない部屋なのに、エレンは律儀にそう言う。そして一瞬目を丸くした。あまりに殺風景で驚いたのだろう。
「寝に帰るだけの部屋だからほんとに何もないけど……ゆっくりしていきなよ」
ラケル氏が椅子や食器を2人ぶんずつ買ってくれたことに感謝する。彼だけの考えではなさそうだが。
テーブルに苺ジャムのついたクッキーを出す。もらった2枚だけではエレンが遠慮して食べないかもと思い、結局これも一箱買ったのだ。飲み物が水しかないのはまずかったか。
ローラはいまごろ高層階の綺麗な部屋で、もっと気の利いたお茶の時間を過ごしているのだろうか。
テーブルを挟んで斜めに向かい合う。
「はじめに言わないと公平でないから、言うね。
僕は秘密を守る。ただ、君の相談事が他の人の手も借りないと解決できないようなら、その人には必要なら話す。どこまでなら話しても良さそうか……ってことも含めて、思うことを何でも言ってほしいな」
お互いのコップの水一口分、考える時間があった。
「お察しのとおり相談は妹の魔力のことよ。すぐに解決できないのは分かってる。でも差し迫っている事が一つあって、今日はその相談に来たの。
私もメリッサも、助かった嬉しさですっかり忘れていたけれど……。
あの夜、私たちに切り掛かってきた女の石像……あれが見つかったら、私たちはお終いです!」
彼女が懸念しているのは、話をまとめるとこういうことだ。
もし例の石像を誰かが目にして、ごく最近に石化された人間だと見抜かれたら、石化能力を持つ者がそこにいたことも知れる。東都へ行く途中だったことも察しがつく。
その情報が伝われば、魔人に寛容な東都の人々といえども石化能力の持ち主に警戒するだろう。遠方から旅してきた彼女たち姉妹はとくに警戒の視線を向けられる。何かの拍子に、メリッサこそが石化能力を持つ魔人だとばれたら、姉ともども吊し上げられるだろう……というのだ。
仮定の話ばかりで悲観しすぎに思えた。
「あの像を崖から落とせばいいんだ」
「そうするしかないの……? とっさに身を守るためとはいえ、恐ろしいことをしました……」
エレンは罪の意識に苛まれているらしい。僕なら魔人狩りの強盗にかける情けはないが。
けれど、言っておいて何だが実際そうしたくはない。僕のばあい亡者であることを隠すのが厄介だ。
狼や亡者のうろつく森を行き来することじたいは、彼らの食欲の対象外であり不死身である僕には難しくない。けれど、冒険者でも狩人でもない僕がそうするのを、エレン含め誰にも怪しまれずに済むだろうか?
それより彼女を、杞憂だと説得できれば良いのだが……。
「エレン、落ち着いて。
それは最後の手段だ。まだ決まった訳じゃない。
そもそも街や村の外は法の及ばない世界だ。あの山奥で起きたことは街で裁けない。
もしも、あの連中が僕たちを殺したって、街の誰も奴らを罰してはくれない。
その一方、たとえあの像のことがバレたって、君たちがこの街にいるかぎり、石化の魔力が怖いからって手荒なことをするのは誰も許されないんだ。心配しなくていいよ。
……妹さんとふたり綱渡りみたいに旅して、せっかく東都《ここ》に辿りついたんじゃないか」
エレンはしばらく考え、うなずいた。
禁じてもなかなか無くならないのが魔人狩りだが、そこは東都の人々の良心を信じるしかないんじゃないか、と僕は思う。
話し続けて喉が渇いたので水を飲んだ。もう一押しだ。
「それに、あの像が見つかるなんて何年先か。あのあたりは人通りが少ないだろ。だから強盗団も温泉街まで来て、君たち姉妹に目をつけたんじゃないか」
ラケル氏の馬車のなかで、たしかそんな話を聞いた。エレンたちは温泉街にいたとき、尼僧院まで馬車に乗せて行ってやると騙されたそうだ。ならず者はカモを待ってばかりいなかったのだ。
「そのことだけど、人が来ないとは思えないの……」
エレンは眉をひそめた。
「あの双子の方たちだって、館の本来の主だというご家族に代わって様子を見にきたんでしょう? あの夜は私たちを送ってくださったから、ろくに見て回れなかったのでは? 改めて訪れたら、きっと見覚えのない石像に気づいてしまう……」
そうだった……!
「兄貴の野郎」と苦々しく呟いたときのラケル氏の声と、そばかすのある鼻の両脇にしわの寄るさまが思い出された。
もっともジュゼット家の誰かが館を再訪するとは限らない。リデル様が尼寺へ行くのは、彼らにとって放置された別荘よりずっと重大なことだろう。けれど、それはエレン達を安心させる材料にならない。
推測だが、ローラの血縁者への罰としてあの館もたぶん没収されるのだろう。ならば新たな所有者が決まりしだい、その人物は喜び勇んで館を訪れるにちがいない。
メリッサの石化能力のことをラケル氏が知っていれば話は早い。その様子だとエレンは話していないだろうが、一応尋ねてみた。
「ところで、あの双子には話した?」
「だから……すっかり忘れていて……」
「石像のことを忘れたのは仕方ないよ。メリッサのことは?」
「……いいえ。……今更だけど、話したほうが良かったの……? 石化能力のことを知られてはいけないと、ずっと思い込んでいたから……」
エレンたちはそれほどまでに迫害されることを怖れているのだ。
メリッサのは石化能力といっても、一度に1人しか石化させることは出来ず、しかも魔力が回復するまでに数日を要する。傍からみれば危険な能力でも、敵に囲まれたとき血路を拓くのには向かない。
エレンの心配するようなことがこの街で起こると思えないが、実際起こってしまえば彼女らの助かる望みは薄い……。
「あっ、でも、とっても良い事もあったの」
エレンはつとめて明るい声を出した。それはまるで、自分の落ち度を責められたくなくて話題を変えるために良い知らせを持ってきたような調子で、見ていて辛い。
「というのはね、私の魔力の性質が分かったのです!」
僕は耳を疑った。彼女は自分の魔力の性質がいままで自分で分からなかったということになるが、そんな事があるのか。
僕は詳しくないのでその点をつっこむのはやめた。
「ラケルさんがアップルパイを買ってくださったので、お礼を言いにメリッサを連れてお部屋に行ってみたの。
そのときリデルさんに聞いたお話だと、どうやら私は、メリッサだけに生命力を分け与えているのではないか、それは私の体力と魔力がともに十分にある時しか出来ないことではないか……というお話でした。
そう考えると辻褄の会うことが沢山あるの。……あまり思い出したくないけど」
「つらい話はムリにしなくていいよ」
「その話が終わるころ、リデルさんはご自分のアップルパイを食べ終わって、またお休みになったの。起こしてはわるいから、そこでお二人にお別れしたの」
エレンはようやくクッキーに手をつけた。
リデル様がもう少し起きていれば……! ということばかり僕は思っていた。
けれど、リデル様には回復魔法に戦いに、大変お世話になっているのだ。いちばんの負担は僕の薬を作ったときだとか。それ以上を求めるのは欲張りすぎだろう。
ちゃんとお礼もしなかったが、あの人はもう尼僧院についた頃だ……。
「良いことを聞いたわ。私の魔力は幅広く人さまの役に立つものではなかったけれど……妹のためだけと分かっていれば、がっかりされることも悪用されることもないもの」
エレンはここで初めて寛いだように見えた。
「そうだ、魔眼封じの眼鏡というのがあるよ。相談所で扱ってる」
危うく忘れそうだったが、これこそ肝心な話だ。あの石像がどうでも、メリッサの魔力を安全に制御でき、エレンの柔和な人柄を知ってもらえれば誰も彼女たちを危険視しないだろう。
「あなたが作ってくれるの?」
「いや、技術者は他にいるんだ」
エレンはまた考えこんだ。
「……あの子の魔力を完全に封じられるなら是非お願いしたいけど……あなた以外の人に知られるのはやっぱり怖い……」
歯痒くなってきた。今でなくともいずれ踏み切ることなのに。
突き放すようなことをしたくないが、こんなふうに自分の時間を費やすことを、彼女の悩みが解決するまで何度も出来ない。
僕はローラを探すためにここに来たのだ。
「じゃあ、魔力値を計ってみよう。相談所の利用者では今のところ6が最大だって。メリッサがそれより低い数値なら、対処できる可能性はかなり大きくなる。近いうちにメリッサを連れて来られる?」
少しの間があった。
「じゃあ、先に私で試してみて」
魔力計をエレンに持たせた。エレンは縮こまって不安に耐えていた。魔力計の針が指した数値は……。
「7だ……!」
「……メリッサはもっとあるのよね、多分」
「だね……」
「相談所には、まだ言わないでください。手に負えない危険な存在だと思われたくないの。あと……」
エレンは若干震える声で、しかしはっきりと言った。
「あの石像を、隠してください。お礼は必ずします」
返礼など期待できないことは分かっている。断るか、無償でやるかだ。
「メリッサに害の及ばないことであれば、何でもします」
ただ単に何でもすると言われるより、よほど切実な頼みに思えた。……断るほうが夢見が悪い。
「任せて。済んだら知らせに行くから、待っていてくれ」
頭の中で「まあ! お姉さまという人がありながら……」とリデル様の声がした。本物なら、もし何かの巡り合わせが違ったら、力を貸してくれたかもしれないけど……。
急に壁が軋み始めた。
コップの水が揺れて縁からこぼれる。
地震だ!
エレンが僕の横にきて、服の袖を掴んだ。
あちこちで物が落ちる音が断続するのが、まるで別の世界のように遠く聞こえた。揺れているのは大地だけではないような気がしてきた。彼女は今どんな表情をしているのだろう。栗色の髪しか見えない。
「あぁ……私ったら……ごめんなさい」
エレンが頬を染めて離れたとき、地震が収まったのに気づいた。
時計をみるともう随分夜が更けていた。
「銀狼亭へ送っていくよ。メリッサが心配しているだろう」
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