白纏う銀の乙女


「ん…」


 意識が浮上する。朝目が覚めた時のような寝惚けではないが、直前まで追体験していた記憶との差に一瞬だけ脳の処理が遅れる。

 湊からすれば夜中死闘を繰り広げていたのが、いきなり昼へと時間が跳んだのだ。自身の存在を肉体と同期させるのに、どうしてもラグが発生する。


 記憶世界から現実へと戻った湊。閉じていた瞼を上げ、直ぐ様周囲の確認へと入った。


(十七…いや十八分か。案外長く居たな)


いとまの記憶』にダイブしてから現在に至るまでの経緯を思い起こし、その際敵が接近するなどの事態に無かったかを探る。

 途中時間を止めたりしたため実際の経過時間と多少のズレが生じていたが、それ以外で特に異常はみられなかった。


(ん?)


「気高き王国の騎士、並びに誉れ高きフィリアムの魔導師達。此度の皆様のご活躍と尊い犠牲により、一つの――いえ、二つの命が現世に留まる事を許されました」


 ただ、鋭すぎる耳が湊と別れた後のアルシェの言葉も一緒に拾っていた。その際葬儀を執り行う様子を感じ取り、それで何となしに記憶を辿る。


「本日はその功績を讃え、我が神の教えに則りセレェル教27の司教が内の一人、第12位聖女アルシェ=フィリアムが謝意を以て挨拶を務めさせて戴きます」


 湊にへりくだる時の慇懃な言葉遣いとは異なり、何処か威厳に満ちた様子で誰もいない空間へと言葉を投げ掛ける。


(王国の兵…俺と出会う前の事か。黒フードの奴とあの靄…アーティファクトだったか? あれにヤられたそうだがそこそこ優秀だったみたいだな)


 アルシェとの会話を思い返し、そんな事を思う。


 その後も恙無くアルシェの進行は続いたが、参加者が一人ということを除けば然して違和感もない。

途中涙ぐむ所があり、それでも言葉を繋げたのは少々…というか普通に意外だった。


「へぇ、案外逞しいじゃん。もっと泣き崩れるかと思ったのに」


 この数日で相手の全てを理解することは難しい。

ただ此方の顔色を窺ったりする様子から、何処か頼りない印象をアルシェに抱いていたのも事実だ。それが覆るとまでは言わないが見事に外れ、そのギャップに舌を巻く。


(あれでも歴とした王女だもんな。如何にも世間知らずなお姫様って感じが抜けないど、公務も行ってるみたいだし。それでもって聖女か…まぁ俺に見劣りしないし良いけど)


 俺のパートナーを目指しているのだ。それくらい覚悟が有って当然か。


「とか言いつつ、俺が母さんを亡くした時はどんな感じだったか」


 葬式の席で涙こそ流さなかったが、深く絶望したのは覚えてる。ただあの頃は完全記憶もまだ無かったので、それ以外の事については曖昧だ。単に周りへの興味が無かっただけだろうけど。


(母さん…)


 何処か遠くを見つめ、過去の思い出に耽る。

今以上に外界との交流を断っていたが、それでも色褪せない記憶として湊の中に残り続けていた。喩え世界に二人だけで、他が居なくなったとしても構わなかったし、成長した今でもそれを否定しようとは思わない。


 詰まる所、気を遣う相手が増えただけで湊の本質はまったく変わっていないのだ。


「……カナエ様?」

「ッ――、」


 そうして気付けば数分が経過していた。


 湊の意識を戻したのは、全く予期せぬ所からの声。完全に不意を突かれる形での覚醒となり、その際肩が少し跳ねる。

 そして違和感を持たれぬ速さでく振り返ると、瞳に動揺を浮かべたアルシェと目があった。


(チッ、またやった。記憶を辿るばかりで今のアルシェを認識対象に戻してなかったな)


 召喚の日と合わせ度重なる不覚。つい何時もの癖で感覚情報を無視していたが、お陰でアルシェに声を掛けられるまで接近に気付かなかった。そうした気の緩みが彼女の不安を煽るのだ。


(最近平和だったからって気を緩め過ぎだ。蓮と一緒の時は上手くやっていただけに、調子狂う)


 心の内で己を叱責する。こうなってしまっては致し方無い。直ぐ様気持ちを切り替え、まるで何事も無かったかのように会話を展開する。


「無事に戻ったな。用事はもう済んだか?」

「は、はい。聖女として十分な務めを果たせたと思います。我が儘を聞いて下さり、ありがとうございました」


 深々と頭を下げ、最初に感謝の意を伝えた。


「条件付きで、だけどな。何事もなく終えられたのはアルシェに能力があったからだ。魔物が来ないとは言え、万が一を想定し早めに済ませたのは偉かったな」


 モタモタしてたらそれこそ魔物に襲われたかもしれない。それを回避できたのは間違いなく、アルシェ自身の功績だ。


「それと、良い唄と舞だった。まるで澄み渡るような、それでいて力強い壮大さを見事に表現していたな」

「え…あ、ご覧になられていたのですか?」

「あぁ…少しな」


 見ていたと言うか、今正に記憶を掘り返している最中だ。これまた普段の彼女とは結び付かない大胆な動きであるが、湊をして興味を引く完成度なのは間違いない。


「アルシェが良いなら他にも色々見てみたいんだが、その時は大丈夫か?」

「は、はい是非! カナエ様に観て戴けるのでしたら恐悦至極にございます」

「そう。なら暇な時に頼んでみるとするか」


 そう言って話を締め括る。然り気無く会話を誘導したが、先程の様子をアルシェが問うことは無かった。

 恐らく彼女も気付いた上で敢えてその話を避けたのだろう。湊の意図を汲み、余計な詮索はしない。それが聖女であり王女という立場のアルシェが出した結論であり、彼女が踏み込めない事を半ば確信して用意した湊の逃げ道である。


(何とも情けない始末だが今はコレで良い。後回しになるが今行うべき事じゃあない)


 そう自分に言い訳して、心のモヤモヤに区切りをつける。



「それで森を抜ける方の準備は…出来たようだな」

「はい。カナエ様のご負担になるのは心苦しいですが、私なりに精一杯サポートを務めますので」


 視線を下に滑らせ、それが事実であることを確認する。


 今のアルシェはこれ迄のドレスから格好を変え、純白の法衣に身を包んでいた。

 ワンピースに似た上下一体の作りに、ケープコートのような物を羽織っている。生地は厚めに設計されており、スカート丈に関しても以前と然程変わり無い。しかしながら裾幅が短い上にスリットも入っておらず、下手したら前のドレスより動きにくいのではないか。ウィンプル等は巻いておらず、本体と同じ最高級のシルクで編まれたベールを頭に被せていた。


(聖女はあくまでも後方支援。危ない所は勇者に任せ、自分達は体裁を飾る…ってか。別にアルシェを前に出す気はないが、少し気にくわない)


 当の本人にその自覚は無いだろうが、湊なりに法衣の意図を読み解き思案する。


(愚かだな。大体勇者が前衛向きでなかったらどうしてたんだか。注目を浴びるって点ではこの上ないけど)


 実際アルシェが人前に出れば数多の視線が彼女の方へと向き、それと同時に聖女という存在を広く人々に知らしめるだろう。それ程までに今のアルシェは聖職者という言葉を体現し、神々しくあった。


 元々露出の少ない方であったが、違う意味で魅せる目的のドレスと異なり肩や鎖骨ラインまでもが服に覆われている。その天上の乙女が如き穢れない白を基調とした様相は、本来であれば見た者に無垢な印象を植え付けるだろう。


(ま、その関心の半分は意図しない形になるだろうな)


 しかし15という年齢を軽く超越したプロポーションが、その認識をいとも容易く塗り替える。それだけが制作側にとっての誤算だろう。


 それというのも、アルシェの大きく膨らんだ胸が法衣を強く押し上げていた。体型を目立たなくする類いの工夫は二つの双丘を前に形無くし、しかもそれ以外の部分はしっかり収まっているのだ。そのため余計に胸の起伏が強調される事となり、常なら意識を強く保たないとそこに視線を持って行かれてしまう。

 素材の良さを生かし注目を浴びる筈が、別の素材の介入により違った視点で関心を得るのだ。神に選ばれし聖職者が信仰心よりも性的な眼で見られるのは色々不都合だろう。


 と、そこまで観察した湊がある事に気付く。


「その法衣の刺繍、白銀しろがねか。女神かウラネスを意識してのものだな」

「分かりますか? 実はお父様に頼んで特別に仕立ててもらったんです。教会からは畏れ多いと反対されたのですが、聖下が後押しして下さいました」


 よく見れば後ろの方にも銀が配色されている。元が近い輝きを放つため気付くのに遅れたが、明らかに基本の白では出せない艶美さが衣装から醸し出ていた。加えてそれ以外に色を持つのがベールから僅かに零れる金髪と翡翠の瞳という徹底ぶりで、その潔白さこそが聖女の証という事なのだろう。


 ちなみに聖下とはセレェル教の中で最も権威を持つ者を指す。その力は一国の王に並ぶとも言われ、今代の聖下は穏健派を纏め上げる柱のような役割も担っていた。


「私がこの法衣を身に纏っている間は、どのような穢れも祓って見せます。そう聖女になる時に誓いました。如何なる魔や邪な心を向けられようとも、この身と心だけは守り抜く。それが女神様から聖女の称号を賜った私の――私自身に掛けた使命だから」


 白は『献身』、銀が『孤高』といった絶対的な存在に比喩される。近しいようで相反する関係の二つは、そのまま両立が難しいことで知られていた。

 崇拝する二柱の色を借りるとはそういう事だ。

この世で最も高潔たれと教えられ、誰よりも正道を望まれる。その上でまた自らに誓いを立て精進する様は、非力な王女のソレではなかった。


「どんな絶望に襲われようと、私を求めてくれる方がいる限り抗い続ける。迷宮攻略という半ば夢物語と化した使命を全うするためには、勇者様に尽くすだけでは充分足り得ない」


 だから、と芯のある言葉で最後の台詞を紡いだ。


「直接闘えずとも、私は私のやり方で高みを目指します。カナエ様に置いて行かれぬよう精進を重ね、その上でこの身を捧げたく存じます。それが私の――白(救済)と銀(誇り)にかける想いです」


 何処までも公平に、誰よりも高みへ目指す。一度全てを諦めてしまった自分を戒める為にも、もう一度誇りを胸に再起を図ろうとした。


「そうか、成程な」

「あッ…、でもカナエ様には迷惑な話でしたよね。申し訳ございませんッ、ご不快なようでしたら今すぐ脱ぎますから!?」


 しかし湊の一言で自分が熱くなっていた事に気付く。


 この数日で湊が自分の髪に誇りを持っている事は知っていた。もしやそれと同じ色の法衣が彼の不興を買ったのではと思い、慌てて身なりを取り繕おうとする。が、それが余計に事態を悪化させていると本人だけが気付かない。

 焦ってその場で着替えようとするが、それを面白がった湊に眼の色を変えて茶化された。


「おいおい誇りはどうした。俺の色を拝借するってんならもっと堂々としろよ。それとも単に自分の軆を見せつけたいだけか? なら早くしろと俺は言う」

「へ――?」


 湊の言葉により停止。そして…


「~~~ッ///」


 一瞬にして羞恥心がピークに達する。服に掛けていた手を慌てて退かし、顔の熱を沸騰させたまま弁明を図った。


「ち、違ッ…これは違くてですね! その、事故というか…」

「いいよ何も違わないから。脱ぐと結構ノリノリなことも知ってるし」

「誤解を招くようなこと仰らないで下さい! あれは仕方無くというか…」


 言っていて反論が見つからないのか、後に続く言葉ほど尻窄みする。両腕で胸を守るように隠し、その視線も徐々に下がっていった。


「そもそも、あれはカナエ様が求めて来るからではないですか。私はそれに応えただけでッ、」

「ハッ、俺に口答えする気か? アルシェの癖に生意気」

「今の私は誇りを持っています。カナエ様の妄言とて軽く去なしましょう」

「そうか? でも誇りを持っている人間は人前で脱ごうとしないけどな」

「それはッ、だからカナエ様のせい、で…」


 毎晩あんな、抵抗感とか薄れてしまいますし……等と譫言のように呟くが、その身悶えしそう声すら湊の耳を甘美に刺激する。


「因みに俺は聖女が少しばかり変態でも気にしないから」

「ッ~~~、もう!」


 既に可哀想なほど顔が熟れ、とうとう我慢しきれなくなったアルシェが身体ごと湊の胸に顔を埋める。

 接地面積が一部分に偏るが、その事実を孕んででも湊に今の顔を見せたくなかった。


「アルシェ、顔を上げて」


 それが分かっていながら最後の仕上げとばかりに追い討ちをかけてくる鬼畜。優しく髪を撫で、赤子をあやすような声で優しくない言葉を投げ掛ける。


「み、見ないで下さいまし」

「この場合顔を上げろって命令は有効か?」

「見ない、で。お願いします…」


 袖をぐっと掴み、せめてもの抵抗を現示する。


 その反応に気を良くしたのか、それ以上の追求は無しに暫しアルシェを慰める時間が続いた。彼女の背中に手を回し、反対の腕で丁寧に頭を包み込む。


 それはまさしく二人が初めて身を寄せた時のような光景だった。出会って間もない両者が、互いに温もりを求め感じ合う。奥手な姫様が恥の情を振り切ってでも抱く淡い恋慕は、そんな独特の雰囲気を醸し出していた。


「カナエ様ぁ…」


 しかし俯いた状態だったために、アルシェは気付かなかった。


 聖女を見る勇者の視線。湊の淡青色ライトブルーの瞳が妖しく光り、その口元に切れ長の笑みを浮かべていたのを。


「クスクス」


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