第7話 夜道の白昼夢

 王子の乱心という強烈な記憶を学校中に刻み付け、文化祭はその後滞りなく幕を閉じた。終わってみれば、準備期間こそが一番楽しいお祭りだったねと、皆が口を揃えて言うのはお約束。

 あれ以来、タカヤくんは私の前に出てこない。ショーでは大暴れだったから、反省でもしているのかな。




 後ろ髪引かれる思いで日常に戻った今、早いものでいつの間にか季節は巡り。外ではもう、息も白く踊る。

「はーい!じゃあ良い子の皆さん!」

 冴子先生の笑顔だけは万年真夏のようだった。右から左へと私たちを見渡せば、アコーディオンスカートがふわふわり。教卓から時折覗く、目の覚めるようなショッキングピンク。

「節度を保って楽しい年末年始を過ごしてね!」

 ぽーんと平手で弾くのは、黒板にチョークを寝かせて書いた「節度」という太文字。いつもの笑顔のはずだけど、言い知れぬ圧を感じる。一部の生徒は何かが頭をよぎったらしく、身震いしていた。

「それじゃあ、良いお年をー!」

 ぱちんとウィンク、手を振り振り、今年最後の冴子先生の後ろ姿も実にエネルギーに溢れていた。


 あと何日と、指折り数えるのも今日で終わり。見鐘台高校は冬休みに入る。二学期最後のホームルームが終わると、教室中のうずうずは最高潮に達した。今日がクリスマスイブであることときっと、無関係ではないと思う。

「林堂ー!これ、いるー?」

 ぱらぱらと帰り始めるクラスメイトもいる中、後方から呼ぶ彼女が両手に抱えているのは大きな額縁。だらしなく口を開けたまま振り返る湊人は、蛍光灯の反射の下から捲れ出たそれを見るなり眉をつり上げる。ダァンッ。大きな音は、無関係の後ろの子の机に拳骨を叩きつけたことによるものだった。

「おまッ…!んだよそれは!さっさと処分しろ!」

「ええー、せっかく写真部の子が、グランプリの副賞にって、こうして引き伸ばしてくれたのに」

 湊人が怒鳴り散らす先、彼女がイヤイヤと抱き締めている大きなそれは、紛れもなくあの時の、湊人と金魚のちゅー写真。

「よく撮れてるよなぁ」

「本当本当」

「満場一致でグランプリだったらしいよ」

「納得ー」

 誇らしげに写真を掲げて見せる彼女と、口々に感心する周りの皆。湊人がリアクションするほどにその輪は広がっていく。


 湊人が怒るのも無理はなかった。文化祭最終日、様々な部活が催していた賞レースの表彰式も行われた。そこで、湊人のこの写真は大々的にスクリーンに映し出されてしまったのだ。こういういじられ方が嫌いな湊人にとって、あの出来事はきっと消したい記憶だったのだと思う。


「もうあれからどんだけ経ったと思ってんだ!しつっけーぞおまえら!」

 彼女はほれほれと、湊人の眼前にちらつかせては、その拳をひらりと躱す。湊人も必死なのだろうけど、自分の顔をグーで狙うなんて、なんともシュールな光景だ。

「イブっていうのに、相変わらず色気ないねー、林堂は」

「紗奈ちゃん」

 教室後方の人だかりを尻目に、紗奈ちゃんは鞄を背負ってやって来た。今日の部活はお昼過ぎからということで、日頃よりずっとゆっくりした様子だ。

「そうでもないよっ、きっとあの子、林堂のこと好きでしょっ」

「え、そうなの?」

 丁寧にスケッチブックを仕舞う指先が、合間に彼女を指差す。

「ほら、オーラが全然違うもんっ」

 美冬ちゃんに言われて、紗奈ちゃんと私は湊人とじゃれる彼女を眺める。

「…いらないなら、私持って帰っていい?」

「おー、責任もって処分しろよ!」

 なるほど、それが本音だった、ということかな。はんっと湊人が踵を返した後ろで、表情を隠すように俯いた彼女が、嬉しそうにはにかんでいるみたいだったから。

「あたしにはよく分かんないや…でも」

 一通り観察を終えた紗奈ちゃんと目が合う。そして湊人を一瞥してから、同情するように微笑んだ。

「そうだとしたら不憫ねぇ」

「林堂が好きなのは、違う子だもんねっ」

 呼応するように、美冬ちゃんもにぱっと笑顔をつくる。

 でも、私が一緒になってにこにこすることは無かった。

「うん…やっぱりまだ好きなのかなぁ…」

 頬杖ついて、自然と視線は下を向く。

「えっ、気づいてたの?」

「…ん?」

「林堂の好きな人っ」

 一転、紗奈ちゃんと美冬ちゃんは目を丸くして私を掬い見る。今度は三人、同じ顔。

「…あれ、二人とも知ってたっけ、うちのお姉ちゃん」

「お姉ちゃんっ?」

「ごめん遥、なんの話?」

 ずり落ちる鞄を引き留めながら、傾げた頭は二人分。

「え?…だから、」

 私はついていた手を置き、二人を交互に見やる。

「湊人の…好きな人」




 湊人はずっと、お姉ちゃんのことが好きだった。

 そのことを知ったのはもうずうっと昔。小学生の時だった。あの頃はうちで遊ぶのがお決まりのパターンで、湊人はいつも、リビングにお姉ちゃんがいるタイミングを見計らうようにしてやって来た。

「…こっこんにちは」

 もじもじと、今にして思えばまるで人が違うみたいにか細い声で。挨拶を交わした後、りんごかと思うほど染めた頬をあの手この手で隠しつつ、妙にはしゃいでいたのをよく覚えている。

 ああ、好きなんだなって。

 あの瞬間、私、心だけをそこに置いて、あるはずのない深く暗い穴に落ちて行った。

 そんな記憶だけが鮮明に残っている。




 だから今日は憂鬱だった。そんな昔のことを今さらと、かぶりを振ろうとしたけれど、こうして思い出してしまったからにはやっぱり衝いて出るため息に抗えない。

 昨夜、お姉ちゃんに頼み込まれたのだ。


「ねぇ遥」

「何?」

「明日さぁ…一晩どっかに泊まって来れない?」

「えっ?なんで急にそんなこと…」

「彼がね、うちに来たいって言うのよ、その、イブだし、ね?」

「待って、私困るよ。お姉ちゃんが彼のお家に行くんじゃだめなの?」

「彼も実家住まいだから無理。それに、母さんたちの資料、見たいんだって」

「いいの?勝手に、仕事場…」

「置いて行ったんだから、要らないんでしょ。ね、遥も彼氏んとこ行くとかさ」

「無理だよ、そんなの」

「じゃあお隣に…」

「…っだめ!」

「なによ、急に大きな声出して」

「…湊人ん家はだめ」

「喧嘩でもしたわけ?」

「…そうじゃないけど…」

「じゃあいいじゃない。小さい頃は何度もお泊まりしてたんだし。行ったり来たりさ」

「…」

「とにかく、初めて一緒に過ごすんだ。一日だけ、お願い」


 両手を合わせて必死に拝むお姉ちゃんを、無下にもできなかった。直後は湊人にメッセージを送ろうかとも思ったけど、やっぱり。あの記憶がそれを阻んだ。

 こうなったら紗奈ちゃんや美冬ちゃんに、ううん、それもだめ。イブはきっとおうちでゆっくり過ごすに違いない。家族水入らずの邪魔なんか、できるはずなかった。

 だから今夜、私は宿無し決定なのだ。




「おー、はる。今晩メシどうするかってさ」

 紗奈ちゃんたちと別れた後、スマホを持つ手に肩を叩かれる。

「え?あー、うん。今日は大丈夫。おじさん帰ってくるんでしょ?」

「まぁなー。久々に会うからって、別になんの感慨もねーけどさ」

 そうは言っても嬉しそうなのが良く分かる。きっと久々にキャッチボールでもするんだろうな。年に数回しか会えないんだもん、恥ずかしがることないのに。

「ふふ。でもいいじゃない、一家団らん」

「そーか?…じゃーまぁ、はるもたまには寧々さんと仲良くメシ食えよ」

「…うん、ありがと」

「じゃな!」

 言えるわけない。

 手を振る湊人は、いつものように歯を見せ笑う。そんな彼に、お姉ちゃんの彼氏が来るから、泊めて欲しいだなんて。湊人にはあんな思い、して欲しくない。いつまで経っても足が付かない、手を伸ばしても届かない、浮遊感なんか。

「…さ、私も帰ろうっと」

 夜のことは後で考える。とにかく今は、目の前のことを思いっきり楽しもう。人もまばらになった廊下、つとめて軽い足取りで。マフラーからこぼれる髪を日差しの下になびかせた。




 家の鍵と一緒に取り出したスマホを見たら「お昼は駅前で軽く済ませよう」とメッセージ。自宅の玄関を開けながら返事を送って、私は自然と笑みをこぼす。そう、文化祭や試験で、休日も何かと時間がなかった私たちにとって、今日は初めて一緒に出掛ける日。いそいそとローファーを脱ぎ、洗面所でゆるんだ自分の顔と対面したら、ずっと前から楽しみにしていた気持ちが心地よく溢れ出る。

 うん、心配事に気をとられていたら勿体ない。せっかくのイブ、せっかくのデート。楽しまなくちゃ。


 一旦自宅へ戻ったのは、着替える必要があったため。夜には、家族でよく行く小さなレストランを予約してくれたらしい。少し大人びた格好をして来てねと鷹矢くんに言われて、黙ってお姉ちゃんのクローゼットから拝借したボルドーメインの切り替えワンピース。背丈がそんなに変わらないからか、意外とサイズもぴったりだった。スカートの丈も長めだし、これで大人っぽい、はず。

 姿見で最終チェックをしていたら、鏡映しに時計が目に入る。振り返り見て、もうこんな時間。毛利先輩の見よう見真似でちょっぴりメイクもしてみたけれど、これで大丈夫かな、なんて迷う暇も無い。巻いた毛先を気遣いながらトレンチコートを羽織って、私は急いで家を出た。




 毎日お昼休みを一緒に過ごしてはいるものの、学校の外で会うのはあの本屋以来、初めて。そう思うと緊張が、ショートブーツのヒールを大きく鳴かせる。この服で良かったかな、この髪型おかしくないかな。そんなことばかり考えてしまう。

「ふぅ…っ」

 楽しみで早く会いたいのに、同じくらい胸が苦しい。そんな相反する気持ちを、白く光る息に同居させて。手は何度もバッグを持ち替えた。


 待ち合わせ場所の広場に差し掛かる。ふくよかな雲の隙間から、ひととき漏れ込む陽光を反射する石畳。そのキラキラを追っていけば、彼の姿をみとめ一層はやる心臓。引き寄せられるようについ、小走りになった。

「鷹矢くん!」

 駅前、木陰の円形ベンチ。彼はそこでページをめくる手を止めた。もう随分とそうしていたのか、私が声を掛けるまで、まるでその一帯だけ空気が止まっていたかのようだった。

 グレンチェックのマフラーにうずめていた顎を、くいと上げる。

「ハルカ…」

 そうして数秒私を見て鷹矢くんは、あっと本を閉じ立ち上がる。こんな風にぼうっとした鷹矢くんを見るのは珍しい。きっと本の世界に没頭していたに違いない。つまり、それほど待たせてしまったということ。

「ごめんね、遅くなって」

 借りてきたロングスカートに高めのヒール。脚を取られ、いつもより歩く速度が遅くなっていたのかもしれない。広場の時計は、約束の時間を数分過ぎていた。

「ううん、そんなことないよ。それより…」

 本をしまうのもそこそこに、じっと視線。私は耐えきれず、髪や服やを触りながら、声があれこれ飛び出した。

「えっ、やっぱり、変?かな…服も、メイクも、慣れなくて」

「似合ってるよ、とっても」

 その間も、鷹矢くんは目を逸らさない。

「本当?お店で、浮いちゃわないかな?」

「なんで?」

「だって、大人っぽい格好しないといけないんでしょ?」

「僕、そんなこと言ったっけ?」

「言ったよ?」

 んー、と僅かに空を仰ぐ途中で、思い当たったのか鷹矢くんは小さく笑い出す。

「ああ…。ははっ、ごめん、それはね」

 すうっと表情をおさめると、真っ直ぐ私を見て言った。

「…僕がただ、大人っぽいハルカを見たかっただけ」

 完璧な間合い、甘い眼差し。

「僕が最初見とれてたの、気づいてない?」

 小首を傾げて、上目で台詞。

「そういうハルカも、すごくいいなって」

 王子スマイルでそれはずるい。

「…えっ、あの…ありがとう…」

 だからいつになっても、まともに見れないの。最後のほうはしぼんでしまってちゃんと言えた自信がない。小ぶりのファーバッグをぬいぐるみみたいに抱き締めながら。私は照れて俯いた顔から、目線だけを彼にちらり。

「ん?」

 鷹矢くんだって、制服でいる時とはやっぱり全然違って、大学生って言われても信じちゃいそうなくらい大人びていて。モスグリーンのピーコートが良く似合っている。こんなにスマートな人が、今さらだけど私の彼だなんて。

「鷹矢くんも…雰囲気、全然違う」

「そう?変?」

「ううんっ、格好良い!」

「あはは、ハルカに言われると嬉しいな…ありがとう」

 目尻に滲む薄い赤。迫る笑顔にどきりとさせられる。かと思えばもう、私の左手は彼の右手にすっかり覆われて。

「行こ」

「…うんっ」

 歩き出せば、雪待ち風が肌を撫でていく。少しも寒くないのは、どきどきするここから、繋いだ手から、体温がぽわぽわと止まらないから。

 まるで春のひだまりにいるみたい。限りを知らない、ぬくもりを纏う。




 コロロンと、白木のドアに飾られたリースのベルを転がせば、空はすっかり濡れたような紺色だった。店先に綺麗に並べてあるポインセチアの紅白が、可愛らしい電球に照らされ優しくしゃんとお見送り。息が白いと気が付いたのは、お店の庭を渡りきった所だった。

「すごく美味しかったね」

「良かった、気に入ってくれて」

 今日一日で、色々な話をした。ご家族とのエピソードや、私のこともいくつか聞いてくれて。

 ただ、お互いになんとなく避けているからか、ハルカさんのことは一度も話題に上らなかった。それに、タカヤくんにも会えていない。そろそろ出てくる頃かなと思ったけど。


「こんなところ、いつも家族で来てるなんて羨ましいな」

 何の気なしに言ったつもりだけど、鷹矢くんは僅かに目を細め、気遣わしげな視線をくれる。

「あっ!えっと…」

 たぶん、さっきうちの家の話をしたからだ。両親と離れて暮らしていると言ったら、自分のことのようにとても悲しそうな顔をしていた。私は平気なつもりだけど、鷹矢くんは気にしてくれている。

 失言に口元を隠そうとする私のその手を、

「わっ」

 急に引き寄せ、降らせる声。

「じゃあ、今度はハルカも一緒に行こう」

 そっと髪にぶつかる、彼の唇はやさしい。

「えっ?そ、そんな!邪魔しちゃ悪い…」

 裏腹にいじわるな吐息がくすぐったい。

「そんなことないよ。ハルカと夕飯食べたいし。…本当は毎晩にでも」

 みっつと触れれば心臓が持たない。

「あ…」

 どんどんうるさくなる胸、私の足も絡まりそうになったとき。髪をふわり、跳ね上げる冬風が一瞬辺りを無音にして。

「…林堂くんが羨ましい」

 どくん。静寂に響き渡った、心音に重なる呟き。少し声色が強かった。だから本当に彼のものなのか知りたくて、

「えっ…?」

 一歩、外側に足を踏み出し見ても、街灯の谷間に沈んだ目の前の微笑みが、どちらなのか分からない。

「妬いてるんだよ…自分でも驚くくらい」

 握る手は嘘みたいに強引で、夜に紛れた顔は近すぎる。

 ねえ、今、そこにいるのは鷹矢くん?それとも――

「タカ…」

 そっと淡く、街灯の明かりが滑り込む。そこに浮かぶ彼の姿、やわらかな表情に、思っていたような強い瞳もシニカルな口元も無くて。

 違う。私ははっとした。

「…ね。ハルカが一緒なら、絶対喜ぶよ、両親も妹も」

 この闇の中に幻でも見ていたのだろうか。そんなもの、どうして。

「…」

「ハルカ?」

 すぐには反応できなくて、そんな私に鷹矢くんはわずかに首を傾げる。

「…あっ!えっと!」

 私は無意識に声を張っていた。

「梨衣奈ちゃんだよね!さっき見せてもらった…」

 彼が近すぎて落ち着かないからだ、こんな夜に白昼夢なんて。握られた力がゆるんだところで、私は半歩ずつ距離を取っていく。

「うん…」

 私たちの間を夜が通り抜けていく、悠然と。そうしたら、なんだか寂しげに響く鷹矢くんの頷き。だから握られた手を大きく揺らして、隙間に意味を持たせようと。

「写真、すっごく可愛かったもんね。会ってみたいなぁ」

「…リーナはいつも、お姉ちゃんが欲しいって言ってるから、ハルカに会えば本当に喜ぶよ」

 振った腕のリズムと一緒に、白い息の生まれて、消えて。鷹矢くんも声を弾ませる。いつもの笑顔、あたたかくてやさしい瞳。

 そうだよね、やっぱり錯覚だったんだ。

「ふふ、こんなに素敵なお兄ちゃんがいるのにね」

 二人の間で行ったり来たり、繋いだ手はブランコのように。自分でも分からない気持ちの色々を乗せて、埋まらない夜色を切っては揺れていた。




 駅は昼間のようだった。二人分、影が濃くなれば、次第に夜は溶けてなくなる。ここを挟んで反対側に、それぞれ私たちは帰っていくのだ。楽しい時間は、もう終わり。

「今日、楽しかったね!本当にありがとう」

 私がゆっくり立ち止まると、一歩先で鷹矢くんは振り返る。

「僕のほうこそ。いっぱい歩かせちゃったけど大丈夫?」

「うん、全然!…えっと」

 またね、と手を振りたくても、包まれたままの左手。離れるどころかぎゅっと一層強くなるから、戸惑う。

「…?」

 ついさっき感じたものと、一緒だから。

 あれは幻だったはず。確かめようとそうっと見上げた私の頭上、冷たい空気に凛と澄んだ、彼の横顔がかすめていった。

「もう暗いし、家まで送っていく」

 そうして私を引く手も声も。彼のものに違いないのに。

「えっ、い、いいよ、逆方向だし」

 立ち止まる私に、振り向いた笑顔はやわらかい。

「そんなの気にしないで。僕がそうしたいだけだから」

 どうしたんだろう、私。何度も何度も。

「ね?ハルカ」

 いや、今はそうじゃない。

「でも…」

 どうしよう。まさかこうなるなんて。家に帰るわけにはいかないとは、言えないし。送ってもらったところでお姉ちゃんに見つかっても困るし。

「えっと、」

 かと言って逆らえない。少しの強引さがちらつくこの笑顔にも。

 早く。ここで上手な理由を言わないと。でも、無理に高速で頭を回転させたのは、明らかに失敗だった。

「実は、今日は親戚の…あっ、そう!家がね、すぐ、そこだから!」

 ぶんぶん上下に振り回すのは、繋いだままの二人の手。そのたび揺さぶられたマフラーの内側、鷹矢くんは私が笑えば笑うほど、訝しがる。

「ハルカ?」

「え…」

 窘めるような語気。ついに右手も捕まった。私の下手な言い訳を、見逃さない。

「どうしたの?」

「えーっと…」

「家で何かあった?」

 両手を取られて向かい合わせ。ぎゅっと握られたら、いつかのように人質となる。もう観念するしかなかった。

「…あの、ね…」

 タカヤくんみたいに強い瞳で見つめるから。

 私は包み隠さず全ての事情を話した。

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