幕間

世界が動いた日


――二人が襲撃された日の翌日。夜のとばりが下りてから暫くが経ち、辺りが闇の喧騒に包まれた時間帯へと話は変わる。


 場所は五大国の一つにも数えられるシナトラ公国、その中の一公家が所有する建物の一室にて。


 五大国とは、その名の通りミロス地方における主要5カ国を指す言葉だ。

 フィリアム王国、ガルシア帝国、イージス教国、エルミア精霊国、そしてシナトラ公国。


 それぞれが法治国家として優れた地位を確約されており、末尾に〝国〟を入れることを許された大邦でもある。

 これ以外の自治領や小地域は全て〝州〟と見做され、上の5カ国よりも格下に位置付けられる。また、大陸の行く末を決める世界会議でも大国の影に落とされがちだ。

 つまり国と認められるか否かで国力にも差が生まれ、これは目に見える形で区別することでそこに暮らす人々から尊敬と自負を集める意図もあった。


 その中でシナトラ公国と言えば、国家としては珍しい三権分立の国である。

 それも権力分立ではなく主権分立。公王の権威はそのままに、それを扱う人間を分けたというのがシナトラ公国だ。

 つまり一つの国で王が三人がおり、3つの勢力が互いを抑制し均衡を保つことで国が成り立っている。


 そんな三大公家の一つ、ルドリヒト家が所有する屋敷の一室は湿布やら消毒液の臭いで満たされていた。入り口の奥の方には大きな薬品棚が三台置かれ、怪我人を問診するための机もあるこの部屋は間違いなく医務室だろう。

 しかし、本来なら落ち着いた雰囲気である筈のその内装も場にそぐわない調度品のせいで台無しだ。

 中にはアンティーク調のソファーなんかもあって、この部屋の匂いが染みたそれは本来持つ価値を著しく下げていた。高級そうな家具を所狭しと置いただけの室内は怪我人を癒す本来の役割から逸脱してると言っても良い。

 おおよそ所有者の人柄が窺えてくるセンスの無さだ。


 そんな贅沢品に囲まれた部屋の中央で、件のソファーに座る男が一人と傍らで彼を治療する女性が二人。男は終止無言で、二人の看護師もそれに倣うようにテキパキと作業を行っていた。


「……来たか」


 幾分かの時をその状態で過ごすと、ここで初めて男が口を開く。それと共に緊迫した雰囲気をものともしない足音が部屋の外から聞こえると、間もなくして片開きのドアから小太りの男が姿を見せた。そしてそのまま男に近付いて来る。


「調子は如何かな、私の協力者君。君の片腕も我がルドリヒト家の医療技術をもってすれば元通りだ」


 絢爛な衣装に身を包んだ男性は人の良さそうな笑みを張り付け、到着早々男の容態を添え物に家の讚美を求めた。その対応に眉を寄せるが、すぐに何事もなく言葉を返した。


「卿か。話の前に悪いが人払いを頼みたい」

「ん? そうか。お前達下がって良いぞ」


 相手の問い掛けには応じず要求を述べる。ルドリヒトも会話が折られた事には言及せずその提案を呑んだ。ここからは二人だけの話し合いに移るため部外者には外れて貰う必要があるのだ。


「さてと……どういうことか説明してもらおうか、オルガ君」


 お付きの二人が退出したタイミングで、ルドリヒトは腹の皮下脂肪が寄るのも辞さず前のめりで黒フードの男――オルガを問い質した。

 そこには先程までの物良い笑顔は無く、侮蔑と怒りの混じった視線を男に向けていた。


「君にいくら協力したと思っている? 情報を集め、人の目を忍んで|盗賊(ゴミ)を雇い、魔剣まで与えた。おまけに莫大な資産を投じて霧の|古代級魔道具(アーティファクト)まで揃えたというのに君という奴はっ――、半分以上が鹵獲されたではないか! これでは今後フィリアムに対して迂闊な工作が出来ぬはッ!」


 堪えきれず手を思い切り机に叩きつけて尚ルドリヒトの怒りは収まらない。手の痛みを介さず血走った瞳孔でオルガを睨んでいる。


「しかも当初の目的を果たせぬばかりか腕を落として帰って来るとはな! これが極秘の依頼でなければ公的場で八つ裂きにしているところだぞ!」


 くるりと巻いた髭を上下に激しく揺すりながら唾を飛ばす。途中で呼吸休憩を挟みながら男の話は続く。


(面倒だ。此方も疲れているというのに)


 沈黙を貫くオルガは内心でそんな事を思っていた。

 彼としても二人の逸材を逃したことは非常に重く受け止めており、況してや召喚したての勇者に出し抜かれるなど簡単に割り切れるものではない。

 澄ましたように見えるが、実際は悔しさで胸がいっぱいなのだ。


「まずい…不味いぞ。このままでは|あの御方(・・・・)への報告が――」


 度々話に出てくる“あの御方”なる者をオルガは知らない。二人の関係はあくまでも別々の目的を持った協力者であって仲間ではない。だからルドリヒトが彼に詳細を教える義務はないし、彼もさほど興味は無かった。

 ただ、ルドリヒトがフィリアムの――|延(ひ)いては現在そこを治めている『巫女姫』の失脚を狙っているのは明らかだ。時々それを思い出してはニタニタと腐るような笑みを浮かべている。


(だとしても種を蒔くためだけに妹を巻き込むなど正気の沙汰ではないな。まぁそのお陰で奴等に興味が湧いたのだが)


 そう。今回アルシェ達が襲撃されたのもルドリヒトの企みによるものだ。全ては王国の権威に異を唱えるための布石にすぎない。


 王国には優秀な人材が揃っており、その中でも稀代の才女として知られる『巫女姫』から揚げ足を取るのは難しい。

 かの国の王女は慎重で思慮深く、そして大多数を味方につける美貌も併せ持つ。アルシェがセレェル教の聖女になったことも国を磐石なものにする上で拍車をかけていた。


 権力も武力も富も名声も。全てが他国を凌駕するフィリアムにはハッキリ言って隙がない。

 同じ五大国でも王国と公国では大きな差がある。それこそ無理矢理綻びを起こすしか可能性は無かっただろう。


 ただ、二大美姫の片割れとして称される姉姫の方は、温厚な|妹(アルシェ)と違い敵対する者には容赦がない。

 それこそ今回の事が明るみに出れば、この国で最上位に位置するルドリヒト家といえど存亡の危機は免れなくなるだろう。


「何とかしなくては。何とかならないだろうか…」


 一人自分の世界へと入ったルドリヒトを尻目にしてオルガはくっついた腕の調子を確かめていた。魔剣もろとも両断された右腕は切断面が非常に綺麗な状態であった為、繋ぐのは想定していたよりも楽に済んだ。

 とは言えまだまだ本調子には程遠く、暫くは安静が必要になってくる。


「それで? 君からはどうなんだ。何か弁明があるなら言ってみたまえよ」


 いつの間にかルドリヒトの癇癪は治まっていたらしく、肩で息をしながら発言を促した。ただし研がれた怒りの矛先はオルガに向いたままだ。


(これは何を言ったところで捌け口にされるな)


 その予想は正しく、どうしようもない感情に身を抑えられないルドリヒトがストレスを発散させるため元凶となったオルガ――と本人は思っている――に当たるための口実に過ぎない。

 オルガとしても己が目的を果たすためにはルドリヒトの協力が不可欠であり、間違って関係が切られるとならぬよう彼の眼を別のところに向けさせる。


「そうだな。反論…ではないが伝えてない事が幾つかある。それを報告しておこうか」

「ほ~う? 何だね言ってみろ」


 そこで事の顛末を包み隠さず話すことにした。

 彼に届いているのは従者を使った伝言のみであり、詳しい事は分かっていない。

 サーナが盗賊の親玉を早々に討ち取ったこと。アルシェの力が予想以上で〈石〉を確保すると共に彼女自身を引き込もうとしたこと。途中で光柱が上がり、勇者が召喚されたこと。

 その勇者が伝説の狐と同じく銀髪だったことや、自分の腕を斬ったのがその勇者であることなど全て話した。


 それを聞いたルドリヒトが呆然と間抜け面を晒したまま固まっている。


「……何だ、その話は」

「先に言っておくが断じて嘘ではない。自白剤でも何でも使って確かめてみると良い」


 あまりに荒唐無稽な内容故、実際に体験した本人でないと信じられぬと思った。いや、もしかしたら自分自身も心の何処かで未だ信じきれていないのかもしれない。

 彼がこれまで乗り越えてきたものを易々と捩じ伏せられるというのはそれだけ度し難かった。


「ゆうしゃ……勇者、」


 しかしルドリヒトはオルガの言葉を疑うばかりか、必死に頭を動かしてなにかを求めるように考え込んでいた。これにはルドリヒトも疑問符を浮かべた。


「そうかっ、勇者だ。おいっ、誰か〝彼〟を連れて来てくれ!」


 光明が見えたとばかりに顔を上げて立ち上がると、廊下に控えていた腹心に声をかけた。



「お連れしました」

「うむ。ご苦労」


 そして数分後。戻ってきた人物の後ろから|黒髪黒目(・・・・)の青年が堂々とした佇まいで部屋に入ってきた。これにはオルガも驚く。


「ルドリヒト卿。この少年は?」

「あー、こんな時間に何の用だよ公家当主殿。少し気遣いってもんが足りて無いんじゃないか?」

「おお! お休みのところ申し訳ありませんヨシキ殿。実はヨシキ殿に紹介したい者がおりまして」


 先程までの焦りの面持ちは何処へやら。オルガを無視して途端に芝居がかった笑顔を見せると、ルドリヒト家の当主とは思えない低姿勢で青年を出迎えた。


「紹介したいのってこのおじさんか?」

「はい。少々腕が立つ者でして……勿論ヨシキ殿には敵いませんが私が重用している内の一人です」

「ふーん」


 ヨシキと呼ばれた少年はジロジロとオルガを観察すると、最後にふっと勝ち誇ったように笑いを落とした。


「それでルドリヒト卿。この少年はどなたかな?」


 再度ルドリヒトに言葉を投げると、ヨシキを前に立てて誇るように髭を上げた。


「この御方こそ、我がルドリヒト家に召喚されし|勇者(・・)ヨシキ殿だ! 大方無礼のないように気をつけるんだぞ」

「|早川(はやかわ)嘉輝(よしき)だ。この国の勇者になったからよろしくな!」


 開いた口が塞がらないとは正にこの事だった。オルガは二日続けて勇者と遭遇することになったのだから。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 湊が召喚されたその日、世界は静かに激震した。


 世界の調停者を選ぶため異界から才ある者達を喚び出す〈|英雄召喚石(ブレイヴストーン)〉

 およそ七百年前に神によって授けられたその御石は、現在までに二十組の勇者を喚び出してきた。


 勇者とは次代の英雄に立つ資格を持つ者達のことを云い、見事迷宮奥深くに封印された『精霊姫』を助け出し契約を結ぶことを使命とする。

 しかしそのことごとくが失敗に終わると、嘗て切望されていた栄名に翳りが見え始めた。

 

 それが運命の悪戯か、将又はたまた誰かの陰謀か。


 二十五あった内の残り|五つ全てから(・・・・・・)光が溢れ、そこから総勢15人の男女が姿を現した。

 交わる事の無かった希望が一同に集い、再びその栄光に縋ろうとする者が出てくる中で、果たして彼等は真の英雄へと至れるのか。

 また七百年以上に渡って繰り返されてきたこの奇跡に、誰が終止符を打つのか。それは神のみぞ知るという。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





――再び場面が変わり、此方も五大国の一つに数えられるガルシア帝国から。


 圧倒的な兵力と僅かな資源を抱えたこの国は、過去に幾つもの小国を束ねて大きくなった軍事国家だ。

 元は一つの州に過ぎなかったのが、何代か前の皇帝から急速に力を付けていき、遂には国として認められるほどの成長を遂げた新興国である。


 ここは|ある事情(・・・・)を除けば西の魔族領に隣接する唯一の国と言ってもいい。頻繁に魔物が攻めてきたり、寒さによる影響で作物が実り辛い事情もあって、隣国から|度々(たびたび)送られてくる物資が国の支えとなっている。


「ようこそおいでくださいました。わたくしこの国の大臣を勤めさせて戴いてますアンドレーフと申します。以後お見知りおきを」


 そんな帝国の城にある一室で、挨拶を上げた人物を囲むように九人の男女が座っていた。そこではアンドレーフと一人の少女を除いて全員が黒髪黒目の特徴を持つ。

 年は湊と同じかそれよりも少し上といったところか。垢抜けぬ部分もまだあるが、大体が心身の成長を終えていた


「あの…すみませんが何がなんだか。分かりやすいように説明してもらえませんか? 僕達はさっきまで教室にいた筈ですが」


 その中でリーダー格と思われる一人の男子生徒が、最初に挨拶したアンドレーフに質問を投げ掛ける。


「そうよ爽弥の言う通りだわ! 分かってるかもしんないけどこれって誘拐よ! 犯罪なのよ!? さっさと家に帰して頂戴!」

「そうです。早く指示に従った方が身のためだと思います」


 それを援護する形で二人の女子生徒も続いた。二人は最初に発言した男子生徒――爽弥に思いを寄せている。爽弥が先陣を切ったことで調子付いていた。


「えぇ。ですからそれを今から説明するのです。黙って聞いていてください」


 それを薄灰色の髪の美丈夫にピシャリと押さえられると、三人とも勢いを殺されて黙るしかできなかった。


「先ずは改めて本題の方を。我がガルシア帝国に召喚された九名の勇者様方。皆様にはある一つの指名が下っております」


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