第3話 気遣いのあまりに


 あれはケンブリッジの駅に向かっている時でした。

 大柄の黒人女性が大きなボストンバックを重たそうに引いて、私と同じく駅に向かっていました。


 「お荷物、お持ちしましょうか」


 そう声を掛けようとした瞬間、その黒人女性の何ということのない視線が私に注がれたのです。

 私に、ちょっとした気持ちの余裕があれば、微笑みを返し、私が予定していた言葉、お荷物お持ちしましょうかって、声をかけられたのです。


 しかし、私は、その何ということもない視線を受けて、臆してしまったのです。


 きっと、この大柄の黒人女性は、東洋人の私を怪訝に見ているに違いない。

 荷物を持ちましょうと言ったら、返事もせずに、無視され、急ぎ足で行ってしまうに違いない。そして、きっとロンドンまで一緒の電車の中で、気まずい思いをしなくてはならない、だったら、声などかけないほうがいい。


 周りの幾人かの人たちだって、声をかけていないって、そんな思いで自分を納得させたことがあったのです。


 ちょっと、想像をしてみました。


 あの時、あの大柄の黒人女性に声を掛けて、重たそうな荷物を持ってやったら、どうだろうかって。


 女性は、声を掛けられるのを待っていた。

 こんな重い荷物を持って逃げるような奴はいないし、何より、気遣ってくれたことに感謝してくれるだろう。

 それが縁で、ロンドンまでいくつかの話題がやりとりされて、退屈もしなかったに違いないって、そんなことを思ったのです。


 「私、あなたに、荷物を持っていただけないかしらって、あなたが私を見てくれた時、思ったの。でも、イギリス人ではないし、ことわられたらと思って、やめたの」

 そんなことも言ったかもしれないと。


 人間関係って、本当に、難しいって、思うんです。


 お互いに、遠慮をして、その余りに、人間関係が成立しないのです。

 そのようなこと、日常生活の中では、往々にしてありうることなのです。


 ショッピングセンターのエスカレーターに乗る時、たまたま、そこに子供を抱えた人が来れば、容易に、お先にって言えるのに、ケンブリッジの駅前では荷物を持ちましょうって言えなかったんです。


 それは、私の中に、荷物など持たれたら、それを持っていかれるのではないかって懸念があるからです。


 特に、私のような、旅のさ中にある人間には、荷物の中には大切なものが入っています。ですから、それを持ちましょうと言われれば、いや、結構と言うはずだと、そういう思いがあったのです。


 だから、きっと、あの時も、私は自分の思いを軸にして、そう思ったに違いないのです。


 香港で、私の友人が、私の手にした革の財布を気にかけます。

 パスポートも、カードも、現金も、そこに入っています。 


 それは危険だって、目の玉をひん剥いて言うのです。


 香港で、君は明らかに日本人ってわかる姿格好をしている、それに、いつもニコニコしている、そんな君が、手にそれとわかるものを持っていれば、ひったくりにあってしまうって言うんです。


 この友人、元は教師なんです。


 でも、今、香港人の若者を二、三人雇って、カレー屋さんをやっているんです。

 時には、日本に戻ってきて、シャンソンを歌う、そんな奴なんです。

 香港での生活が長いせいか、実に、横柄な奴で、いい奴なんですが、その香港人とのやりとりにはなかなか同意できないでいるんです。


 入ったレストランや土産店では、笑顔を見せない、ぶっきらぼうにものを言い、命令をしているのです。


 これじゃ、日本の恥だと、彼に文句を言ったことがあるのですが、彼は、一向に意に介さず、これでいいんだと、甘い顔をしたら、騙されてしまうって、そう言い張るんです。


 だから、私の無防備なありように、目の玉をひん剥いたのです。


 私だって、ニコニコしているばかりではありません。

 手に持っている方が安全だと、そう思っているからに他ならないのです。

 懐に入れていれば、あの混雑の中、人とぶつかって、スリにやられてしまうかもしれないし、ズボンの後ろポケットに入れておけば、これまた、鈍感な我が尻はそこから抜かれたことなど察知せずにいるやもしれないのです。


 だから、手に持っていれば、一番安全だと、そう思っているのです。


 これが私の気遣いなのです。

 香港の彼には、到底、理解のできないことに違いありません。


 だって、生き馬の目を抜くような世界に生きてきた彼と違って、のほほんとした中に、どっぷりと身を置く、私なのですから。


 騙すことは決してしないと心に決めたのは、何も、教職に就いたばかりが理由ではないのです。


 私の中に、騙すくらいなら、騙された方がいいと言う哲学があるからなのです。

 人間を信じて行こうと言う哲学です。


 そんなたいそうな哲学を持っていることを自認しているのに、あの時、ケンブリッジでなにゆえ気遣いのあまりに、荷物を持ってやれなかったのかと悔やむのです。


 そうそう、私、最近、妙な気遣いをしていることに気がついたのです。


 送られてくるメールの端々に見られるあの絵文字です。

 時には、アルファベットのWなどもあって、何を言いたいのかしらって、そう思うのです。

 言葉ではなく、絵文字やアルファベットで、気持ちを表現するのです。


 女から、絵文字でハートマークやら、LOVEなんて書かれたメールをもらったら、きっと、私、気遣いから勘違いをしてしまうのではないかって、そんな心配をしているんです。


 いつになっても、余計なことを煩雑に考える癖が抜けないって、ほとほと嫌になってくるのです。


 今日という日は、実は、平成最後の日なんです。


 いっそのこと、令和では気遣いをやめて、厚顔無恥にして、斟酌の欠片もない人間に変貌をしようかと、そうも思うのですが、ご退位された天皇陛下の御顔を拝しますと、そうもいかないとよこしまな気持ちを改めるのです。

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