一緒に食べませんか?


「さっ、出来たぞ」


 湊が調理を始めてから十数分。慣れた手付きで進めたかと思えば、あっという間に料理が完成した。

 アルシェの前に底の浅いフライパンが置かれ、期待に胸を弾ませながら蓋を取る。


 湯気が晴れると、鯛をまるごと使った料理が姿を現す。魚は煮込む前に軽く焼き色をつけ、その周りをエリンギとミニトマトが囲んでいた。

 下処理した魚をバターで炙った後、トマトとエリンギ、砕いたニンニクと唐辛子を一緒に入れ香りを出す。味はハーブと白ワインだけで決め、そこにオリーブ油も加えた。ワインと同量の水で6~7分煮込んだ後は、柑橘類を絞ってまた5分間煮込む。


 完成した品は非常にシンプルながら丁寧な作業が施され、王女たるアルシェの食欲を掻き立てた。

 もう少し道具が揃っていれば何処のレストランに出しても高い評価を得るだろうと自信を持って言える。


「これは…アクアパッツァですね。凄く美味しそうです」

「知っているのか。材料さえあれば簡単に出来るし、軽く煮込むだけだから時間も掛からない。ま、流石に貝は無いから我慢してくれ」


 少々具材に乏しいが、代わりに一工夫してある。煮込むのに使った水を昆布で軽く湯がき、特産の塩と淡口醤油で和風味に仕上げた。

 煮干しや鰹と比べて汎用なのが昆布の利点であり、先程研いだ米が炊ければご飯のお供にもなる。


「そんな畏れ多いです。カナエ様が作ってくれた物に不満などありません」


 湊は知らぬが、この700年の間に地球の料理がこの世界ダリミルの食文化で根付いていた。理由は当然、召喚者である。

 料理というのは材料と手順さえ分かれば誰でも作れ、そこに両者を隔てる壁はない。料理下手な人でも大体の工程は把握しているし、それを正しく読み取れるかどうかは受け手次第だ。

 道具の関係上一部の例外を除き、先達が要望した数々の品がこのダリミルで再現されてきた。麺類に限定してもパスタ、うどん、ラーメンと大体を網羅している。


 それでも各人の趣向により普通は地域によって偏りが出るが、その情報もあらゆる資本が行き交うフィリアムで集約される。

 時には金銭での売り買いにまで発展し、そうして大陸の中枢にもなった国のお姫様が簡単な料理の一つや二つ知らぬ筈ないのだ。


「しかし包丁も無いのにどうやって内臓を取り出したので? そう言えば川原に行っていましたがそれと関係が有るのでしょうか」

「あぁそれか。川で適当な石を見つけて研いでたんだ。流石に下処理しないと食えないからな」


 湊は掌半分ほどの大きさの石を取り出す。土の魔法で大まかに形を整え、風で鋭くしたものだ。

 魚を捌く前に野菜でもざく切りにしてかさ増したかったが、即席の包丁ではエリンギ位しか切れなかった。せめて黒曜石でも有ればと思ったが、33㎞先でマグマが沸き立つ感触を見つけたので試しにそこへ行ってみようかと考える。


「左様でしたか。流石はカナエ様です。感服しました」

「世辞は良いから早く食べてくれ。匂いに釣られて動物が集まると面倒だ」

「はい、いただきますね!」


 皿に装ってその辺の岩に腰掛ける。昨晩から何も食べておらず直ぐに手を付けようとするが、そこである事に気付いた。


「あの、カナエ様のお皿はどちらでしょうか。取り忘れていたならもう一度お出ししますよ」

「俺はいいよ、元々用意してないし。そこにあるのはアルシェに作ったやつだけだから」

「えっ…?」

「俺はこのままジビエを取ってくる。肉が保存用しかないし、皮を剥いで血抜きもしないといけないからな」


 アルシェの目がぱちぱちと瞬くが、湊に冗談を言ってる様子は無い。むしろ何故そんな反応をするのかと疑問に感じているみたいだった。

 母が亡くなって以降、湊は一人で食事を取ってきた。だからそれが当たり前となってしまい、アルシェが疑問に思うことを疑問に思う。


 完璧な美というものを体現した湊は、あらゆる事に於いて人々の注目を集めてきた。それは才能など使わずとも、喩え一番にならずとも変わらなかった不変の事実。あまりに現実離れし過ぎていて、遠巻きに窺われる事が日常と化していた。


 そんな彼でも見られる事に苦痛を感じる瞬間がある。それが食事だ。食へのこだわりが薄くとも、環境が悪ければ人は不快になる。

 よく寝ているところを見られるのが厭だという人がいるが、それは別に構わない。起きている時の違いなど眼が開いているかどうかだし、触られたら反撃も出来る。むしろ他人と関わるよりも健康的で実に有意義だと言える。


 だが食べてる時だとそうは思えない。物を食べるという事は乃ち口を開くわけで、下賤な連中に内側を覗かれるのと同義だ。

 それは生理的嫌悪感を催し、髪に触れられる等の物理的被害を除けば最上位の嫌がらせである。元々無い湊の心象を更に下げているに等しい。


 だから学校でも、皆が昼食を取っている間湊だけは寝ていた。高校に上がって弁当に変わっても、蓮の話に適当な相槌を打っていただけでマトモに食べた試しがない。精々が蓮と二人でいる時に数回取った程度だ。

 故に昨日会ったばかりのアルシェにそんな事を言われても、反応に遅れるというのが現状だった。


「お待ちください。恐れながら諫言させて戴きますが、カナエ様は病み上がりだというのを自覚すべきです。昨夜大量に血を出したのをお忘れですか? 見かけ上は問題無くても、生体活動が損なわれている状態です。なので今日一日は安静にすべきだと具申します」


 器を置き、狩りに行こうとしていた湊の前に立ち塞がる。頭が回らないと思ったら、治療による副次作用だったと知る。


 アルシェが施した《|絶姫英聖廻復帰天領域(エターナルリゼルディアフィールド)》は、湊の身体を超速度で自然回復する効果があった。治療の段階で「生命維持機能の代行」や「事象操作」のような支援を行っていたのだが、流石に元となるエネルギーを創り出すことは出来ない。アルシェの治療はあくまでも自然回復を前提にしていたのだから。

 エネルギーとは生物が活動する際の動力源である。造血幹細胞、器官の機能亢進により血液生成を速めていたのだが、その分のエネルギーを思考を司る脳の一部や筋の収縮から持ってきてしまった。

 つまり湊の治療には身体に蓄積されていたエネルギーから持って来るしか無く、それを使いきった今の身体は何も無いと言って良いくらい何もない。


「カナエ様も召し上がりませんか? 健康な身体は食事からです。何よりカナエ様が初めて作って下さった料理ですし、折角ならご一緒したいじゃないですか」

「……」

「ダメ、でしょうか…」


 無表情で見つめる湊にどう反応すれば良いか分からず、後半は尻窄む。

 それでも何とか言い繕うと、漸く湊から応答がくる。


「アルシェは俺の事が好きか?」

「え………ふあぇッ!!?」


 しかし乗せられた言葉はあまりに予想外で、何と言い繕えば良いか分からなかったアルシェは全身を熱くさせた。


「いや、愚問だな。今の言葉は忘れてくれ。と言ってもその様子じゃ無理そうか」


 アルシェの反応に気を良くした湊は、悪戯が成功した子供のようにクスクスと忍び嗤う。

 自分が湊に弄ばれたと知ったアルシェは、頬を膨らませてそっぽを向いた。


「もうっ、カナエ様なんて知りません!」

「そうか知らないか。折角食べる気になったのにそれじゃあ仕方無いな。あっちで一人済ませてしまおう」

「……待って、ください」


 離れようとした湊の袖を掴み、羞恥で俯いた顔を上げると小さな声で呟いた。


「一緒に、食べたいです…」


 彼方が浮世の輝きなら、此方アルシェは隔絶した美貌。共に世界一と称される容姿が際立ち、相手の心に隙を空けた。


「ん、良いよ。ただ二人分を想定して作ってないから追加でもう一品加えるけど」

「でしたら今度は私も手伝います。何か出来ることがあればお申し付けください」


 結界をキッチン台に見立て、その横に立つ。

 白銀の妖狐と聖女姫。比類なき才を持つ二人だが、協力して料理する姿は何処かありふれたものだった。


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