第2話 夜陰 2

 すぐにでも出発したい気分だ。しかし携帯用魔法灯を回収するべく、僕は窓からの月明かりをたよりにベッドの下に腕を突っ込んでいる。君の異母弟のからの支給品だよ、ローラ。

 なぜ野宿ではなくここに泊まっているのかというと、この山奥の一軒家に住む人たちの強引なまでの善意のおかげだ。



 夕暮れどき、山道を下ってくる3人の男に出くわした。年はバラバラだが誰も互いに顔が似ていないので、父子や兄弟ではないだろう。

「おい、あんた見ない顔だな。どこから来たんだ?」

 声をかけてきたのは、僕より少し年上だろう、ひょろりとした男だ。

「北都から……東都へ行くところなんです」

 するとリーダーらしき年長の大男が頷いて、言った。

「俺らの家に泊まるといい。このあたりは夜に亡者が出るぞ」


 ここは東都の少し北に位置する火山の近く。主人を失った野良の亡奴、たんに「亡者」と呼ばれるものが出没する。生命を失い、魔力の供給源である主人を失い、なお死ねない彼らは常に飢えている。とくに人類の血を好む。

 じつは旅するうちに他の場所で既にそれを見たことがあり、僕にとっては脅威でないと知っていた。

 心情的に決して認めたくないが同類である僕は、少なくとも食糧としては狙われないのだ。獣にも襲われなくて済んでいた。食べるとは命を頂くということ。なら、本能的に亡者は対象外なのだろう。

 なので僕は野宿が怖いとは感じない。ローラのことだけ考えながら一息つければ十分と思っていたので、はじめは断った。


「急ぎの旅で、野宿に慣れていますので、ご心配なく」

「いやいや、無理だって」

「でも……お礼に差し上げるような物も何もありません。それに、あまり朝早く出たがっても迷惑でしょう」

「いいって。必要なら遠慮なくその辺のやつを叩き起こせ。ただし外に出るのは夜が明けてからだ。俺らだって、あとで死体を片付けるほうがイヤなんだよ……亡者に食い散らかされた死体って意味だ」

 痩せた男が話しながら「俺ら」というところで、3人組のなかでいちばん小柄な、少年と言っていいような若者と顔を見合わせた。お前も同感だろ、とでも言うみたいに。

 となると、あまり固辞して変に思われたくないので(たとえば「こいつが亡者では?」とか)厚意に甘えることにしたのだ。

 道すがら、背が低いのに歩くのが早いとか、北部のやつは色白だとか言われた。

「田舎の若造が、東都へ行けば金持ちになれると思ってるクチか」と笑われもした。訂正はしない。逃亡中の想い人を探しに、とはまさか言えないので。


 狩猟小屋みたいな一軒家に着くと、エプロンをかけた女性が出迎えた。獣のような大きな耳が頭の左右の斜め上にある「耳族」だ。多様な人種が集う東都がいよいよ近くなった証のようで少し嬉しい。

 緑の宝石の首飾りが目を引く。長い黒髪についローラを連想したが、そこまで美しくはない。それを言うなら僕も黒髪だが、ローラと僕は光と影ほど違う。

 誰かの連れかもしれない。最年少の男の妻ではないだろう。彼はまだ結婚する年頃ではなさそうだから。

 奥にもう1人いる。フードを深く被って、やつれた印象だ。目が合った。顔の傷を隠していたようだ。襟元に栗色の巻毛がこぼれていなければ、女性だと気づかなかったかもしれない。

 彼女はなぜか痩せ男に怒鳴られ、片足を引きずりながら引っ込んでしまった。あれきり夕食にも姿を見せなかったが、ちゃんと食べただろうか?

 甲斐甲斐しく給仕する耳族女性に大男がやたらに触るので、痩せた男が咎める一幕もあった。

 ああ、それにしてもスープが美味かったなあ。



 やがて指先にコロンとしたものが触れた。やった! 魔法灯だ!

 掴むときに変なところを押してしまったのか、明かりがベッドの下を照らし出した。床の色が意外に黒っぽい。日が当たらないから色褪せなかったのか? それとも落ちない汚れを隠そうとしてベッドの位置をここにしたのか?

 まあ、どうでもいいや。早く出よう。ローラが待っている。戸締り出来ないのは申し訳ないが、亡者がうろつく山奥にまさか人間の泥棒は来ないだろう。

 しかし、ベッドの下から這い出るとき不穏なやりとりが聞こえた。


「ごめんなさい! やめて、あの子だけは……」

 女の涙声。たぶん夕食時にいなかった彼女だ。

「うるせえ! エモノが起きちまうだろうが」

 年長者の男の声だ。

 衝撃音。

 子供の泣く声も聞こえ始めた。

「さっさと黙らせろよ。エモノは朝までにやれ。さもないと、あのガキの命はないと思え」




(続く)

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