第七話 新井山一
「……?」
突如聞こえたその声に、俺は思わず振り返る。
するとそこには、ガタイがよく、顔のめっちゃいかついマフィアのような男が、呆れたような表情を浮かべて立っていた。
……字面だけ見ると滅茶苦茶怖いし、今後の俺の安否が気になるところなのだろうが、別になんのことはない。
「あ、
俺は男にそう返答する。
彼の名は
俺の担当編集であり、そして未だ交際経験無しの悲しき大人である。
こんなスジ者のような見た目ではあるが、編集者としてはめちゃくちゃ有能で頼りになるし、年の差が10以上あるのにも関わらず、彼と
だが恋愛面については……。いや、今は触れないでおこう。悲しい
「ちょっと、いいですか」
と、なぜか新井山さんはちょいちょいと手招きをして、海音に声が聞こえない程度の場所に俺を呼び出した。
なんだろう、わざわざ
いや冗談。本当に会いに来たってわけじゃないだろう。そしたら俺の居場所をどうやって突き止めたんだって話になるし、本当にそのスジとの関わりを疑わざるを得なくなるからね。うん。……大丈夫だよな?
一抹の不安を覚えながらも、俺は海音に「ちょっとごめん」と言って席を立った。
「何ですか。 ていうか、マジでなんでここに居るんです? なんかそのスジとかからの情報ですか?」
俺は新井山さんのもとへ行くと、まずはそこを確認する。
いや、一応、一応ね。
あと、もしものために海音を連れて逃げる準備もしとこ。
「いや、私用で来ただけで、五月先生と会ったのは全くの偶然です。何ですかそのスジって。俺の見た目がこんなんだからって失礼な」
「あ、なるほど。まぁ見た目がそんなんなので、疑われるのもしゃーなしってことで許してください」
ふう、よかった。どうやら俺の編集はマフィアと関わりがあるわけではないらしい。
いやまあ、微塵も疑ってなかったけどね? 一抹の不安すらも覚えてないけどね?
と、俺が安堵したのもつかの間。
「ええ、まぁそこは許します。ただ、もう一つのほうはどうでしょうねぇ……?」
突如新井山さんの纏う雰囲気が一変し、なぜか指を鳴らし始めた。
すげぇな、めっちゃボキボキ言ってる。
……ていうか、なに? これ怒っていらっしゃる? プンスコ丸しちゃってる??
え、もう一つのほうってなんだよ。よくわかんないけど、誠心誠意謝るから許してくんねえかな。
「また俺何かやっちゃいましたか?」
とりあえずそう言ってみる。
まあこの人には色々と迷惑をかけているからね。もしかしたら今回も知らない間に何かやらかしちゃったかもわからんね。
しかし、こうして彼が指を鳴らしてる姿を見るのは初めてだな。えらく様になっているし、普段こんなことしないだけに、今現在の彼の怒り具合がよーく伝わってくるよね。
ははっ!
……いや怖い怖い怖い怖い怖い怖い、怖いって! なに、そんなやべーことした!?
この状況の特異さに気づき、俺は滅茶苦茶ビクつく。彼の次の言葉によっては、遺書を書く準備をしなければならないかもしれない。
そして彼の口が開き、その時は来る___
「とぼけないでくださいよ。……あの可愛い女の子は一体誰ですか」
「えっ」
「えっ、じゃなくて。それと彼女とはいつから、どんな関係なんですか」
「ええっ」
「ええっ、じゃなくて」
えええっ。あんな
マジでビビったわ。いい大人なんだから、俺がハンパなく可愛い女の子と一緒にいるからって嫉妬しないでほしい。
それに海音との関係性って言われても、今は同業者というだけだ。めっちゃ天使な同僚。そこに新井山さんが嫉妬するような要素は無い____
と、そこで妙案を思いついた。
「もしも、あの子は僕の彼女……って、言ったらどうします?」
「歯ァ喰いしばれ」
「えちょっと待って、ストップ! ストーップ!!」
ボキボキ鳴らしていた指をしっかり握りしめグーパンの構えをする新井山さんを見て、俺は慌てて待ったをかける。
いや、ヤバすぎるよこの人! 20代後半で彼女0人だからってこじらせすぎでは!?
「五月先生、おれはあなたを同志だとばかり……!」
しかもこの男、とうとう同志とか言い始めたぞ! 年の差考えろよ、もはや風貌も相まって望みゼロの
ワンチャンあるから!!!!
と、そう心の中で叫びながら、新井山さんを見やると。
「ぐ……ッ! なぜこの人にすら彼女がいるというのに、俺には……!」
そこには、
……軽い気持ちで話を盛っただけだったのだが、この人に恋愛系の自慢話はガチ地雷だったか。なんというか、若干申し訳なくなるな。
そして同時に、虚しくもある。空虚の彼女で悦に浸って、何が楽しいというのか。
ああ、悲しき男よ。俺は____
「……すみません」
「いや、いいんです。俺を置いて、せいぜい幸せに過ごしてくれれば」
「いえ、彼女っての、嘘です」
反応は劇的であった。
俺がそう言うや否や、新井山さんの顔に一瞬にして光が戻る。
俺の言葉がまるで、天からの
「五月先生、俺……!」
「みなまで言わないでください。俺は、味方ですから」
そして、男二人はひし、と抱き合う。
お互いの存在を確かめ合うように。
俺は、10歳以上年上のおっさんと、抱き合ったのだ。
そして、
「……嶋村くん、なにしてるの?」
「うわ! あ、いや、」
……そんな場面を海音に見られ、そう声をかけられたときの俺の気持ちは容易に想像できるだろう。
最近こんなんばっかりだな俺。はやくラッコになりたい。
見れば、新井山さんのほうも我に返ったようで、全力で羞恥と戦っている真っ最中であった。
「……えー、どうも。恥ずかしいところを見られてしまいましたが、私は嶋村君の知り合いでして。その……」
羞恥に耐えながら新井山さんはそう言って、そして俺の方をちら、と見てくる。
なるほど。ここで彼が「編集者です」などと言えば、俺がなんらかの仕事______具体的には小説家をしていることが相手にバレてしまうだろう。
世の中にはそういった自分の職種を隠して生きている人もおり、そして俺自身も、学校の奴等には自分が小説家をやっていることを教えていない。
だがまぁ……彼女に限っては別だろう。
俺は「大丈夫ですよ」と、新井山に合図する。
「……ああ。えー、実は私は嶋村君の担当編集をさせてもらっております、新井山と申します」
「ああなるほど! 嶋村くんの担当さんなんですね! はじめまして、私は嶋村くん……じゃなくて、五月先生の同僚の宇田川って言います!」
「う、宇田川……!?」
新井山さんが驚いたような表情をする。きっと彼の中では、人気小説家・宇田川玲の存在が思い浮かばれていることだろう。
そして、その考えは正しい。
「まぁ立ち話もなんですから、どうです? 私たちの席に来ませんか?」
「え、あ、はい」
海音の提案に、新井山さんは訳もわからず承諾する。きっと、ツイッターとかそこらへんからの印象と現実とのギャップに困惑しているのだろう。気持ちは痛いほどわかる。
かくして、俺と海音の二人だけの時間に、
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