襲撃――その後

 

 月も上りきらないアトラスの夜――時間は少し遡り、アルシェが襲撃を受けた最初の街道にて。


「う……うぅ…」


 そこには完膚なきまでに敗れた騎士達が何人も横たわっていた。

 気絶している者。脚を押さえて苦痛を訴える者。中には反応すら無く、既に息絶えた者もいる。


 これが魔物の大群などではなく、たった一人の介入により齎された惨状だと誰が信じようか。

 半数が重症で、残り半数が死亡。変わり者と評され集められた彼等だが、王国の騎士である以上弱いわけがない。

 全員が〝覚醒〟を終え、他国の騎士団と比べても高い水準にあるのは紛れもない事実。

 一騎当千とまでは行かずとも、一人ひとりが並みの練度を越えている。仮に仕える国が違ったとして、下っ端で終わるような者は誰一人としていない。


「うっ、ぐ……ひ、姫様…」


 そんな伏した隊員達の間を縫って進もうとする影が一つ。

 この一個騎士団の隊長で、アルシェの専属護衛でもあるサーナが剣を支えに覚束無い足取りで立ち上がった。


「はっ――はぁっ……、今、参ります…!」


 特殊保持者たる彼女は一般人と違い生命力が高い。再三の出血で血が足りずとも、少しの間だけなら動けるまでに回復していた。

 だが果たしてそんな状態でアルシェに追い付けるのか。合流できたとして、この身で何が出来る。また敗れるだけかもしれない。


「それでも、私は…!」


 だとしても自分は行かなければならない。

 護るべき主を放って倒れるなど、彼女の騎士としてのプライドがそれを赦さなかった。

 喩えそこが死に場所になろうとも、使命をまっとう出来るのなら本望だ。必ずアルシェを救ってみせる。


「――! ぶッ、ごほっ、がぼ……、おぇ」


 しかし悲しいかな。どんなに強く意気込んだところで身体が付いていかない。精神ばかりが先行し、肉体が限界を越えてはくれないのだ。

 いや。既に限界など軽く超えていて、その代償が今支払われたに過ぎない。

 肺は上葉に亀裂が入り、痛みと血が咽頭までせり上がってくる。


「うご、け…っ…動けっ、動け動げっ!! ごんなどごろにいる場合じゃないんだっ、わだしは! 早ぐ姫ざまをっ――!」


 大事な主君を護れるなら自分はどうなったっていい。最後になろうと構いやしない。あの美しく高潔な身が悪戯に汚されるなど、決して有ってはならないのだ。


「はっ……、はあっ…!」


 おまけに先程上がった光柱で懸念すべき事が増えた。あの光は勇者召喚によるものだと、男はそう言った。


 だとすれば何て偶然、何たる間の悪さか。

 異世界から来たばかりの人間など勇者とはいえ高が知れてる。勇者の扱いは国を巻き込んでの最重要事項であり、一介の騎士に過ぎないサーナでは対応に余る。


 最悪切り捨てる事も視野に入れ、しかしそうなった時に主が反対するのも考えに折り込まないといけない。

 あの敬虔なる女神の信徒が、勇者を放って助かるなど望むはずもないだろうから。

 喩え糾弾され、責任を負わされようとサーナの中の第一優先はアルシェだ。逃走が困難と判断すれば最悪勇者お荷物を囮に助かる算段もつけてある。


「だからっ、動け…ッ! あの方の側に居ないことにはどうしようも――!」


 足から崩れ落ち、無様に地を這いででも彼女は前へ前へと進んでいく。


 そんな時だった。


 すっかり闇に染まった街道の奥から明かりが漏れ、段々と強くなる光と共に馬の輓く音が近付いてきた。

 もしや男が戻ってきたのではと警戒し、その音がサーナ達のいる地点まで来ると――


「あんれ、王国の騎士様方でねえか!? どうしてっどこげな所で…」


 負の感情で満ちたこの場には似つかわしくない、生命力に溢れた声を投げ掛けられた。

 訛りの強い口調からは敵意を感じず、男が馭者をしていた荷馬車の後ろには天蓋が見受けられる。恐らく王都へ出稼ぎに行く商人か其処らだろう。


 男は前方で道を塞いでいた人の群れを訝しく思った。しかしそれが世に名高い王国騎士団だと分かると、目の色を変えて集団に駆け寄ったのだ。

 彼等の隊服に施された花と月の紋章エンブレムが、その命を救う事になった。


(助かった。せめて部下の介抱だけでも)


 男に危険がないと分かると、ホッと安堵の息を吐いた。アルシェが第一優先なのに変わりは無いが、流石に動けない部下を放置しとくと言うのも気が引けたのだ。

 何かと問題があるとは言え、コイツ等は戦場を共有した友でり相棒でもある。フードの男や、況して魔物に喰われでもしたら憐れ以外の何物でもない。


「済まないが…こいつらの保護を頼めるだろうか。何なら依頼と受け取ってもらっても構わない。王国首都のアルカンジュまで運んでくれれば報酬も多く出そう」

「ははぁ。やっぱす王国の騎士様でしたか。そういう事なら任せてくんなませ。そこで品を売るつもりだったけんど…そうも言ってらんなさそうだべ」

「すまない。助かった」


 商人とは国からの信頼と許可があって初めて成り立つものだ。此処でサーナ達を見捨てようものなら、今後フィリアムでの商売は困難になるだろう。

 襲撃の時間とそこを通ってきた記録があれば簡単に割り出せる。特に此処は一本道なだけあって言い訳も効かないだろうから。


 そうとなれば行動も速く、積み荷を全て下ろし空いたスペースに負傷者を詰めていく。

 だが彼女の部隊は襲撃前の時点で百人近くも居たのだ。幾ら商業用の荷馬車とは言え、流石にそんな大人数は乗り切らない。


 なので、心苦しくも死んだ仲間は置いて行くことにした。

 かつての戦友とこんな形で別れる羽目になり、意識がある者達は肩を震わせ、唇を強く噛んだ。その雰囲気を背に感じながら男は自分の役割をそつなくこなしていく。


「全員運び終わりました。ささっ、あとは女騎士様だけだべ」

「いや…私はいい。これから行くところがあるのでな」


 何とか脚に力を込め、精一杯の見栄を張って森に入ろうとする。


「何を言うとるか。待っとる間も動けんかったでしたよい。こげな所に置いとったら命も無かろうて」

「なっ…! 何をするっ、放せっ!?」

「あいてて。大人しくしとくりゃんせ」


 しかしそれを男が咎めた。


「本当にっ、大丈夫だ! 私はひ――ッ、……これから大事な用があるから行かねばならぬ。…って聞いてるのか!? 放せっ!」

「駄目なものは駄目ですと。事情を話す人が居てくれんと困るのはこっちですだ」


 アルシェの危機を公には出来ぬ故、口を噤み他の言葉で説得に当たった。

 しかしそれでは承服もしかねるというもの。一番位が高そうなサーナを置いて立ち去れば上からの覚えも悪くなる。そうなれば結果的に仕事にも影響が出ると懸念したのだ。


「失礼しますだ」


 まるで農夫のようなゴツゴツとした手で持ち上げられ、抵抗虚しく他の者共と一緒に積み込まれた。

 そしてそのまま馬車が発車してしまい、降りるタイミングと体力を失ったまま望まぬ帰路へと着いていく。


「ア、ルシェ様…」


 その道中で、サーナは何度も……何度もアルシェの名を口にした。それは飼い犬が主人を呼ぶような、後悔と悲壮感を漂わせた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 滔々と流れる川の底から、折り重なる二つの影が浮き上がってきた。


「げほっ、げほっ! あと…ちょっと……!」


 人影は水流に足を取られながらも一歩ずつその歩を進める。そうして漸く陸地まで上がると、岩の無い草むらに抱えていた少女を下ろした。

 よく見れば二人ともボロボロで、特に青年の方は身体中に塞ぎきらない孔が幾つも見て取れる。何故動けるのか不思議なくらいだ。


「はっ、はっ……アルシェ、今助ける」


 青年は息つく間もなく黙したまま目を開けない少女に近付くと、自分で貸したカーディガンを脱がしその膨らんだ下着に手をかける。


 両の指を絡めた手でアルシェの胸を掻き分け、それを心臓の真上に置いてから三十回ほど強く押し付ける。

 次に顎を上げさせ、気管がまっすぐになったことを確認すると彼女の唇に自分のそれを重ねた。気道確保と、心肺蘇生だ。


「ん”ん………ぷはぁっ!」


 この流れを一回1セットだとし、それを四度繰り返したところでアルシェの肺に溜まっていた水が吐き出された。


「げほっ、げほっ! はぁ、はあ……カナ、エ様?」

「よかっ、た。目…さめた…な…」

「っ! カナエ様、私はっ!」


 少女が瞬間的に覚醒したことを確認すると、白銀髪の青年は力なく笑ってその場に倒れこんだ。


「っ、今助けますっ!」


 今置かれた状況を思い出したアルシェは手を翳し治療の再開を始める。

 だが元々残り少なかった魔力を余剰なく使い切った彼女に残された力など無きに等しい。強烈な睡魔に襲われながら能力を発動させても手に光が集束せず、なけなしの力もすぐに使い切る事になった。


「そ、そんな………っ、まだぁ!」


 諦めず再度挑戦するが今度は光さえ見えてこない。その事に愕然とし認めなたくないとばかりに首を振った。

 

「い、いや……必要だって、カナエ様は私が必要だって言ってくれたんだもん…」


 徐々に下がっていくトーンに最大音量で警鐘を鳴らすが努力実らずそのままアルシェの意識は暗闇へと……


「ん”っ”!」


 それを思いきり唇を噛むことで黙らせた。今自分がすべきなのはここで眠ることでも、ましてや嘆く事でもない。

 それを再度心に刻むと、一旦気持ちを落ち着かせ精神を集中させてみる。

 以前からこうしていると、何故だか魔力の回復が早くなるのだ。しかしこの時ばかりは逸る気持ちを抑える事が出来なかった。


(なら、この祈りを力に変えてみせるっ!)


 逆転の発想で、今度はそれを強く意識することで自らの内に宿る潜在的魔力を引き出そうとする。


(私にとっての希望はカナエ様で、カナエ様も私を希望だと言ってくれた。その言葉を嘘にしてほしくないっ、させたくない! 私は…私は、カナエ様の希望であり続けたいからっ!」



―――カチッ



 するとどうだろうか。先程から枯渇しきった力が溢れ、己が手の平を熱くさせる。

 しかもただ回復しただけでなく、それは魔力よりも濃いエネルギーとなって彼女を満たしたのだ。


 湊を救いたいという気持ちが彼女を〝次の段階〟へと引き上げたのだが、今はそんなことよりも湊の治療に集中する。

 長い長い詠唱に気持ちを先走らせながらそれでも着実に言葉を紡いでいった。


「お願いっ、私に力を頂戴! 【療法結界フィランデル】!」


 その全てを新たに成せるようになった結界の構築に注ぎ込み一つの技を完成させた。

 それは正真正銘、支援に特化した【固有・・能力・・】を持つアルシェにしか生み出せない世界最高の回復魔法へと昇華していた。



「“蘇れ” 《絶姫英聖廻復帰天領域エターナルリゼルディアフィールド》!」



 技を発動させると背中に受けた太刀傷も、四肢に開けられた孔さえも瞬間的に傷が塞がっていった。


 しかしこれだけならば今までの回復魔法と大して変わらない。多少は速度に違いがあるかもしれないが、元々驚異的な回復速度を誇っていたアルシェからするとその程度は些細な問題だ。

 重要なのは青白かった顔色に赤みが戻ってきている事にある。

 そう。つまり今この瞬間、失った筈の血液がすさまじい速さで“生成されている”というのだ。


 生成されていると言ってもアルシェが血液を作り出している訳ではない。全く何もない所から人体に必要なモノだけをピンポイントで生み出すなど、それこそ神の所業だ。

 湊のように能力で刀や槍を出すのとは訳が違う。あれはあくまで元からあるものを顕現しているだけであって、決して生み出しているのではない。

 そもそも顕微鏡で覗かないといけないレベルの物質を発生させることすら困難だ。


 ではどうやって湊から血液が生み出されているのか。


 結論から言ってしまうと、湊は恐ろしい速さで〝自然回復〟していることになる。

 無論人間の怪我がそんなスピードで治る訳がない。それこそアルシェが手を加えなければ湊は死に向かうだけだった。


 しかしそうはならなかった。


「結界干渉」は「万能効果」を使って結界内にいる特定の人物にあらゆる支援を可能にする。それは回復であったり、付与であったり、時には身を清める事だってある。

 今回アルシェが行った操作も、原理としては今迄と然程変わらない。対象を支援するという事では、寧ろ変化なしと取られてもなんら問題ないくらいに。


 ただ、今まで課せられていた制限が外れた・・・だけだ。


(各部チェック実行―――第一項目 肺の機能低下、大小計217箇所の血管損傷、血液の生成行為の遅延を確認。よって身体をおよそ四十秒の仮死状態にし、血管の働きを一時的に機能停止した上での回復を推奨。肺は血が溜まっており下手な介入は危険……肺の咳反射を最大にすると後に損傷が激しくなるので肺機能と損傷の事象を分離を推奨。血液の生成は各部器官の働きを五倍に速める事を提案、負担が大きいので主に生命維持を依頼)


(分かりました、血管の漏れは私が防ぎます。後はそれらを実行してください)


(了。続いて第二項目――)


 今アルシェが《絶姫英聖廻復帰天領域エターナルリゼルディアフィールド》で行使しているのは「生命維持機能の代行」と「事象操作」、それに「時間加速」だ。


 現代の日本でもそうだったが、患者を治療する上で一番問題になってくるのが生存状況だ。

 内臓の手術では癌や何かでも器官を治す際に他の臓器に細心の注意を払うし、投薬治療では予め副作用を覚悟しなければならない。このように医学というのはメリットとデメリットが常に表裏一体となっている。


 これに対しアルシェは、医学が抱えるジレンマからとことんデメリットだけ・・を抜き去っている。


 上の例で言うなら、体から血が溢れ出るのを防ぐため血管を塞いだ上で血流を全て止めている。そんな事をすれば全身に酸素は行き渡らず窒息してしまうのだが、アルシェは一度湊に仮初めの死を与え、その間は酸素を必要としないよう強引にねじ曲げた。

 治療のために身体を痛めるような事態に遭遇すれば、回復と損傷という事象を切り分けて進めた。身体の一部を部分的に加速させれば負担がかかるが、そのデメリットをアルシェが肩代わりしてしまった。

 何度も仮死と瀕死を繰り返し、普通なら負担に耐えられない事でもアルシェが湊の生命維持機能を組み換えてその負担を無かったことにしてしまう。



「やった……、やった!」


 治療を終えたその時には、傷一つない状態の湊が穏やかに寝息を立てていた。顔の血色も完全に戻り、どことなくツヤまで出ている。


「私が……何も出来なかった私にもっ、カナエ様を救うことができました…!」


 目頭から流れ出る涙を喜びの涙を拭って、覚束ない足取りで湊の寝ている隣まで来るとその隣に身体を置いた。


「ありがとうございます、カナエ様。私が無事でいられるのは貴方様のお陰です。これは私からのささやかなお礼です。受け取ってください」


 そう言って、微かな息を立てる湊の傍まで顔を持っていくと、横から垂れる髪を抑えて今度は彼女の方から唇を明け渡した。


「ふっ……んぅっ…んちゅっ」


 艶めかしい声を挟んでからゆっくり五秒間、その体勢を保ち続けた後に顔を上げる。


「んっ…、かっこよかったです…私の……勇者さま…………」


 そこから数秒も待たずに彼女の意識は限界を迎え入れた。


 こうして二人は、長い長い波乱の一日を終えたのだった。


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