異世界からの来訪者達③


 湊とアルシェのいるアトラス森林から西へ数百キロ――シナトラ公国御三家の一つにして全領地の5分の二を治めるルドリヒト家。


 つい先日勇者が召喚されたと大々的に公表し、その恩恵に与あずかろうと連日商人やら州の外交官がこぞって足を運ぶ家の一室に、男がいた。


「包帯を取ってみて如何でしょう。何処か違和感を感じる所はありますか?」

「問題ない、損傷前と変わらぬ手応え…むしろ以前より調子がいい位だ」

「それはルトの葉を使ったからでしょう。寒暖の差が激しい一部地域でしか採れない希少なものですが、傷や病気は勿論のこと筋力増強効果もある程です。と言っても、1~2週間で元に戻ってしまうんですけどね」


 手に持っていた薬草を掲げ、男に見せつける。青の花弁に白い茎根をしたルトの葉は薬師の男の手の中でピンと立ち、まるで摘み取られたことに気付いていないかの如く生命力を誇示した。


「これは迷宮産ですが、通常のものより薬効が強いんです。効果が切れた後は脱力感や倦怠感を伴う場合があるので、そこは注意してください」


「承知した。腕が治っただけでも僥倖なのだ。善意の医者を恨んだりはしない」

「アハハ。僕はおまけみたいなものですけどね。腕がくっついたのは優秀な治癒士のお陰です。感謝ならその人に」

「その者にも謝意は送った。後は貴方だけだ」

「おやそうなんですか。ではお言葉に甘えて」


 ドアノブに手を掛けたところで振り返り、ぺこりと会釈してから部屋を出ていく。

 一人になった男は治ったばかりの腕を軽く動かした後、暫し天井を見上げた。


「あれから丁度一週間。得たものと言えば日常生活を営むことへの幸福感…か」


 ふっ、と溜め息を吐いた後自嘲気味に嗤った。


 ここ数日は経過不良を招かぬようにと損傷部の使用を禁じられ、それが利き手だった為に様々な制限が課された。食事はナイフとフォークが使えないので事前に切り分けてもらったり、重いものを運ぶ際はお付きの者に持たせるなど、まるで子供のような扱いに恥ずかしさどころではなかった。排泄後の世話まで申された時は流石に遠慮したが、慣れない環境にさしもの男も気疲れを感じていた。

 貴族というものはアレを平然と受け入れるのかと変なところで評価を上方修正したぐらいだ。当然剣を握ることも禁止され、最近はそんな一種の初体験に四苦八苦する毎日を送っていた。


「負けた者への宿命…とは少し違うが当然の施しだろうな。年甲斐を抱く齢としでも無かろうに昔を思い出すとは我ながら情けない」


 まだ自分が戦士として未熟だった頃もこうして沢山の人に後押ししてもらった。サポート以外にも我の強いライバルや大人の色気漂う兄貴分、そんな彼に想いを寄せるエルフの魔導師、熱い気持ちの後輩に押され修行に付き合うこともあった。そして自分をここまで強くしてくれた恩師を頭に浮かべた後、最も輝かしかったその記憶にそっと蓋をした。


(あの頃にはもう戻れない。皆に――師父せんせいに合わす顔も私にはない)


 聖女に強襲し、勇者を手に掛けた。もう後戻りできない所まで来てしまったのだ。自分との繋がりが明るみに出るだけで彼らに迷惑が掛かるだろう。なれば余計なことは考えず己が目的のため全力を注ぐまでだ。


(どちらにせよ道を違えた身。彼等と志を同じにすることはもう無いだろう。今私がすべきなのは唯一つ、悪に徹することだ。中途半端に未練を引き摺ることこそ一番の愚行)


 裏の世界に身を置き続けることで、表で生きる彼らの名誉が守れるならそうすべきだ。そう自分を納得させ、気持ちを切り替える寸前。最後にもう一度蓋から取り出し、先程敢えて列挙しなかった心優しき治癒士の名を零す。


「ペトラ、俺は必ず君の…」


 男の名はオルガ。北の大国フィリアムの勇者湊と聖女姫アルシェを襲い、魔境に落とされる原因となった人物。


 逃した獲物はデカくそのまま計画が破綻するかと思われたが、何の因果か彼の共犯者の下にも勇者が召喚されていた。果たしてこれが天の助けか悪魔の導きなのかは判らぬが、結果的に彼の望みは断たれていなかったということ。


 もう失敗は許されない。次こそ上手くやる。そんな気概を身体から滲ませたまま部屋を出ていく。







………


……









「何をしているんだ、あれは」


 屋敷を移動したオルガは訓練場を見下ろせる部屋へと入り、そこから外の様子を俯瞰する。この訓練場は公軍とは別に領主たるルドリヒトが街の治安を維持する警邏隊のため用意した場所だ。屋敷と隣接したこの施設は訓練場横の詰所と合わせてかなり広く、兵士含め役人達がその中を24時間交代制で勤務している。

 3人いる内の一人とは言え、公王が寝食を行う屋敷は国のトップとして些か荘厳さに欠ける。仮にも王国と同列に数えられる五大国の一つとして城でも築いたらどうだと思うかもしれないが、国を三分するというのはつまり財産も減るということ。


 まともな統治者なら建築費や維持費などコストの掛かる造りにはしないだろうし、安全を確保するだけなら近くに自警団を置くだけで良い。これを建てた当時のルドリヒト家当主もそうして居住を構えたのだろうが、当代の公王はとにかく無駄遣いが多い。今も訓練場の外壁には24時間使えるように松明が掛けられているが、その下に何故か高級そうな壺が置かれてある。

 しかも壺は一個だけでなく、東西南北に4つ存在する。これは冒頭にも述べた勇者へ拝謁しに来た使節の者に見せつける為であり、現に先程まで鑑賞していた者達からは、やれ大公様だの流石五大国の王だのと散々持ち上げられていた。


 その事に酔いしれていた当主と周りの者達も、今は別の話題に花を咲かせている。彼等が見つめる先――、訓練場に幾つか設けられた闘技スペースの中央で、勇者がモンスターを相手に戦いを繰り広げていた。


「ハッハア!! やっぱり弱いなお前! ギャラリーも居るんだからもう少し粘ってくれねえと俺の凄さが伝わんないだろうが…よッ!」

「ガッ、グブぅ…グエェッ!」


 否、戦闘と言うにはそれはあまりに一方的過ぎた。丸腰の小鬼ゴブリンを相手に勇者である青年が剣で斬りつけ、すぐに死んでしまわぬよう急所を外し嬲るだけの光景しかないのだから。逃走も許さんとばかりに二人の周りを兵士が囲み、万が一反撃してきても大丈夫なような配置にしてある。


「凄すげえ、凄すげえッ――勇者の力凄え! 倒すたびにどんどん強くなっていきやがるッ…こんなんじゃ迷宮とやらもすぐ攻略しちまうって!」


 お世辞にも洗練されているとは言い難い動きだが、青年の言う勇者の力とやらでゴリ押しを可能にしている。勿論環境による精神的差もあるだろうが、仮にそれが無くとも勝利できるほどの実力を青年は既に得ていた。


「真まことに凄まじいですな。聞けば召喚当初の勇者様は喩え相手が魔物であっても命を奪う事に躊躇なさる御方だったとか。それがここまで変わられたのもルドリヒト公の方針によるお陰ではないでしょうか」

「なんと、それはまた大層な」

「はっはっは、いやそれ程大したことでも無かろうて。儂はただ魔物が人と同じでないことをお教えしたまで。ヨシキ殿はお優しい上に刑法にも明るい故、実際に魔物を屠っているのを御覧に入れたところ直ぐに順応なされた。聞くところによれば元いた世界で“ふぁんたじー”なるものを嗜まれていたらしく、此方の文化や考え方に深く共感なされたのだ」


 近年の日本はいわゆる異世界ファンタジーがブームになって久しいが、それに伴い多くの小説が読まれてきた。その中には本気で架空の世界に夢を見る者達も少なからず存在し、今回召喚された勇者の青年――名を早川嘉輝というが、そんな彼もここダリミルの空想的雰囲気に言い知れぬ満足感を抱えていた。

 様々なジャンルを熟読してきた彼にとって、特にバトルものの主人公は自分を昂らせてくれる一種の憧れでもある。それが魔法あり闘い有りの世界に来たばかりか、勇者という如何にもな称号を与えられれば多感な時期の男の子なら自分に酔いしれるのも不思議ではない。魔物とはいえ殺生を行えたのもそこら辺が理由で、ルドリヒトの話術に乗せられたことも要因の一つに挙げられるがそれが全てではなかった。小説の他にガンシューティングを日頃から嗜むんでいて、それに感触が付いただけという見方が出来るのも彼の凄い所かもしれない。


「勇者様は読書家でもあらせられるのですね。これは向こうの世界と比べて退廃的と思われぬよう努めるしかありませんね」

「あぁ全くだ。丁重にもてなさなければ迷宮に挑んでいただく前に愛想を尽かされるやもしれんな」


 などと演習場で話が盛り上がりを見せる傍ら、それを部屋から眺めていたオルガは憤懣遣る方無いといった表情を浮かべている。


「何をしているんだ、あれは」


 深く、地の底より聞こえてきそうな呟きは当然彼方まで聞こえる筈もなく、しかし確かな憤りを孕んだソレは部屋を重くし、同時に空気が張り詰めた。ルドリヒトの命により付けられた使用人は不幸にもその怒気に当てられ、まるで金縛りにあったかの如く委縮してしまう。


 因みにオルガが人前に姿を表さないのはそこから襲撃の事実が暴かれるのを防ぐためだ。幾らフードで顔を隠し王国の使節団を招いていないとは言え、情報はどこから漏れるか分からない。あの周りを囲む者達の中にフィリアムの上層部と深い関りを持つ輩がいたとして、万が一そこから痕跡を辿られたら彼の存在自体言い逃れできぬモノとなってしまう。


 そうなれば皆に囲われ悦に入っている男の人生は終わり、故に例え過剰と言われようと人目から隠すのは当然と言えた。


「なぜ勇者があのような事をしている。周りで談笑している者共は何だ。なぜ誰も彼の者の行動に異議を申し立てない。あれがおかしいと、そう思わないのはどうしてだ」

「そ、それは当主様の御命令だからで――ッ、ヨシキ様が強くなられるようにと自ら主導なさるおつもりです…」

「馬鹿な、あれでは逆効果ではないか。思考停止してレベルが上がるのは最初だけだ。覚醒を終えた後のレベリングはそれ迄と比べ求められる質や量も遥かに違う。適当に経験を重ねても修正は効かないのだぞ」


 そんな事情を抱えるオルガであったが、今の彼に人目を忍ぶという考えはない。部屋全体を包み込む重い雰囲気が外に漏れ出るのではと本気で危惧する側付きだったが、あまりの恐ろしさに訊かれたことに対する答えしか出なかった。


「レベルが上がった時に得られる恩恵はアビリティの上昇だけではない。能力スキルの習得や習熟度アップもその時にしか行われないのだ。それを強くなるためとはいえ無闇矢鱈と上げていては、成長が止まった時に微妙なステータスで終わるぞ」


 様々なゲームで設定される限界値よろしくこのダリミルにも上限はある。それがレベル100のボーダーであり、これより上のレベルに上がることはない。この法則は特殊保持者だろうが魔物だろうが、果ては湊とアルシェのような発現者だろうと変わりなく、それは正にその者の終着点の一つと言えるだろう。

 ただし、特殊保持者と無能力者では成長スピードにかなりの差があり、前者が戦いに人生の全てを捧げて尚上限に至れない者もいる中で、特殊能力を持たない普通の人間が冒険者などの戦闘稼業に身を置くだけで限界に到達するなんて事もザラにある。尤も、両者では基本的な身体能力からして違うのでレベルを最大まで上げた無能力者より成長途中の特殊保持者の方が強いなんてことも普通に起こるが。


「戦闘を生業とするか否かで認識の差はあるが、勇者を抱える国のトップがそれを知らないでどうする。そして何故周りの兵士は誰も口を挟まない。お前たちの国の勇者が使えない駒になって困るのはこの国――いや、このミロス地方に住む者達だぞッ」


 なので勇者のような特殊保持者にとってレベル上限の解放は何よりも重要だが、だからと言ってオルガの言うようにただ上げれば良いという訳ではない。それがレベル100だろうが例えそれに届かなかろうと、この世界のシステム的に成長の限界という事態は必ず起こりえるのだ。その時にどんなパラメーターをしているかでおおよその優劣が決まる。


 極端な例で言うと、アルシェのステータスは支援超特化型ハイ・サポーターの彼女にとってまさに理想的と言える。攻撃と忍耐面での強化を最小限に抑え、回復や付与など能力発動に必要な霊力値に全て振っているからだ。肝心の防御面も本体は貧弱だが【結界魔法】が強固で、後方支援に伴うデメリットを殆ど為していない。

 スキル構成においても無駄は一切無く、『王女の儀礼』や『聖女の心得』など初めから適した能力が得られる称号スキル含め、その殆どを高い練度に仕上げてある。若干の数不足こそ否めないが、それでも王族という恵まれた環境下での経験が活きたことは間違いない。


(クソッ、こんな事で貴重な勇者を駄目にされて堪るか。彼奴は反対するだろうが私自ら手解きする他あるまい)


 最初の内はただ鍛えるだけでレベルが上がっていく。ある程度まで行くと実践的な経験と成果でしか加算されなくなるが、下地を作っておくことでステータスの更新にも指向性が生まれるのだ。あとはクラスに合った動きをするだけでレベル上昇時に適性項目が伸び、才能と努力量に応じて一人の強者が完成する。


 折角レベル1というまっさらな状態で召喚されたのだ。先ずは適性を見極め、戦闘スタイルを確立するのが先だろう。それによってどのアビリティを伸ばすか決め、目的に合った特訓をすべきだ。魔物を退治する云々はそれを終えてから。こうした過程をきちんと踏むことで獲得できる能力も自分に合ったものが優先的に選ばれる。


 故にその手順を怠った者は勝負の世界から淘汰されていき、無駄に出来ることだけ多い器用貧乏や全てに手を付けようとした半端者もこの世にごまんといる。中には何処かの白銀勇者みたく身体能力含め加速度的に進化するバグみたいな存在もいるが、それはあくまで例外だということを理解してほしい。


「ハァ、こんな所で躓くとはこの先思いやられる。やはり反骨精神旺盛でもあの勇者の方を迎え入れたかったな」


 闘技場に次々と運ばれていく魔物を苦渋の表情で見送り、自分が介入出来ないのもあってか最後にそう愚痴を漏らした。

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