いざ、魔境へ


「あの、それでいよいよ森に入るのですよね。カナエ様は準備の方など如何ですか?」


 それから数分が経ち。未だ熱を帯びたあかが顔から引かないが、時間を浪費したくないからと脱線した話を元に戻す。

 湊が今まで座っていた岩に腰を下ろすと、抱き付いた状態のアルシェを太腿の上に座らせた。


 最初この体勢に意義を申し立てたアルシェだったが、湊が気にしないと言うと形の上では渋々引き下がった。

 彼女にしてみても白地に汚れは目立つし、何より湊に近いという点でこれ以上はない。

 口では何かと理屈を吐くが、いざそれを受け入れようとすると目に見えて残念がるのだ。そういう単純な所も含めて湊は気に入っていた。


「俺は元々荷物と呼べるものが無いからな。それに何か持っていくにしても結界があれば事足りる。そうだろう?」

「は、はい…大きさに関係なくカナエ様が望まれるのでしたら//」


 故に見上げれば息が掛かる位置に顔が来る。それにより頬の熱が発赤すると、逃げるように目線を逸らした。


 湊の言うように異世界に召喚されるという状況で持って来れる物を厳選したりする余裕などなかった。ほぼ身一つで投げ出された彼に、アルシェの【収納結界】が困窮するほどの事態は起こせないだろう。


「なら特に問題ない。精々解体した肉とか山菜を入れる程度だしな。それより優先すべきなのはっ――と、」


 片方の手をアルシェから外し、そこに意識を集中させた。


 そしておもむろに虚空を掴んだかと思えば、何も握られていなかった筈の右手に柄が出現し、続いて鍔、刀身、最後に切っ先と浮かび上がる。


「黎明の双刀」


 湊の呟きに合わせ、刀身をぼんやり覆っていた淡い輝きが弾ける。全貌を表したその得物は、数日前と変わらず硝子細工にも似た透明の存在感を放っていた。

 ただし地球にはない固有能力という概念から成る為、その見た目に反し中々丈夫だが。


 そんな刀を何故今出したのかと疑問に思うアルシェだったが、よくよく観察してみると違和感の正体に行き着く。


「刀身の形状が前と少し違う…?」


 あまり鮮明には記憶してないが、以前見たのより刀身が少しだけ短い。最初は持ち手が前にあるだけかと思ったが、柄頭との幅も短くなっている事からそう予測立てる。


「へぇ、分かるんだ。少し意外だな」

「はい。姉さ……極東の護衛団に相当する方々を武士もののふと云うのですが、その武士が使う得物も刀ですので」


 姉も着物の中に帯刀しているから。そう端的に伝えようとしたところ、口がそれ以上言うことを拒み咄嗟に内容をすり替えた。


(どうして私、今ねえ様を…)


 そしてその事に一番驚いたのがアルシェだ。姉を話題に上げようとした瞬間、心臓に確かな痛みを感じたのだ。


 それが物理的な痛みでないと分かると、疑問は一気に自己嫌悪へと変わる。


(こんなの卑怯…ですよね。現実を受け止められないからってカナエ様に姉様のことを伝えないんだもん)


 湊から姉のことを尋ねられるのが厭で、実はこの数日身内に関しての話題は一切上げてこなかった。

 湊もアルシェが複雑な家庭事情を抱えているのは薄々勘づいており、初日大泣きされた事もあって深くは踏み込まなかった。


 故に自分からは言い出せず、湊の心遣いに甘えてその話をズルズル引き延ばしていた。


「…どうかしたか」

「いえ――カナエ様に出会う前のことを思い出してつい。ちょうど件の極東にあるイザナ藩から帰国する最中でしたので」

「そうか…そうだったな」


 目に見えて気分が落ちた理由を他と挿げ替えるが、嘘を見破れる湊にそれは通じない。

 しかし湊もその事をアルシェに告白しておらず、その負い目もあってか言及は避けた。


 両の瞳をそっと閉じ、気晴らしにアルシェを抱く力を強める。


(カナエ様に隠し事なんて…姉様にも申し訳が立ちません)

(情けない。蓮にだって打ち明けたんだ、何をそんなに躊躇う必要がある)


 アルシェのみならず、湊も自分の内に宿った正体不明の感情に苛立ちを感じていた。


 とは言え――他の有象無象と同列であるかのように騙りたくはないが――誰にだってこういう事はある。

 湊が必要ないと判断したからには別に話す意味もないのだ。蓮の時も唯の気紛れだった訳だし、真実を打ち明けたからといって湊の信頼を損ねることにはならない。


(全然意味分かんないし。てか時間の無駄)


「形状が違うっていうのはその通りだ。これは全体のフォルムをコンパクトに纏め、踏み込んだ時に力負けしないようにしてある」


 両者煮え切らぬ想いを抱えているが、例の如く話の筋とは関係無いため湊がそのまま進行を続ける。


 閉じた時と同じく瞳をそっと開け、視界に挟む対象をアルシェから自身の能力へと移した。



「武具顕現型の能力に共通する特徴は二つ。壊れにくいことと、形を自由に変えられる…だったな」

「はいその通りです。能力を構成するのは魔法と同じく魔力…私達なら霊力に当たりますが、実体を持たず0から1を創り出す故その顕現の幅は使用者の想像力に依存します」



 想像と創造。イメージによって形を作り出し、その能力に備わっている「特性」をメインに様々な事象を展開する。それが特殊能力であり、その強化版たる固有能力も同じ仕組みだ。

 そして無から創造している以上、霊力が尽きぬ限りはいつ何処であろうと戦闘を行えるのがこの系統の強みである。


 湊なら【黎明の双刀】、アルシェであれば【結界魔法】がこれに該当する。


「多少異なる所はあるが、魔法を生み出すのに似ているな。あれも明確なイメージがないと発現しないし、維持するのが面倒だったりするが」


 湊の言うようにこれ等能力は発動してそれで終わり…とは残念ながらならない。


 魔法が常に操作を必要とするように、武具の顕現にも相当な維持操作が求められる。スイッチみたく押して完了という訳にもいかないのだ。


「とは言え俺にしてみれば然して難しくもない。問題なのは『俺に適した形が無い』ということ」


 完全記憶の才能を持つ湊は、能力発現の度に一々想像力を働かせたりしない。

 一度の経験や事象を寸分違わす記憶し、そっくりそのまま再現するこの力。数回の発現で最早考える必要性を無くし、息を吐くような単純さに簡略化されつつあった。


「これまで武の心得いろはになんて触れてこなかったし、当然自分に合った戦い方とかも知らない。だから反りが深いとどうだの、切っ先が重いから何だのと考えないことにした」


 そう言って手に持った刀を見やすいように掲げ、続きの言葉を紡ぐ。



「武器の形状はその時々で変える。丁度刀も二本有るわけだし、剣戟の最中使い分けるのが俺に適している」

「打ち合い中に、ですか…。お言葉ですが形を変えると言っても普通は一つや二つ。それも十分に間を置いてからの交換が基本で、達人の域にもなればその隙が命取りにも――」

「良いんだよ。その普通や基本が俺にとっては最底辺だから」



 イメージが固まらない状態で武具を創造なんかしても酷く脆い。が、だからと言って固定観念に縛られた戦い方は逆に自分を弱くする。

 どうせ適当に振っていく内に他を凌駕するのだから、一つの形に拘る方が愚策というもの。


「まあでもアルシェの結界はあの形が最適か。無駄に正十二面体とかにする必要がないし」

「そうですね。場所によって小さくしたり丸くしたりはしますが、やはりイメージしやすいという理由であの形がしっくり来ます」


 逆に【結界魔法】のような、そもそも武器として機能しないのはシンプルな物ほど良い。余計な手間が省け、結界の維持に然程意識を割かないからだ。


「成程、同じ系統の能力でも違う役割がある訳か」

「ところでカナエ様は他の神器も同様に使い分けるのですか? 恐れながら申しますと、例えば槍と刀では形状を変化させることの意味合いが大きく違ってきますよ」


 湊の取り換え戦法には不承納得したものの、刀以外の交換については再度疑問に呈す。

 と言うのも、峰や厚みといった微妙な変化しかない刀と違い、剣や槍はその根本から異なるからだ。


 大剣グレート片手剣ロング細剣レイピア片手半剣バスター櫛歯剣ブレイカー…etc.


 刀にも長短による相違はあれど、基本用途が同じな前者と異なり大概の武器はその分岐部分からして全くの別物となる。


〝刀がちがえば持ち手が変わる。槍をたがえば使い手が変わる〟


 極東にてそんな言葉が浸透するほど常識と化したそれは、喩えここミロスでも武に携わる者としては当たり前の認識だった。

 それは修練を遠くから見ていたアルシェでも知っており、ある意味で湊の知識不足を露呈する事にもなり兼ねない。


「まさか、出来ない事もないけど効率が悪い。刃先を変えるなら未だしも大元から変えるつもりは無いよ」


 しかしそこは湊と言ったところ。リスクとリターンを天秤に掛け、その可能性を即座に排除した。


「大体森を抜ける時はアルシェを腕に乗せるだろ。そんな状態で小まめに武器交換なんかしないさ」

「あうう…申し訳ありません」


 初日と同じく荷物になっている所を想像したのか、アルシェの顔が僅かばかり曇る。


「あまり気にするな。それに条件が厳しくなったお陰で槍のスタンダードが決まったんだし結果オーライだ」

「槍の…スタンダード?」

「あぁ」


 右に掲げていた一刀を消し、霧散した霊力も掻き集めて新たに神器を発現する。


 塵々になった霊子が無機質な熱を伴って掌に集約し、その様相をぼんやり滲ませながら光が実体化していく。


「何度も言うようだが俺に苦手な形はない。有害無益の劣悪品ナマクラだろうと性能の良否に関係なく実力を発揮し、圧倒する。それが俺だ。だから一つの武器でチマチマ戦うのは面倒…もとい非効率でな。単純に数を揃えるか機能の多い物とで使い分けることにした」


 ただ壊れにくいというだけの神器で覚醒者と互角に渡り合った湊だ。「特性」を使えばそれすら出し抜く事が出来るが、殺し合いの最中に武器が合わなかったでは話にもならないだろう。


「刀は後者。用途に応じて質量や切れ味を変え、常に最適と最短を意識した戦い方だ。それで槍は…」


 一度虚空を掴んだ要領で再度柄を握った。本物と遜色ない――と言っても実物を知らないが――感触を肌で確かめ、掛かる指先に僅かに力を強めた。


「記憶を掘り返していたら元いた世界に丁度良いのが有ったのを思い出した。一つの形状で斬る突く薙ぐ叩く払うといった用法全てを可能にし、実際に使われたこともある武器をな」

「全てを可能に…それは一体――」


 アルシェの疑問を途中で遮り、半身が見えたところで一気に引き抜く。


 オルガの腕を斬り飛ばしたそれは、その時より一回りも大きく形を成しその危険性を知るアルシェをしても硝子細工かと疑わせる外面の脆さを装おっていた。


「黎明の槍」


 重心が前に偏った凶器をいとも容易く回転させ、それが手に馴染むまでの刹那の時を待った。




………

……




 それから数時間後。森を抜けるための準備がいよいよ終わりに差し掛かり、最後に二人拠点地の整理を行っていた。



「収納しておく物は今ので最後ですか? 作り置きのハーブと鶏肉のソテーが無いような…」

「あぁそれなら昨日食った。小腹が空いたんで夜中に少しな」

「カナエ様、夜食は控えるようにと昨日にも…!」

「良いだろ俺が作ったんだし。嫌なら仕舞っておくか自分で飯作って俺に要求通す位しないと」



 料理の主導権を握られている事実を突き付け、アルシェの反論を右から左へと流す。



「そ、それは勿論。カナエ様に色々教わっていますから本当なら直ぐにでも」

「料理を作れるようになりたいって言うから協力してるし、腕は悪くないからその内幾つかは任せようと思ってる。そしたらアルシェのお小言も多少は聞いてやるよ」

「ほ、本当ですか? カナエ様にそう言って戴けるのでしたら…」



 湊に褒められたことで舞い上がる。折角の注意をお小言で片付けられたのは不服だが、それ以上に嬉しさで心が弾む。


(私ってやっぱり単純なのかな)


 そんな自分を客観的に見つめ直し、何とも曖昧な評価を下した。


「さっ、雑談もこの辺で止めておくか。太陽が出ている内に出発しないと方向が分からなくなる」


 天候は晴れ時々曇り。二人とも決して方向音痴の類いではないが、右も左も分からぬ森の奥地では勘も働かない。

 況してや魑魅魍魎が跋扈している魔境でタイミングを誤れば、最悪それが死へと繋がりかねない。


「ほらアルシェもっとこっちに寄れ。腰に腕が回らない」

「は、はい」


 静々しずしずと歩み寄る乙女心を尻目に、湊は一切の遠慮なくお姫様の軆に手を付けた。


(ま、またっ…近いです~~//)


 だいぶ慣れたとは言え、元が男に免疫のない無垢な乙女だ。恋心を抱いている相手に抱き上げられている状況は、多分この先相当な経験を積まないと慣れないだろう。しかも――


「アルシェ、胸当たってる。前見えないんだけど」

「ッ――申し訳ありません!!? すぐに直しますから!!」


 湊より骨盤の位置が高くなったことで、主張の激しい双丘が視界を塞ぐ。丁度谷間に湊の頭が来る体勢となり、羞恥と混乱で声が上擦った。


さかるのは仕方ないけど時と場所は弁えような。今ここで押し倒しても俺は悪くないから」

「盛ってなどいません! もう何度目ですが私はそんなふしだらな女ではありませんから!?」


 いい加減慣れてきたこのやり取りにも、聖女姫様はしっかり応える。自分の尊厳に関わる事だし、何より湊の口から淫乱だと騙られるのが酷く恥ずかしかった。


「はいはい。そんな事より何時でも戦える準備をしとけよ。片腕が塞がっている分頼りにするかも知れないんだし」

「そ、そんな事…」


 自分の恥態をそんな事で片付けられ、見るからに肩を落として残念がる。それすら彼の嗜虐心を燻るが、湊も今度は口を挟むことはなく様子を見守った。


 このワガママボディは後でじっくり堪能するとして、それとは別に気掛かりな事があるのだ。


(十、二十、四十……全部で52体か。これほどまでに狙われる理由は何だ。料理が目当て…なんて事はないか)


 湊が安全地帯セーフティゾーンと名付けた拠点周辺。その外には二人が出てくるのを今か今かと待ち望む魔物達で溢れていた。

 此処を拠点にしてから今日までその数は徐々に増えていき、周囲を囲むまでの拡がりを見せている。


 今のところ侵入したのは鶏蛇合獣種コカトリスの一体のみだが、これ以上待っても事態が好転しないと読んだ湊が強行突破に踏み切るのもある意味当然と言えた。


(チッ、面倒だな。弱肉強食なんて原始的環境に身を置いているから危機察知能力だけはマトモと思ったが…所詮は獣。期待するだけ無駄か)


 ステータス表記では膂力、魔力量、生命力…その全てにおいて森の魔物達の方が上。それでも生存本能がまともに働いていれば湊を襲うなんて愚行はしない筈である。

 つまりは生きていく上で根本的な部分が欠けているということになり、そんな身の程を弁えぬ害獣如きに時間を浪費するのは我慢ならない…というのが湊の考えだ。なので――


「魔物と接触しても基本戦わない方向で行く。どうしても相手しないと行けないのだけ狩るが、それ以外は全て無視だ。迎撃に関しても俺から指示を出す。それで善いな」

「はい。異存はありません」


 素直に肯首し、己が意見と相違無いことを伝える。


 湊は相手にするのが面倒だから。それに対しリスクを冒すような行動を控えたいのがアルシェの考えだった。

 危機意識に差のある二人だったが、そこはアルシェも指摘せずほっと胸を撫で下ろした。



「先ずはこの包囲網を抜ける。しっかり掴まってろ!」


 そうして勇者カナエ聖女アルシェ、二人の初冒険は魔境の脱出から始まるのであった。

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