聖女の祈りと悩みの種


 彼女の瞳にはあの時の続きが映し出されていた。

もう閉じてしまったのだと半ば諦め、真実を知るのが怖いからと一度は拒絶した〝その先〟で、確かに息をする赤毛の臣下の姿があった。

 一見死んだように見える――事実死んだとばかり思っていた女騎士はとどめを刺される前に発見され、その場を生き延びていた。


「―――っ」


 それが分かった途端、動悸が乱れ呼吸も不安定に激しくなった。けれどそこに宿す思いは昨日までと違う。無事を知った少女は感涙で目の前がボヤけ、余りの嬉しさからその整い過ぎた顔をくしゃくしゃに歪めた。

 湊から借りたカーディガンで涙を拭い、それによって袖が濡れているのにも気付かない。これだけで彼女がどれほど衝撃を受け、安堵で心を満たしたか分かるだろう。


「ありがとう、サーナ……皆さんっ、」


 言葉では言い表せぬ万感の思いを抱えたまま、腰を上げたアルシェは為すべき事のために歩みを進めた。




………

……



 コカトリス討伐から二日後――アトラス大森林


 光風吹き抜ける小高な丘の上。辺境や辺鄙といった言葉すら生温いこの未開の地で、聖女というどう考えても不釣り合いな肩書きを持つ少女が果てない自然を目で見、香りを愉しんでいた。

 よく見ると彼女はソックスの一枚すら履かず、素足だった。王女たる彼女の靴はどれも森を散策するのに適しておらず、《収納結界》の中にも持ち合わせが無い状態だった。それを気遣い昨日彼女を担ぎ上げてくれた湊の姿も、此処にはない。


「心地よい、風です」


 そっと肌を撫でる優しい風が通り過ぎると、サラサラと流れる金糸を抑え閉じていた瞼を開ける。そこから覗く緑玉の双眸が何を見るのか、それは当の本人にしか分からない。


「これなら声も通りそう。一人での告別式……この場合は葬儀式でしょうか? 何れにしても皆を弔うのに良さそうですね」


 アルシェが言うように、此処には森で殉死した兵を弔う為にやって来た。葬儀というからには相応の準備が必要だが、残念ながら王女たる彼女に出来る事ではない。

 大体きちんとした国葬はあの場を生き残った・・・・・・・・・者達・・が事の詳細を伝え、国で大々的に執り行われるだろうから自分が同じことをするのも憚られる。


 それよりも当事者として、心からの謝辞と死後の安寧を望むより大事な事が他に有るだろうか。


 花の色をなぞったような薄い唇を震わせ、葬儀の辞――説教を説き始める。


「気高き王国の騎士、並びに誉れ高きフィリアムの魔導師達。此度の皆様のご活躍と尊い犠牲により、一つの――いえ、二つの命が現世に留まる事を許されました。本日はその功績を讃え、我が神の教えに則りセレェル教27の司教が内の一人、第12位聖女アルシェ=フィリアムが謝意を以て挨拶を務めさせて戴きます」


 深々と頭を下げ、感謝の意を形に表現する。


 今回アルシェが葬儀を執り行うことは、前もって湊に伝えていた。そうでなければ安全地帯とはいえ、魔物犇めくこの森で彼女を一人にする筈がない。

 況してや覚醒者の存在をアルシェが軽んじる訳もなく、万が一何かあっても湊が助けに入るまで持ち堪えるという条件の下、今回の事が許された。それだけの覚悟が有ってどうして半端な事が出来ようか。経験浅くとも、全身全霊で成し遂げてこそ彼等への恩返しとなる。


「国の……私から貴殿あなた方に送れる最大の敬意を此処に表します。〝ありがとう、ございました〟…!」


 前の言葉から一拍置き、ありふれた…愚直なまでの感謝を投げ掛ける。完璧な進行を目指しても、この言葉だけは飾らず伝えたかった。

 それが自分含め、生き残った者達・・・・・・・の総意であると断言できる。


(きっとこっちの方が皆も喜んでくれるよね)


 アルシェは既にサーナ含めた約半数の護衛の存命を知っている。彼等がオルガの脅威から逃れ、行商人に運ばれて行くまでの光景を『視た』からだ。


 それがアルシェの固有能力【聖者の瞳】の力。

 特性「千里眼」「予知眼」を有し、過去に見た現在までの未来を覗くことが出来る。


 アルシェは一度、シュタークとゴルヴに抱えられた状態でサーナ達の様子を「千里眼」で視ていた。

「千里眼」は使用者たるアルシェが詳細を忘れなければ何度だって見返すことが出来る。況してや能力を発動してまで得た記憶はそうそう忘れるものでもなく、余程の事がない限り行き詰まったりしない。


 故に皆の死と向き合おうとし、真実を知った。

 自責の念に駆られ目を背けていたら決して辿り着けなかった未来を視たのだ。



 その後も恙なく式は続き、聖女一人という異様な弔辞は終わりを迎えつつあった。


「最後に。戦場に散った全ての人へ、わたくしから手向けの唄を贈ります。どうか女神セレェル様の慈悲に与り、皆様の新たな門出となることを祈っています」


 両の手を胸の前で組み、そして大きく、しかし静かに息を吸った。肺の中の空気を全部入れ換えるぐらいまで満たすと、せっかく迎え入れた空気を今度は外へと逃がしてしまう。


 そして再び瞼を閉じ、うたう。



水面みなも揺らす 我が祈りよ

 大地に芽吹く 新たな生命いのち

 あぁ どうか教えておくれ』



 歌い出しと同時に魔法を展開する。


 火の魔法で作り出した柱がまるで大蛇の如く唸りを上げ、それと共にアルシェの後ろで輪を作る。魔法で生成した水が彼女の周りを地面すれすれで漂い、木属性の魔法で大地に癒しを与えると一歩踏み出す度に淡い光が流れた。聖魔法は周囲一帯を浄化の効果で満たし、アルシェが唄う傍らで空気がキラキラとエフェクトを起こす。


 丘の上は既にアルシェの独壇場となっており、魔物はおろか鳥や小動物、果ては小さな虫ですら遠くからその様子を窺う。森全体に響く清廉な囁きが、透き通るように森へと浸透し聞く者に安心と安らぎを齎しているのだ。



『人は何故生きようと思うのか

 どうして生きたいと願うのか』



 この葬送の儀は身近な人を失った時に行うセレェル教の習わしみたいなものだ。本来なら下級神官や顔馴染みの聖職者によって執り行われるが、今回のように国に所属する騎士団や国家規模だと教会でも高い階級の者にしか許されない。

 それでも聖女を召喚するには普通至らないが、今回ばかりは譲るつもりも無かった。その言葉の通り死力を尽くして戦ってくれた彼等に最大の敬意と感謝を込め、今できる最高を披露する。



『私は一人では生きていけない

 支えてくれる人がいるから

 愛してくれる貴方がいてくれたから

 私は生きたいと願った』



 広範囲に展開していた聖魔法を収束し各属性を包み込む。すると純度が高くなった水は深い青の海碧色マリンブルーへと色を変え、アルシェの周りを回っていた火も白炎を装い周囲に溶け込んだ。大地から漏れだした淡緑の光はとうとう全身を覆い、彼女を森の妖精へと変えた。



『愛してくれた私から 祈りを捧げよう

 世界が貴方を愛す そんな祈りを唱えよう』



 思い出されるのは過去のこと。姉の言いつけで城から出ることを許されず、窓辺から代わり映えしない景色ばかり眺めていたあの頃の自分。外の世界なんか知らなくて、一生このまま過ごすのかと漠然と思う事もあった。

 そんな自分に、彼等は笑顔をくれた。部屋から望める風景の下、いつも必死になって笑わそうとしてくれたサーナの部下達。


 春は多種多様な花々を庭に敷き詰め、夏は地獄の強化訓練。秋には市場に出回る物品を並べ、冬になると巧拙混じった雪像が部屋から見える位置に置かれていた。

 端から見る者には滑稽に映っただろう。不出来の烙印を押され変わり者の集団だと馬鹿にされても、人を慮れる彼等の優しさを私は忘れない。



『雨が来て夏は 青を宿した

 一人で泣いたあの時を 枯らしたのはだれ

 空いたその手を 握ったのは誰

 私は知らない でもそれが生きるという事』



 二年前。私がセレェル教の聖女として正式に認められた時には家族と同じくらい喜んでくれた。父の計らいで遠征に付いて来てくれると分かってからは毎日が楽しくて仕方無かった。その事でサーナのしごきが増し、姉様の見る目が厳しくなっても泣き言を言わず皆笑顔で寄り添ってくれた。

 家族以外だと一番長く時間を共にした。本当に本当に可笑しくて、彼等がどう思っていたかはもう定かでないが身分の差さえも越え仲間として見ていたのが自分だけでないと思いたい。



『冬の陽は陰って 青を映した

 言葉を持たぬその愛で 人は何を語る

 かけがえのない思いを重ねて』



 唄も終盤に差し掛かると、もう思いは止められない。それこそ散々、目が充血するまで泣いたというのにまた涙が溢れ出てくる。共に過ごした十数年で伝えきれなかった感謝を唄に乗せ、そらへと吐き出した。



『私が見た景色を 天に伝えよう

 薫風吹き抜ける春の夜桜を

 猛き力 夏の陽と雨

 紅に染まった秋の山と

 陰った冬の影と雪


 そして唄おう

 貴方が生きた証を 私は唄おう』



 最後に彼女を覆う薄い緑ヴェールと途中で繰り出した白炎。それに聖属性を帯びたマリンブルーの魔法を空高く打ち上げ、瞬く間に力を失ったソレは空中で色を付けたまま四散した。



永遠とわに生きる為 私は唄おう』



 それを見届けた『聖女姫』は、唄が終わると同時にぺたりと座り込んだ




………

……




「ちゃんと伝わったでしょうか、皆には」


 葬送の儀を終えて暫くしても、アルシェは魔法が消えた所を見上げていた。

『巫女姫』たる姉に才能ないと言われた舞を『聖女の儀礼』を使って自分なりにアレンジし、魔法で己が感情を表現した。今出来る最高のパフォーマンスが出来たと思い、あの日胸に痞えた痼りが解れるのを感じる。


「サーナには……生き残った皆には帰ってから伝えよう。速く帰ってありがとうって言いたいな」


 普段の姫様口調が抜け、そこには晴れやかな表情の美だけが残る。自己満足かもしれないが、今回葬儀を行って本当に良かったと思ってる。


「あとは…このカナエ様への恋慕をどうするかです」


 服を押し上げる部分に手を置き、今回のことで新たに生じた悩みに頭を傾ける。


 結局数日が経過しても気持ちに整理は付かなかった。むしろ収まるどころか接する度に思いの丈が増え、今となっては引き返すのが不可能な段階に入ってる。折角帰還してもこの問題が解決しないことには心労絶えないだろう。


「……」


 敢えて空を仰ぐことに撤し、いっそ天が解決してくれないかと本気で考えてみる。

 あ、でも待って。そうしたら今送り出した皆の元に届いてしまうかもしれない。やっぱり自分の悩みは自分で解決しないと。


「今更ここで答えなんて出るわけ無いですよね。帰りましょう」


 しばしそこで思考を巡らせたが、結局今回も納得のいく答えが出なかった。すっかり時間を潰してしまい、そこで漸く腰を上げる。


(ふふっ…帰る・・だなんて、そんなまだお妃でもないのに)


 自らの発言に妄想を膨らませ、心底幸せそうに顔を綻ばせる。


「それでは皆さん。良き来世を」


 丘を下りる前に最後にもう一度だけ上を眺め、ニヤけとは異なる慈愛の笑みを浮かべると今度こそ足を進めた。



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