湊の才能
振り下ろされた凶刃が鼻先を掠め、切れた組織の内側からツプリと血が垂れる。少し腫れたかと見紛うほど僅かな量だったが、当の本人にとって流れる血よりも攻撃を受けたという事実に憤りを覚えた。
本当なら今直ぐにでも拭いたいが、追撃を受けては断念する他ない。最小限の動きでバックステップを踏み、剣の軌道が過ぎたタイミングで反撃に出る。
「ッ――、」
「むっ…」
しかし悲しいかな。青年と男には決して
「届かないか…ッ」
「よくもまあ、それだけ動ける」
しかしこれは彼自身の問題というよりも、今回の場合状況が最悪だった。
ステータス至上主義のダリミルでレベル一桁の者に出来る事など高が知れてる。突然この世界に放り込まれた彼の力は其処らの農夫と同じかそれ以下だ。
おまけに青年の身体には幾つもの孔がある。無論普通の人間に孔など或る筈もないし、彼の体質が異常なんて事もない。つまりは現在進行形で打ち合っている目の前の男に開けられた傷が、ろくに手当てもしてない状態で放置されていた。
寧ろこれだけのハンデを負いながら普通に戦える方が異常なのだ。凡人が此処に放り込まれても許しを請うか蹂躙されるしかない。
せめてあと三日。召喚から戦闘までに三日の猶予が有れば状況は違っただろう。本当に三日有れば……
「このッ…!」
左手に持つ刀を巧みに操り、構えを取られるより前に得物を叩く。相手が幾ら強かろうと、腰より上に剣が来ないならやりようもある。攻撃は右の一刀でと決めてあるが、其方は逆に相手に牽制され中々攻め機に恵まれない。
そのまま暫く均衡が続いた後、今度は相手の方から仕掛けてきた。忍耐強く隙を窺っていた青年の動きを逆に利用し、リスク覚悟で腕を掴もうとしたのだ。それに青年も焦ることなく対処にあたる。得物を逆手へと持ち変えて、両者の間に刃が挟み込む形を取った。
「ッ――、」
普通なら負傷を嫌って手を引く場面であり、その怯んだ一瞬の隙を突いて反撃に出ようとしたが――
「な…ッ!?」
「驚いている暇はない。やっと捕まえたぞ」
なんと男は傷が付くことも厭わず、そのまま腕を伸ばしてきたのだ。自分に向けられた刃もろとも青年の腕を掴み、自分の血で相手の袖が滲むのを見ても反応の一つすら示さない。
しかしこの状況、分が悪いのは青年の方である。埋まらぬ身体能力の差を機動力と独特の歩法で補ってきたが、動きに制限が掛かればフィジカルが物を言う。当然力で敵う筈もなく、敵の手を振り解くことすら儘ならない。
「離せ、劣等種がァ!」
身体ごと回転し腕を捻ろうとするが、それすら大した意味を為さない。人体の構造的に不可能な方向へ腕を持っていこうにも、膂力の差で押しきられてしまうのだ。
そのまま収え込まれていた剣を青年の太腿に突き立て、また一つ大きな孔を開けられた青年は歯を食いしばり必死に痛みを耐えると――
「この場面だな」
故に反省を踏まえ、
(この後に俺は左手の刀で奴の心臓を狙った。が、後ろに退かれて服の生地を裂いただけに終わるんだよな。この行動が間違っていたとは思わない。問題なのはその前――奴が腕を引っ込めるという前提で動いたこと。あの場面で負傷を躊躇うかどうかは人それぞれだ。実際この判断で奴は手に傷を、代わりに俺は脚をヤられた。負った傷の具合からして割に合わない)
利き手なら兎も角、そうでないなら確かに割に合わないだろう。あの一瞬で咄嗟に判断を下せただけでも凄いと思うが、本人は納得してないらしい。
不機嫌そうに鼻を鳴らすと、視線を止まっている二人から外し周囲を見回した。
「あぁ、あの日は満月だったか。道理で明るいと思った。せめて完全な暗闇なら俺にも勝機は有ったんだが……なんて、言い訳しても始まらないか」
ここは湊が作り出した過去の世界。正確には『五感で記憶している情報を寸分違わず思い起こし、立体的に組み上げた過去の出来事に身を投じている』状態だ。
「月は嫌いじゃないが、タイミングが悪かったな」
そう言ってまたも嘆息する。
天宮湊は有史始まって以来の天才だ。それは別に誇張でも何でもなく、ただ純然たる事実を騙っているに過ぎない。――尤も本人は天才などという蔑称を嫌い、専ら鬼才と呼ぶのに拘っているが――
人の上に立つのを煩わしいと一蹴しながらも、その素質は歴史に名を馳せたどんな偉人にも勝る。幾ら他者を排し距離を取ったところで、世間が彼を巻き込むのだ。まるで太陽の周りを公転する惑星のように、本人の意思とは関係なく物語が進んで行く。
「さて、それじゃあ再開するか」
そう言って彼以外制止していた全ての時間が動き出す。
*
湊を天才たらしめる要因の一つに、その異質とも謂うべき記憶力がある。
湊は一度見たもの、聞いたこと、手足に触れた感触や舌で味わった物などそれら全てを脳裏に入れることが出来る。実際に得た情報を寸分違わず身体が覚え、この異常な記憶力を獲得してからと言うもの湊は一日一時間、1分1秒すら忘れたことがない。
通常、人が何かを思い出す時には記銘・保持・想起の3つのプロセスを踏む必要がある。
記銘は情報を覚え込むこと。一度得た経験ないし体験を頭の中に刷り込んでいき、それが鮮明化するまでの過程を指す。そうして符号化された情報を思い起こす行為を想起と呼ぶが、この記銘から想起の間の保持期間中に一部情報が抜けることで物忘れを誘発する。
しかし他の誰もがこのプロセスを踏んでいく中で、彼だけはこれに該当しない。湊は全人類共通にして普遍である筈の機能の内、『記銘する力が致命的に欠けていた』
欠けると云っても不利に働いてる訳ではなく、むしろ必要無いと言った方が正しいか。
彼にとって記憶とは覚えるものではない。それは意識せずとも入ってくる、謂わば酸素のようなものだ。呼吸するのと等しく当たり前に行われ、多少障害がある程度では決して損なわれたりしない。
それは謂わば『記憶のプロセスを辿らずに全てを記憶する』ことと等しい。
記憶力が良いだとか、最早そういった次元の話ではない。普通の人が写真で記憶するような過去の光景を、湊だけがビデオカメラで保存し何時でも映像として閲覧可能な状態にあるのだから。
だから湊は覚えるという感覚を知らない。それを記憶するかどうかは別にして、必要とあらば望む記憶だけを見ることが出来る。
これが世に言う瞬間記憶能力…などとそんな
「くッそ…!」
再び時を刻み始めた記憶の中の戦闘。攻撃が不発に終わり悪態を吐くと、更にギアを上げ近くの木を重力を無視したかの如く垂直に駆け上がり始めた。全身から血が吹き出し尋常でない痛み信号が発せられようと、この時の湊には敵を屠る事しか頭に無かった。
「最早何でも有りか。これだけやって動きのキレが増す理由が分からん」
高所を位置取った湊はそこから男に向けて跳躍した。位置エネルギーからの運動エネルギーが加わった一撃はそれこそ即滅の威力だったが、それすらオルガは平然と受け止める。
一瞬の鍔迫り合いの後、今度はオルガから横蹴りが放たれる。が、両脚を浮かせた湊がそれに上手く乗ると共に衝撃を利用して宙高く舞い上がった。脚のバネで蹴りの威力を相殺したばかりか、次の動作の機転に繋げたのだ。
再び高所へと位置付ける。しかし今度は木々を見下げるほどの高さに達し、その無茶苦茶過ぎる戦い方に呆れを滲ませつつも男は嗤う。
「来い。次は何を見せてくれる?」
湊が空中でありながら自由に身を翻す。それは
「ハッ、そんなに見たいかよ。ならこの一撃をくれてやるッ、受け取りやがれ!」
そう言って右の一刀を前方に放り出す。持ち主の手から離れた透明な刀は空中を浮遊し、しかし直後切っ先を下にして凄まじい勢いで落下してきた。
*
湊の二つ目の才能。それは記憶力なんかよりもっと単純で、ある意味最も才能が才能としてみられるもの。
乃ち圧倒的な運動
初めて触れた武器で強者と互角の闘いを演じ、尚且つ相手の攻撃を足場にして空中戦を継続できる意味不明な芸当の数々。
どれも只人にしてみれば荒唐無稽過ぎる話だが、湊にとっては酷く当たり前。むしろ出来ない方が可笑しい。その相互間の認識のズレが元いた世界で軋轢を生み、湊が他者を見下すきっかけにもなったのだが。
そして本来歯が立たない筈の相手に湊が喰い下がれている
武の心得が皆無である湊から無駄を無くすことはハッキリ言って難しい。才能が有っても知識がない。現在進行形で動きにキレが増し無駄を省いているが、それでも完璧とは程遠い。喩えオルガの動きを真似たとして、抑々の条件が違うので出来ても表面的にしか伸びないからだ。
ではどうするか。
そう訊かれた時に湊が出す答えは一つ。要は相手の力に負けないだけの戦いをすれば良いのだと。
己の身体スペックを完全に把握・引き出し、その時々で百パーセントの動きをする。その上で相手の力を利用し、常に思考の裏から致命的な一撃を食らわせる。
湊もこの世界に来て、レベルアップとアルシェの支援で元の肉体とは比較にならないほどの性能を秘めている。喩えオルガに及ばずとも、奴を斃せるだけの力はある。
ならば遠慮は要らないと、湊は自身の才能を『半分だけ』解放した。
「あれは…ッ」
男は見た。刀を投げ出したと同時に湊が空中で一回転し、落下の勢いと合わせて生み出された力を刀の柄頭に――踵でぶち当てたのを。
踵落とし。一般に広く知られるその技をこの場面で…足場のない空中で、しかも本来飛び道具として機能しない筈の得物を飛ばす為に。
(あれは…
恐らく周りへの被害など一切考慮してないだろう攻撃は地形破壊ほどの威力を秘めている。これを避けたら第2波の衝撃が辺りに拡散され、オルガはまだしも傍でこの戦いに介入しようとしている聖女姫は無事では済まないだろう。
故に避けることはせず迎撃の構えをとった。
「はあぁッ――!」
剣に莫大な魔力を注ぎ込み、それが可視化するまで溜めを作る。属性魔法を介さない放出攻撃は変換効率に優れているが、流石にここまでとなると普通は魔力欠乏を起こす。それでも平然とした様子から察するに、男が覚醒者の中でも上位に位置することが窺える。
そして刀の形を模した破壊の彗星がその脅威を振り撒く直前、両者が激突した。
ズゴ――ッァ!
そんな彼が見つめる先――両者の鬩ぎ合いは一瞬の拮抗こそ見せたものの、徐々に黎明の刀が押し戻されつつある。
(ダリミルに来る前でも家屋の一つや二つ壊せる程度の威力で撃ったんだけどな…それを防ぐって事は相当なバックアップを受けている筈だ)
男は間違いなく覚醒者だ。魔法やスキルさえ見せなかったが、その身体能力は人間をとうに辞めている。こんな奴を量産できる世界のシステムに、湊が何とも言えぬ表情をして呟いた。
「只の人間が俺を凌ぐか。本当に、そんなこと、どうして……考えた事もなかった」
彼にしては珍しく裏のない吐き言だ。それだけあの時は衝撃が強かったが、日が経ち負の感情を反芻していく中で本当に必要な物だけを取り込んでいった。
そうしてあの夜を見つめ直し、それがどのような変化を遂げるかは自分次第である。
「……」
湊が口を閉ざしても、記憶の停止に踏み出さない限り戦況は進んでゆく。故に今まさに所有者の手にない硝子の一刀は、彼が言うところの凡人に弾き返されようとしていた。
だがそこに、更なる追い討ちがかけられる。
「そのまま潰れてしまえぇッ!」
上で攻撃を放った過去の湊が、なんと空中を蹴って自身で送り出した刀に追い付いたのだ。追撃して最大の威力を見舞いたい湊はそれを引き出すのに必要な角度、時間を瞬時に頭の中で思い浮かべ、それらを自らの才能を使って無理矢理に実行した。
「ぐッ!?」
黎明の軌跡とは若干異なる軌道で降った湊は、身体を横に捻り今度は月状骨の辺りで刀に回し蹴りを叩き込んだ。
これだけやっても魔力で形成された神器には傷一つ付かない。その代わり最初の一撃で衝撃を逃がす役割を担っていた地盤は文字通り崩壊し、余りの負荷に立っていた大地が暴発する。
「貴様正気か!? このまま規模が拡がればアルシェ姫にも――」
「ハッ、考えが浅いんだよ! それくらい俺が対処出来ないとでも思ってんのか。如何にも出来の悪い愚物が考えそうな事だ!」
此処にきて声を荒げるオルガを、湊は一笑に付す。
「良いから潰れろよ! 闘うしか能のない粗悪品がッ、俺を煩わせるな跡形もなく死ね!」
「口が悪いな。それが貴様の本性か。こんなに才能に恵まれて、大方人を人とも見ていないのだろう」
だが、と言葉を紡ぐとフードの下から見える口角が目に見えて歪んだ。
「それくらい傲慢である方が良い。いざ使うとなった時に尻込みするようでは期待外れだからな」
「ッ――」
会話の傍らで、一連の押し合いはやはり襲撃者に軍配が上がった。
湊の才能を以てしても地力の差で押し切られ、同じ流れに至らぬよう上ではなく横に弾き飛ばされた。手の届かない所から攻撃される恐れがある為、上域を取られる事に警戒を強めているのだ。
「……使う? 使う、だと…この俺をッ」
当然のように着地をきめる湊だったが、男の挑発に全身を震わせた。刀を握る手には力が入り、貫かれた上肢の孔から血が吹き出す。
それで戦いに付いて行けなかったアルシェが慌てて治療に掛かろうとするが、彼女が手を翳した時にはその場から湊の姿が消えていた。代わりにガァンと派手な音がして、半ば確信に近い感情を抱きながらも其方を向いた。
「どうした、こんなものか? これでは幾ら打ち込もうと倒れてやる訳には「何だ結局はその程度か」……何?」
案の定オルガに飛び掛かり、軽く
否、まるでではなく本当に男への激憤が
「どういう事だ貴様、
「アルシェ、自分の周りを結界で覆っておけ。傷を癒すのはこれが終わってからで良い」
大きく息を整えてからそう指示を出した。一度距離を取り、状態を確かめるように身体を少し動かす。痛みに顔を歪ませながらも隙は見せず、逆に脂汗を垂らし呼吸が深くなろうが反撃のチャンスを虎視眈々と狙っていた。
「
本当に聞こえていないのか、
その様子を一時停止し、過去を再現する現在の湊が呆れた様子を見せる。
「全くあのお姫様は。
そう言って指示を聞かなかった少女に対し軽い溜め息を漏らす。しかしこの後、彼女の介入が間に合わないことを当事者たる彼は知っているが。
「それともう良いだろう。次は
そう言って過去の自分をこの記憶の世界から〝追い出した〟
ただ経験するだけで記憶を生むことが出来る湊だが、だからと言って全部覚えるのは非効率だ。ずっと保持し続けるのも疲れるし、ハッキリ言って面倒臭い。
故に普段は『記憶を無くした』状態にしてあるし、必要となっても使う情報のみを想起する。全て覚えてしまうが故に無駄を嫌い、記憶を残さない。そんな矛盾を孕んでいられるからこそ彼は傲慢なのだ。
湊が立っていた場所には誰も居らず、ただ空白の記憶がそこに存在するだけとなった。そこに湊が足を向け、過去の自分から戦いの権利を簒奪する。
「来い。今の俺が何処まで殺れるか試してやる」
あくまで過去の出来事を繰り返しているだけであり、返事がないと知りつつも声を向ける。或いは、彼にしては珍しく本気なのかもしれない。そうでなければ『記憶』を使うことすら普段なら有り得ないのだから。
(再生)
湊が一言呟くと、手前で待機していた風が吹き抜け落下途中だった木の葉が地上へと降りる。その瞬間オルガの姿が消え、しかしそこに新たな記憶が書き加えられる。
「チッ、いきなりか…!」
湊の視界から抜けた男が再び表れた時、血を滴らせた剣で何かを刺していた。
何か、ではない。あれは恐らく今消した当時の湊を貫いているのだろう。突如ギアを上げたオルガの動きに眼が付いて行けず、そのまま致命の一手を食らったとみる。
先読みは目的の意味を失うからと、一連の応酬を記憶から封じた湊が紙一重で避けた後にそう予測した。
そこから連撃が飛び、それを
「本ッ当に、こいつは――! 目や耳はまだしも『俯瞰視』まで使わされるとはなあッ」
そう悪態を吐く湊の認識している光景は、明らかに彼が視覚で得ているモノと異なっていた。
*
湊が今いる世界――『
あらゆる情報を身に写す完全記憶と、意識を切り離しそこに没入できる集中力があって初めて為せる芸当だ。これにより湊は一度の体験を何度だって見返す事が出来る。
しかしそれだけでは今の状況と矛盾する。
もし『
あの時の湊はハッキリ言って余裕がなかった。心が落ち着いたとは言え、それで事態が好転するほど楽な相手でもない。
正直アルシェに意識を割く余裕など無かったし、況してや視界から外すといった行為ですらあの時は危うかった。
では何故アルシェの介入を覚えているかと謂えば、これこそが「感覚」の才能による恩恵だからだ。
湊がこの眼で嘘の光景を視ているのはもう騙る必要も無いだろう。
アルシェとの情報共有で分かったが、この眼は【真偽の瞳】と云うらしくその影響でこのような事が起きるみたいだ。妖狐になる前はこの能力も不完全で湊に身体的不調を与えたが、それでも視力や色の識別能力といった普通の機能も並外れて優秀である。
だが湊の感覚はそれ以外でもずば抜けて高く、特に「聴覚」と「触覚」の感受性に関して言えば「視覚」をも凌ぐ。
最早他人と比較できぬほどに完成、進化したソレは普通に会話する音で200m、歩くときに生じる振動は最大1㎞まで傍受可能だ。――それに加え、妖狐へと至ったことにより知覚範囲が少なくとも倍以上になった――
また刺激を拾う以外にも、それがどのような用途で生じたという識別能力も際立って高い。
例えば普通に歩いた場合でも、速度や歩容、重心が移るタイミングなどそれは人によって千差万別異なる。要素が一つ違っただけで全く別の歩き方へと変わり、その違いを見分けることはそう難しくない。
しかしこれはあくまで視認した場合の話であり、それを眼を使わずに行うというのは巻き網漁で網を持たないのと等しい。
だが此処までの話でも分かるように、湊ならそれが可能だ。
人並外れた感受性と識別能力を兼ね備えた湊の感覚機能――『超感覚』なら、直接眼で見る以外にも歩き方で人を判別できる。地面から伝わる振動を足底で感知し、風を切る際の動作や速度を聴き分ける耳を持つ。
勿論眼以外で得た情報も完全記憶で留めておく事ができ、そうした要素を『暇の記憶』の中で組み立てている。
今湊は眼で見ている光景の他に、上空から二人を見下ろしているイメージのようなものが絶え間なく流れ込んでいる。
「視覚」「聴覚」「触覚」――。それらから得た刺激を繋ぎ合わせ、戦闘の様子と合わせて視界を遮られた当時の森を再現していた。
「――ッ、」
左後方から大人一人分の質量が地面を通して伝わり、それと共に鋭利な剣で風を割る音が湊の耳に届く。
その情報から男の体勢を
(今反撃したら当てられただろう。相手は俺が見失ったと思ってるし、逆に視覚外から仕掛けることで奇襲を掛けられた)
それでも回避手段を取ったのは、それが意味無いことだから。湊が綺麗に躱した直後、男の持つ剣の切っ先から血が溢れた。
またもや過去の湊が攻撃を受け、恐らく脇腹を貫かれた。そこで戦いは刺してから抜くまでの、一秒にも満たない小休止を挟むこととなる。それに攻撃を当てても過去の記憶でしかないオルガが新たなアクションを起こす筈もなく、故にここでカウンターを決めてもそれは憂さ晴らしにしかならないのだ。
(黒フードの情報を基に動かしても良いが、それは俺がイメージした奴というだけで奴本人ではない。実際より高く見積もるのは良いが、もしイメージとの戦いに慣れて過小評価でもしたら目も当てられない)
殺るなら確実に。下手に先入観を持たないのがベストだ。それを理解しているからこそ余計な手間を加えない。
「チッ、また高速移動か。さっきの一撃で警戒されたな」
湊から得物を抜くと同時に、また視界の外へと逃げられてしまった。どうやら敵は様子見を止めたらしく、圧倒的なステータスで以て湊を仕留めに来たようだ。
しかし最初こそ男のスピードに反応すら出来なかったが、そもそも超感覚とは別に湊の反射反応は一流アスリートと比べても抜きん出ている。時間が味方し、経過と共に回避率が上がっていった。
(いや、それにしたって可笑しい。どんなに速く見積もっても奴のスピードは拳銃から放たれる弾丸程度。素のステータスでも避けられる攻撃をどうして…)
何かカラクリが有る筈だ。俺の探知をすり抜け、攻撃できた訳が。
「…仕方無い。こんな奴相手に連続して使う羽目になるが、そうでもしないと記憶に潜った意味が無いからな」
時間をおよそ0.5倍速にし、湊が愚痴を溢した直後だった。先程と同じく上空から俯瞰するイメージが流れ込み、あたかも視覚で感知しているかのように淡青色の瞳へと投射した。
「第ニの瞳、『俯瞰視』」
超感覚を利用して発動できる能力の内の一つ、『俯瞰視』
自身の視点を除くあらゆる角度から超感覚が有効な範囲で状況を俯瞰、認識でき、動くものは勿論のこと地に根を下ろした樹木でさえ完璧な位置把握を可能とする。
男は湊の動体視力の良さに気付いており、
「『空間把握』」
此方は極めて限定的に、アルシェを巻き込む程度の大きさにまで範囲を広げる。それにより通常の『俯瞰視』では把握しきれなかった指の動きや、その他細部までくっきりと見下ろせるほどの性能を得た。
「『俯瞰視』と『空間把握』の同時使用。互いが互いの強みを発揮し、相手のデメリットを軽減出来るようになったのは重畳だ」
『俯瞰視』は少なくとも二つの感覚情報を繋げて初めて行使できる。それぞれの感覚機能にも当然ながら識別領域が存在し、
「聴覚」なら相手の動作や生体情報、また大まかな位置を、
「触覚」は地面から伝わる振動で相手の正確な位置や力の掛け方、加え方などを図れる。
「視覚」は生体情報やその他一部を除き、ほぼ全ての情報を見ただけで看破できる。加えて他の感覚で感受できない色や輪郭など、『俯瞰視』をより高次的にするための刺激が受け取れる。
その為今回のように「聴覚」と「触覚」だけの仕様ならあまり性能が良いとは言えず、どうしても細かな部分で不透明さが顕著に表れる。
それを補うのが新たにスキルとして獲得した『空間把握』だ。まるで3Dモデリングを映したかの如く精密なソレは、実際のものと比較しても寸分違わぬ誤差すらない。
しかし欠点として、霊力または魔力を持つ生命体に有効でも、ただの岩なんかはそれらを持たないため地形を把握するのには向いていない。また能力である都合上どうしても霊力の供給が必須である。湊もレベルアップしたとはいえ、それでもまだ霊力切れの危険が付き纏う。あとは単純に、湊が面白くない。
(こんな紛い物の力に頼るのも癪だが、背に腹は変えられないな)
しかしそれを抜きにすれば、両者の欠点を補えるという点でこれ以上もない。
ある程度の動きは「聴覚」と「触覚」で再現可能だし、あとの足りない情報だけ『空間把握』で集めれば良い。
そうすれば霊力の消費も抑えられるし、何より喩え視覚を封じられても以前と変わりない戦いを演じることが出来る。
「まぁ、それをしても一方的にヤられたんだ。今回ぐらいは素直に使ってやるさ」
完全記憶は全ての五感情報を記憶する。喩え認識出来ずとも、行動を起こせば必ず足跡を残す。であれば湊がそれを見れない道理はなく、訳も分からず斬り伏せられた過去の惨劇すら彼の糧になる。
「…」
スッと眼を閉じ、俯瞰する。湊から離れた男は予想通り距離を詰めて湊に襲い掛かろうとしていた。
(さあどうする。お前はどうやって俺の視界から逃れた)
実際にその時立っていた位置に身を置き、男の攻撃を待った。減速した記憶の中で男が一歩、また一歩と近付き、残り三メートルに差し掛かった所で湊が反応を見せた。
「これは――」
暫し男の様子を観察した後、『
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます