聖女姫の慟哭
「ならば私一人で行かせてください! カナエ様はここでお身体を休めておいて下さいませ!」
湊の言葉を受けアルシェがとんでもない事を言い出した。
(いや、それは一番やっちゃいけないパターンでしょ)
思わず声に出そうだった。何を考えたらそんな結論に辿り着くんだと呆れる湊を他所に、その辺から拾ってきた木の枝で地面に何かを描き始めた。おそらく地図か何かだろう。
「良いですかカナエ様。今居るのがここ、アトラス大森林。私達のフィリアム王国はここから西へ行った所にあります」
アルシェの説明に湊は顔を顰める。
「まさか俺一人だけで行け、なんて言わないだろうな」
「…日が昇る前までには戻ってこようと思います。しかしそうでない時は…」
自分を置いていけ。言外にそう言っている。
(あぁくそっ、あんな提案するんじゃなかった)
こうなった原因が自分にあると察した湊は頭を抱えた。彼女は誰に対しても、特に親しい相手にはとことん“尽くす”タイプだ。その滅私奉公の精神が働いてこんな考えをに至ったのだろう。
「駄目だ。民はお前を必要としている。王女がいなくなれば勇者が居たところで民は納得しない」
今述べたのは予想だが間違いないだろう。この絵にかいたような善人が、こんな人間嫌いの捻くれ者よりも人々に影響を与えない筈がない。
その言葉に驚いた表情を見せるも、やはり“あの顔”を貼り付ける。
「ありがとうございます。カナエ様にそう言って戴けるなんて光栄の極みです」
「なら…っ!」
「でも違うんです。私は立派な王女なんかになれない、なってはいけないんです。だって私は…サーナ達を置いて逃げたんですから」
開いた口が塞がらないとはこの事か。何故そうまでして自分の身を投げ出せる。どうして他人なんかの為に頑張れる。
悪いのは全部そういう風に仕組んだ
――ブチっ!
湊の中で、何かが切れる音がした。
「最後までお供出来ず申し開きも立ちません。しかし森を出て街に着けば〈ウィンド〉にある勇者の称号でその後の安全は保障されます。我が国の首都アルカンジュまで行って街の自衛団に私の持ち物と手紙を渡せば…」
湊が懸念している事を正しく捉えないアルシェは、さも決定事項のようにぺらぺらと喋っている。
ぺらぺらペラペラと……
「ですから…ふみゅっ!?」
「分かったからもう黙っとこうか。な?」
取り合えずイラついたのでチョップを食らわしとく。満面の笑みで。
「ふ、ふぇ…? 私何か粗相を働きましたか?」
当たった所を抑えてプルプル震えている姿は何とも愛らしい。こうやって世の男共を魅了してきたのだろう。
かといってこのまま許す気にもなれない。普段人に見せない笑みのまま不機嫌さを表現した。
「うんそうだな。取り合えずアルシェが俺を信用していないって事に腹が立った」
「し、信用していないだなんてそんなっ、滅相もありません! 私はただ…っ」
アルシェにとっては死活問題。しかし湊にとっては事実なので無理にでも押し通す。
「俺を危険にさらしたくない、だろ? それを信用してないっていうんだよ」
「ち、違いますっ! 私はカナエ様の御身を心配して…!」
このままでは堂々巡りだ。確かに今の発言は信用ならないだろう。湊自身それは自覚している。
仮にアイツくらいのレベルがもう一人いたとして、今度は勝てるという保証もない。むしろ敗戦の可能性の方が濃厚なくらいだ。
今回勝てたのは偶然によるものが大きい。アイツが莫迦で、しかも俺を舐めてかかったからこそ得られた勝利。少し頭が切れ油断しない相手だったら今の自分には荷が重いだろう。
それを分かった上で湊を送り出すほどアルシェの王女としての責任感も脆くないということだ。
(つっても本当に戦うつもりは無いんだけどな。仕方ない、外堀から埋めてくか)
手を伸ばしてアルシェの肩を掴んだ。少し加減を間違えれば折れてしまいそうな繊細さに内心驚きつつ、しかしその手を放さなかった。これは彼女が自分を見直す上で必要な事だ。だから理屈ではなくアルシェの心に訴える。
「……なぁアルシェ。お前にとって俺はそんなに大事か?」
「え…?」
「あくまでお前個人としての話だ。国や使命なんかは無視して正直に答えてほしい。それを踏まえた上で俺は大事か?」
一瞬ポカンとして理解が追い付いてなかったが、すぐに持ち直すと先程とは違って強い眼差しを向けてくる。
「当然です! カナエ様は私の恩人なんですから。凄く強くて格好いいですし、頭だって切れます。走っている時の横顔も、腕の中で感じた温もりだってこの先忘れません。何より、何より…」
その頬を紅く染めて恥ずかしさに視線を下げる。そこには王女でも、まして聖女でもなく一人の少女としての顔があった。
実はアルシェが抱える問題を吐かせるという目的の他に、彼女自身俺をどう思っているのかも気になった。
今まで告ってきた相手はどれも見てくれに釣られるような者ばかりだったから、その辺少し気になり興味本意で聞いたのだ。
好かれてるとは思っていたが予想以上の反応に嬉しさよりも気恥ずかしさが込み上げてくる。アルシェに褒められても、何時ものような鬱陶しさは感じられなかった。
「初めてだったんです。心の底から誰かに頼りたいと思ったのは。私の家族はお父様も姉様も弟も皆優秀で、私なんかよりも国や民に貢献してきました。民は勿論他の大陸諸国からも一目置かれるほどなんですよ? そんな皆が羨ましくて、追い付きたいたくって、憧れてたんです」
一度“核”となる部分を突いてやれば後は涌いて出てくる。
段々と語る内容は要領を得なくなり、自虐も混ざって幼子のように捲し立てる。表情も明るいものから悲痛を滲ませ、湊はただ黙ってそれを見守る。
ここからが彼女の深意だ。邪魔をしてはいけない。
「何も出来ないからお城から出られないままでした。交渉術も武芸の才も無いから表舞台に立てず。私は弱くて役立たずでした。護られるばかりで迷惑しかかけなくて…っ。恐かったんです、そのままでいる自分が。このまま何も成せずに一生を終えるのではと思うと凄く怖くて…辛くてっ!」
アルシェを握る手に力が入る。彼女が言うと他人事とは思えず、まるで自分もそうだったかのように心が錯覚する。
「だから私にはもうこれしかないんです….! カナエ様を国に迎えられなければ、私は本当に必要で無くなってしまう。お父様にも姉様にも弟にも、民にも認めてもらえないッ…! 隣に立っていたかった。私だってやれば出来るんだって、胸を張って言いたかった! 今度は私が皆を守ってあげるんだって…! もう心配かけないからって! …でも…でもッ……!!」
吐いた言葉は元に戻らず、落ちる涙も止まらない。今まで貯め込んでいた劣等感という負の感情が湊を含め周囲に撒き散らされていく。湊はそれを黙って受け止める。
「…分かってたんです。皆さんは私を心配してくれているって。応えたいって想ってても、それだけじゃあ…駄目なんです。皆さんの希望にはなれない。臣下を見捨てて逃げた私では……こんな私に、王女の素質なんて無い。セレェル様の加護を受ける資格なんてない。私は、私はっ……! 必要じゃ、無かった……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺はアルシェの心からの嘆きを受け止め、その肩を、手を…背中を。全身を優しく包み込む。
腕の中の彼女は酷く儚げで、こうして包んでいないと今にも壊れてしまいそうだった。
「うぅ……ぇぐ……ヒクッ………」
「なあアルシェ。返事はいらない、ただ俺の思ったことだけを言うから聞いてくれ」
「……はぃ”」
いらないというのに律儀に応える彼女を優しく抱きしめる。それに合わせて啜り声も抑えたようだから、彼女が存分に泣けるよう手短に話そう。
「アルシェは言ったよな。〝自分には何もない。だから必要とされない。守られてばかり〟だって」
「事実…ですから……」
「それって、俺も入ってるのか?」
「……ぇ?」
漸く顔を上げた。それと同時に
「少なくとも俺はお前をそんな風に見ていない。お前を頼りにしてるし、才能が無いとも思わない。それどころか隣に立って欲しいとも思ってる」
アルシェで才能がないなら、
ちゃっかり自分を抜く辺り本当に自己評価が高い。
「周りの奴等がどう思ってるのかは知らない。絶対なんて言葉は人の気持ちにおいて存在しないからな。勝手知ったように語る事は出来ない」
だけど予想ならつく。皆こう思っている筈だ。
「王女でも聖女でもない、アルシェ=フィリアムという一人の人間を求めているって」
「ぁ…え……は?」
「先に言っておくが、これは慰めや同情からくる言葉じゃない。俺は〝心許した〟相手には本当の事しか言わないからな」
語りながら〝湊の中のアルシェ〟を紐解いてゆく。
これまでの一連の流れから、湊は己の気持ちに漸く気が付いた。
彼女の気持ちを知る上で、自らの気持ちも理解しようとしたのは正解だった。
何故彼女を心の底から助けたいと思ったのか。何でアルシェの心内を知りたいと思ったのか。
そして……
(何故こんなにも彼女の“嘘”を聞きたくないと願うのだろう)
それは気付けば簡単な事だった。普通の人ならば誰しも分かること。しかし経験が圧倒的に少ない湊には難解なその気持ち。
乃ち、誰かを信じると。もっと言えば〝信じたい〟と彼自身が願ったからだった。
アルシェの事を知りたい
アルシェを慰めてあげたい
アルシェとは心の内から語り合いたい
その答えに辿り着いて、たったそれだけの
こんなにもアルシェと一緒にいたいと知っていたんなら――と。
「例に出すとすれば、アルシェが俺を庇って最初に盗賊と交渉してた時だ。あの時は俺も混乱してたからな、本当にお前が頼もしく見えた」
「あ、あの時…ですか?」
「まだあるぞ。盗賊に囲まれてた時に《付与魔法》が無かったらヤバかっただろうし、逃げている間にはアドバイスをくれた。俺が魔力切れを起こした時なんかは危険を顧みずに助けてくれただろう」
「あ、うぅ…」
褒められる事に慣れていないのか、それとも湊に感謝されたからなのかは分からないが、哀しみに満ちていた表情に色が戻ってきた。
「どれもこれもアルシェがいなかったら死んでいたかもしれないレベルだった。だから敢えて言おう。『アルシェ、俺にはお前が必要だ。俺の“希望”になってくれ』って」
「っ!!?」
眼を大きく見開き声も失う。
「これを聞いてもまだ自分を必要ないと言えるか? それともそんなに俺が信用ならないか?」
挑発気味にふっ、と笑いかける。すると泣き腫らした目元をくっ、と押し上げて悔し気に、それでいて嬉しそうに微笑むのだった。
「……カナエ様はズルいです。そんな事を言ったら私が否定できないって知っていますのに」
「そうなのか? なら嘘をつけば良いだろ」
「いえ。私も…
その心は――嘘を
「カナエ様…カナエ様っ……!」
とっくに止まったと思ってた涙も雫れてきて、湊の名を呼びながら彼の体温を全身で感じようとする。
大切な友を、信頼できる臣下を、必死に支えてきた自信と誇りの全てを一瞬で失った彼女は今どんな心境にあるのだろうか。
この腕の中で泣いている可憐な少女が自分のようにならなければと、ただそれだけを願うであった。
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