第二尾 妖魔境と騒乱篇
始まりの目覚め
「んっ…」
朝日が昇る。木々のざわめきと鳥の囀りが木霊する森の中で、白銀の美青年――天宮湊は徐々に意識を覚醒していった。
瞼を開けた先では自慢の銀糸が東日と反射し、余計に眩しく見せようとする。
「…ん?」
寝ている胸の上から苦しくない程度に、いやむしろ心地好いと感じる程の重さが伝わってくる。それにより曖昧だった意識が瞬間的に覚醒した。
「すー、すー」
「…」
見ればとびきりの美少女がいた。何を言ってるんだと思われるかもしれないが俺も何言ってるか分からない。しかし紛うこと無き事実だ。
湊に乗り掛かる形で
「……あー、そっか。俺異世界に来てたんだった」
暫しの熟考の後、漸くその事を思い出した湊は目の前の少女が誰なのかを思い出す。
アルシェ=フィリアム
昨晩アルシェが盗賊に追われているのを、偶々召喚で飛ばされた湊が助けた。
一度は退けるも、その後表れた黒フードの男に滅多刺しにされ、命からがら逃げ延びた先でここに辿り着いたわけだ。
ちなみに服が無いのは湊のせいである。彼女に心肺蘇生を行った際に、ドレスが邪魔で破り捨てたのを思い出す。
元々盗賊の一人に生地を引き千切られていた事もあって、高そうな衣装は二度と着られなくなった。
(そういえば俺、傷は…)
昨晩貫かれた脇や四肢を確かめようにも上にアルシェが乗っているせいで無闇矢鱈に動かせない。
だが身体の感じからして塞がっているのは間違いないだろう。俺の上で寝ているこの少女は、その辺りの事なら世界トップレベルらしいので。
どちらかと言えばこの体勢の方が問題か。
湊に当てられてる胸が
(だいぶ負担かけたからな。もう少し寝かせてあげるか)
昨日崖から飛び降りた時点で魔力ゼロに近い状態だったのが、ここまで治してくれた事に驚きと感謝しかない。
頭を撫でてやると気持ち良さそうに身じろきし、甘声を上げた。すやすやと幸せそうな寝顔を浮かべるアルシェに自然と頬がゆるむ。
(誰かの無事を知って安心するのは何年ぶりか…)
存外悪くない。湊は素直にそう思った。
(にしてもこれからどうするか。昨日は考えないようにしてたけど、元の世界に帰る方法はあるのか…)
――ゴソッ
(…ん?)
そこまで考えたところで肩の所に何やら不審めいたモノが置かれていることに気付く。それを手に取ると訝しげに眉を寄せた。
(何だこれ?)
手に取ったのは奇妙なお面だった。パッと思い付く限りでは日本にあった狐のお面。赤と白のコントラストがわりと不気味なのだが、夏のお祭りなんかでは毎年見かける風物詩みたいなアレ。
これは本来のそれとはどこかかけ離れていて、しかしデザインは日本で見たのとそう変わりない。
日本だと赤で塗られる部分が黒に変わっていたり、目と思わしき線がだいぶ細かったりと違う点も多いが。
またオリジナルは立体的な構造をしていることで知られるが、これは普通の面のように顔全体を覆う綺麗な楕円の形になぞらえている。
湊はこれに地球で見たよりも物静かで不気味な印象を受けた。
しかし湊が最も気になったのは目の部分にも視界を確保するための覗き穴が無いことだ。これでは全然前が見えない。
(設計ミスか? いやこんな明らさまなものに気付かない筈が……って、そうじゃなくてどうしてこんな所に。前に誰かが落とした?)
こんな辺境な地に人が訪れるのかと疑問に思う。アルシェの持ち物というのも無いだろう。現在の彼女は下着姿なのだ。そんなものを運んでいる余裕も無かっただろうし。
(…まぁどうでもいいか)
考えるのも飽きてその辺に戻しておいた。こういうのは深く悩んだだけ無駄になる。
(俺ももう一眠りするかな)
気持ち良さそうに眠るアルシェに移されて欠伸が出た。
昨日は色々ありすぎて、この暖かな陽差しで身体を休めるべきだと脳も指示を出している。元の世界に帰る方法を探すのはそれからでも良いだろう。
――そう思っていたのだが、事態は無視出来ない状況に見舞われる。
ユーラユラ~
(ん…?)
ふとあるものが視界の隅を掠めた。ゆらゆらと穏やかに揺れる動物の尻尾だ。
意識を現実に戻し、面白そうな反応を示す湊。自分と同じ銀色の毛並みが美しい。
(へー、こっちの世界でも動物は変わらないのか。あの形状からして狐か狼だろう)
またキツネ。何かのご縁でも働いているのだろうか。
………
「…………ッ、銀色!?」
「ふぇあっ!」
驚きの余り身体を起こしてしまった。当然上に乗ってたアルシェが振り落とされる形になるが、地面とぶつかる前に抱き止めたから問題ない。
それよりも今見えた銀の毛並みを必死に探す。しかし視界のある限りにはいなくなっていた。
(俺の見間違い、か?)
「んー、ここは…?」
「おはようアルシェ。昨日はありがとうな」
「…?」
可愛らしく首を傾げている。恐らく湊が誰なのかまだ分かっていないのだろう。
あれだけ一緒にいたと思っても実際は出会って数時間の関係。先程は湊も思い出すのに時間を要した程だから、彼女に時間が掛かるのも仕方ない。ただやはり多少の寂しさを感じる。
「あー、カナエさまですー」
「えっ? あぁうん、おはよう」
「おはようございますカナエさま~」
「っ”」
おはようと言って俺に抱き付いてきた。意外だな、朝が弱いタイプなのか。
こうして見ると年相応――恐らく年下――の女の子という感じで何だか安心感を覚える。
俺と喋ってた時の彼女は状況が状況だっただけに常に肩肘張っていたからな。反動で気が抜けたのだろう。
しかし抱き付きながら頭を擦り付けるのは流石に止めてほしい。心臓に悪いから。
そうこうしてたら段々とアルシェの動きが鈍くなっていった。
数秒後には完全に停止して、ギギギと錆びたロボットのような動きで顔を上げる。そして最後はバッチリと眼が合った。
「な…あっ、あぁ……っ」
「おはようアルシェ」
「お……おはよう、ございましゅ…///」
都合三回目。漸く覚醒したアルシェがもの凄い速さで俺から飛び降り、顔の熱が冷めた頃に静々と頭を下げた。
この世界にも有るんだな、土下座に似た観念が。
「もっ、申し訳ありません。病み上がりの殿方の上で眠るなどという淑女としてあるまじき愚行をお許しください」
「いや、良いよ。傷を塞いでくれたのはお前だろ? 治して貰った身だし、それくらいは御安い御用だ」
「うぅ、ありがとうございます…」
嫋やかに謝るアルシェに湊からクスリと笑みが零れた。
「それにアルシェが柔らかくて気持ち良かったし。寝顔も可愛かったから文句は無いさ」
「かっ….可愛いだなんてそんな……恥ずかしいです///」
どちらかと言えばあの甘えっぷりに驚嘆したが、どうやら彼女の中では完全スルーすることに決め込んだらしい。思い出したくない過去と言うのか。今度から寝起きのアルシェには気を付けよう。
というか俺がそうしたとは言え下着姿だからな? 色々と危ないからその姿勢は止めて貰いたい。
(な、ななな何で私カナエ様の上にっ!? 昨日は横で寝ただけの筈なのに!)
アルシェはアルシェで内心羞恥でいっぱいだった。彼女のアイデンティティに確かな一撃が刻まれ、更にまたすぐ別の一撃が加わるのだが今はそれどころでは無かった。
「お礼も良いって。元々気にしてないし」
「あうぅ……///」
目線を合わせてくれない彼女に苦笑し、近くに落ちていたカーディガンを拾い上げる。
これは湊の誕生日に合わせ親友の蓮が買ってくれたモノだ。母が亡くなって以降着る物にも頓着しなくなった彼だが、その一枚だけは今も大切にしていた。
身体が大きくなるにつれ着るのも難しくなってきたが、アルシェに貸してあげた分には丁度良いのを覚えている。
身長は小さいが、胸回りでそれをカバーするので袖の長さも気にならない。今の彼女は下着なので下を隠すと言う意味でも最適だろう。
「アルシェ、そのままじゃ恥ずかしいだろ。これをあげるからこっちに来て」
湊にその事を指摘されると顔が爆発する一歩手前まで顔を赤くし、恐る恐るといった感じで手を伸ばす。
だが。そこで漸く彼女の顔が上がったかと思うと、次の瞬間驚愕に染まった。
「……えっ? ぁ…え、あれ?」
「アルシェ?」
「あっ…、ああぁぁ……!」
「どうかしたか」
「か、かかカナエ様…っ!」
「うん?」
その変化に訝しく思い彼女の視線の先――俺の背後を見やる。しかし何もない。陽の光を浴びた草木が健やかに育っているだけだ。
「アルシェ落ち着け。何が有ったんだ、教えてくれ」
原因を突き止められない湊がアルシェに直接聞き込む。しかしそれを聞いて、またも驚きに眼を見開いた。
「お気付きになられていらっしゃらないのですか?」
「何に…?」
話が噛み合わず次第に微妙な雰囲気に包まれる。けど取り合えずカーディガンは受け取って欲しい。
それを察したアルシェが俺の手から服を受け取ると、素早く着込んで軽く息を整えた。そして真剣な表情で俺を見つめる。
「…では、失礼しても宜しいでしょうか」
「は? 何を」
「そ、それはその……分かってからのお楽しみということに……」
後半になるにつれトーンが下がっていってる。チラチラとこっちを見ては手をモジモジさせ、少しの躊躇いと多大なる期待を込めた眼で俺の様子を窺っている。
そんなんで余計意味不明な気分にさせられたがこのままでは焦れったくて仕方ない。
「あーもう、分かったから速くしてくれ」
「宜しいんですね? 本当に良いんですね?」
食い下がってくるアルシェに了解の意を示すと、顔を綻ばせて俺の背後に回ってきた。何だか変な流れになってくると、意味も分からず俺まで緊張してくる。
「…アルシェ?」
「カナエ様、そのままジッとしていてください」
「あ、あぁ」
この時点で嫌な考えに陥った湊がやはり断るか否か迷っていると、アルシェの意を決したような言葉が聞こえてきた。
「それでは…いきますっ!」
その言葉と共にアルシェが目の前にある
「ッ”!?」
その瞬間に得体の知れない、不思議な感覚が背中を駆け抜け俺を刺激した。嫌な感じではない。むしろ心地よい。
ただくすぐったいというか、妙に高揚感を覚える感じがして気恥ずかしい。
混乱した湊はその原因たる少女に声をかけた。
「お、おいアルシェ…? これは一体…」
「ふふふ。もっふもふですぅ」
すると湊でも聞いたことがない――といってもたかだか半日の付き合い――幸せそうな声が漏れ、彼の言葉は虚空をさ迷った。
しかし今聞き捨てならない事を聞いた気がする。
「おい、おいアルシェ! もう振り返っても良いだろう」
「はっ! も、勿論ですっ、私が抑えていますのでどうぞご覧になってください」
了承を得て彼女のいる後ろを見る
後ろを…み、る………
「…………」
結論から言おう。そこにあったのは俺が先程見かけた長さ一メートル弱の白銀の尾だった。それは良い。さっき見かけたのが気のせいではないと分かったから。
ただしそれの持ち主が問題だった。
身の回りに生物は二人しかいない。
俺がそうだと思った狐の姿は何処にも無く、アルシェがそれに抱きついていた。当然彼女に尻尾のようなモノは見受けられない。
そして先程までのアルシェの態度とその後の衝撃。極めつけは特徴的過ぎる銀色の尾。
ここまでくればこの立派な尾の所有者は分かるだろう。
――そう、俺である。
尾てい骨の辺りから生えた獣尾が、ゆらゆらと揺れている。
指示を与えればその通りに動き、俺に困惑と驚きを、アルシェに幸福を与えている。
………
「なん、だコレ…!?」
「あっ、ちなみに若干分かり辛かったのですが耳もおキツネ様になってますよ!」
ダメ押しとばかりに放たれたアルシェの言葉は、俺を更に混乱へと導いた。
その後数分間、尻尾を触りたくてうずうずしているアルシェを見て心を落ち着かせた。
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